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羽生善治の師匠「二上達也九段の死去」に惜しむ声広がる

羽生善治の師匠で日本将棋連盟元会長の二上達也九段が肺炎のため亡くなられました。悲しみの声が広がっています。

更新日: 2016年11月05日

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・羽生三冠の師匠二上達也九段、死去

昭和の名棋士として活躍し、羽生善治さんの師匠としても知られる、日本将棋連盟元会長の二上達也九段が、肺炎のため亡くなりました。

羽生3冠は「師匠として連盟会長としていつも大きな存在でした。将棋界に残していただいたものを大切につないでいきたい」とのコメントを発表した。

「羽生は入門したときから強かったし、周囲の評価も高かった。だから私からあえて彼に声をかけたりはしなかった。 将棋の勝負は、基本的に自分で頑張るしかない。そんなことは弟子もわかっているし、師匠も自分の型にはめたりはしません。」(二上達也九段)続 1/2

・惜しむ声が届けられている

二上達也九段の御訃報に接し心より哀悼の意を表します。名棋士としてまた会長として昭和の将棋界に偉大な足跡を遺されました。二上九段と99局もの激闘を繰り広げ、名勝負をともに紡ぎだせたことは私の大切な財産です。どうぞ天国でその魂が安らかに憩われますようお祈り申し上げます。加藤一二三

二上達也九段がお亡くなりになった 将棋界に関わらず昭和の偉大な人々が旅立っていく 麻雀の世界では師匠の古川先生もしかりである 非常に寂しい

元連盟会長で、羽生善治先生のお師匠でもある二上達也先生がおなくなりに。函館市のご出身です。惜しい先生をなくしました。合掌。

私が初めてタイトル戦の中継を担当したときの立会人が二上達也九段でした。右も左もわからずにいましたが、大変お世話になりました。

・18歳でプロ棋士に、二上達也九段の略歴

入門から6年間で八段まで昇段するという最短記録を作りました。

初めてタイトル戦の記録をとったのが、昭和56年7月15日、二上達也棋聖ー中原誠名人の棋聖戦第3局だった。対局場所は関西将棋会館4階水無瀬の間。覚えているのは、二上先生が2四飛と歩を取った時の衝撃。そして、夕食休憩後に寝てしまったこと。目が覚めた時の恥ずかしさは言葉にできない。

公式戦で弟子と将棋を指す場合がある。これなんかは嫌なものです。棋士ですから負けたくないのですね。見込みのある弟子は師匠よりも強いに決まっていますから。私が引退したのは羽生と順位戦を戦いたくなかったから(笑) 翌年、羽生が同じクラスに上がってくる、その前に辞めました(二上達也九段)

元年から15年まで、歴代最長となる日本将棋連盟会長を務め、将棋界の発展に尽力した。

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