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『湾生回家』・・・最新の「上映開始」情報はこちら!

第二次世界大戦の敗戦にともない、日本人は台湾から追われることになった。日本による統治は50年間続き、台湾生まれの日本人も多かった。台湾で15年、台湾に「帰省」する日本人を描いた映画が製作された。多くの台湾人観客が感動し、涙した。異例のヒット作となった『湾生回家』の日本上映が11月12日に始まった。

更新日: 2016年12月09日

如月隼人さん

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★新着の話題

『湾生回家』 12月10日からの公開館

興味深いことに、北の青森県と南の九州での上映開始です。御近隣地域にお住いの方、是非、ご鑑賞を!

青森県青森市
シネマ・ディクト
11:45~、16:15~(他の時間帯には別作品を上映)
12/11(日)は16:15の回休憩

福岡県福岡市
KBCシネマ
14:25~
(翌11日からは14:20からの上映ですので、ご注意ください)

各上映館の所在地は以下の通りです

(上映終了は2016年12月4日現在)

シアターキノ 札幌市中央区狸小路6丁目南3条グランドビル2F

シネマ・ディクト 青森市古川1丁目21-18
盛岡ルミエール 岩手県盛岡市中央通1-8-13中央ビル地下
フォーラム仙台 仙台市青葉区木町通2-1-33

岩波ホール 東京都千代田区神田神保町二丁目1番地

静岡シネ・ギャラリー 静岡県静岡市葵区御幸町11-14サールナートホール3階
CINEMA e_ra 静岡県浜松市中区田町315-34  笠井屋ビル3階
新潟シネ・ウインド 新潟市中央区八千代2-1-1 万代シテイ第2駐車場ビル1F
高田世界館 新潟県上越市本町6丁目4-21
ほとり座 富山市中央通り1-2-14 三笠ビル 2F
メトロ劇場 福井市順化1-2-14(上映終了)
長野松竹相生座 ロキシー 長野市権堂町2255
CINEX  岐阜市日ノ出町2-20
名古屋シネマテーク 名古屋市千種区今池1-6-13今池スタービル2F

京都シネマ 京都市下京区四条烏丸下る西側COCON烏丸3F
シネ・リーブル梅田 大阪市北区大淀中1-1-88
元町映画館 神戸市中央区元町通4丁目1-12
ユナイテッド・シネマ橿原 奈良県橿原市十市町1222-1

シネマ・クレール丸の内 岡山市北区丸の内1丁目5−1
サロンシネマ 広島市中区八丁堀16-10 広島東映プラザビル8F
シネマ尾道 広島県尾道市東御所町6-2
ufotable CINEMA 徳島県徳島市東新町1-5-3
ホール・ソレイユ 高松市亀井町10-10ソレイユ第1ビル
シネマルナティック 松山市湊町3-1-9マツゲキビル2F

KBCシネマ 福岡市中央区那の津1‐3‐21
宮崎キネマ館 宮崎市橘通り3丁目アゲインビル2階
ガーデンズシネマ 鹿児島市呉服町6-5マルヤガーデンズ7F
桜坂劇場 那覇市牧志3-6-10(旧桜坂シネコン琉映

「湾生回家」を広めようとする“まだ見ぬ同志”がいた!(続報)

ずいぶん減っていた「湾生回家」のチラシ

先週(2016年11月22日)、昼食に時おり行く飲食店に「湾生回家」のチラシが置いてあったことはご紹介しました。本日(11月28日)の昼も、その店に立ち寄ると……。

チラシはやはり、そこにありました。ただ、ずいぶん減っていました。多くの人が、このチラシを受け取ったということです。もちろん、チラシに興味を持ったといって、映画館に実際に足を運んでいただけるとは限らない。確率としては、そうとうに低いのではないか。

もちろん、この作品を実際に見ていただきたい。ただ、チラシを読んでいただくだけでも「湾生」という存在があるいということは、知っていただける。それだけでも、とてもうれしいことです。

「湾生」ということが、こころのどここかの角にでもひっかかっていれば、日本と台湾の問題に対する関心が多少なりとも強くなるかもしれない。ということで、チラシを置いてくださった「見知らぬ同志」の方に対して、感謝と尊敬の念が改めて強まりました。

飲食店でみつけた「湾生回家」のチラシ(11月22日撮影)

今の私の仕事場は六本木一丁目のビルの一室。そのビルの1階に、私がしばしば昼食のために訪れる飲食店があります。本日(2016年11月22日)の正午過ぎ、何気なく訪れたその店で、驚きました。
なんと、「湾生回家」のチラシが置いてある。店の人に聞いたところ、お客さんの持ち込みとのこと。なるほど、「この映画を見てほしい!」と願った人が、いたのだなあ。日本人か、台湾人か、はたまた別の国の人か。そこまでは分かりません。でも、「同志よ!」と声をかけたい気持ちになりました。何かのご縁で知り合えるチャンスがあれば、ゆっくりと語り合いたいなあ。

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失われた故郷「台湾」を求める日本人達 湾生シリーズ

台湾をはじめとする中華圏を中心に取材と情報発信を精力的に行っている野嶋剛さんの新シリーズが始まりました。「湾生回家」に登場する湾生たちそれぞれを掘り下げた連載インタビュー、ニュースサイトJapan in depthで掲載された第1弾と第2弾です。

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その他、「湾生回家」の関連情報のあるページを探してみました。

『湾生回家』日本上映の記念イベント 「湾生」と作者、大いに語る

東京・虎ノ門の台北駐日経済文化代表処センターで13日、「『湾生回家』日本上映記念公式イベント「湾生の言葉を聴こう」 が催された。

進行役はジャーナリストの野嶋剛さん。さらに「湾生」であり同作品に出演した家倉多恵子さん、松本洽盛さんが登壇した。

前半の3人によるトークは、野嶋さんの質問に対して、家倉さん、松本さんが回答する形式で進んだ。まずは、その一部を再構成してご紹介する。

【引き揚げまでの状況について】
家倉:
父親は台湾総督府の公務員だった。仕事の関係で、いろいろな土地に住んだが、最も長かったのは台北。

台湾からは花蓮港から引き揚げた。船の甲板で弟と一緒に、台湾が水平線の向こうに消えるまで「ふるさと」の歌を歌っていた。

台湾を去る前には花蓮港の近くの海岸にある花岡山に1人で登って、太平洋からの風を体で受けて、波の音を聞いた。思い出にしようと思った。再び台湾に戻れるとは思えなかった。

日本に帰ってからも、いつもその時のことが思い出された。ただ、26年たって再び台湾を訪れ、自分の記憶を確かめようと花岡山にまた登ってからは、不思議なもので、(それまでのようには)思い出さなくなった。

花蓮の海岸と言えば、終戦間際に、特攻機が太平洋に向かって(飛び去って)消えていくのを見ていた。その時のことを思い出すと、涙が出る。

松本:
私は母の両親が、熊本から台湾に渡った。だから、母も「湾生」。父は三重の農家の次男坊で、台湾に渡った。1931年に父は警察官に採用され、瑞穂に赴任した。私はそこで生まれた。父が4年後、警察官を辞め、(花蓮県内の)瑞穂に荒地(農開地)を買って農民になった。私は花蓮の小学校に3年生まで通った。

集落にある家は10軒程度だった。大抵の家が水牛を飼っていた。それと、馬、豚など。水牛の面倒を見るのは子供の仕事。母牛には乳を出させるために特に、野原で青い草を腹がパンパンになるまで食べさせねばならない。暗くなってから帰ってきて、近くの川で水浴びをさせる。

電気も水道もガスもなかった。川から水を汲んでくるのも子供の仕事。その水を石や砂を入れた樽に入れて濾して使った。

【日本に引き揚げて、どんなことを感じたのか】
家倉:
引き揚げた人間でなければ、わからない。周りと自分がどこか違う。友達はいても、どこか違う。

五木寛之の文章を読んで、どの著作かは忘れたが「引き揚げ者は永久の異邦人」と書いてあって、そうなのだと強く思った。

松本:
小4で日本に戻った。台湾では(日本語の)標準語を使っていた。日本では京都や三重の小学校に行ったが、言葉のことでけんかになることがあった。

なんで、そんなことでのけ者にするのかと思った。台湾では台湾人や原住民族の子と一緒になって遊んでいた。日本に帰ってから、差別されることに納得できなかった。

台湾にいた時、内地(日本本土)から来る日本人は、人によって違いはあるが、台湾人に対して「上から目線」で接するので、「湾生」には嫌われていた。

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