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【実在した最恐の死刑執行人】ジャック・ケッチ

イギリス名前の残っている主な死刑執行人達

更新日: 2018年05月07日

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かきピーさん

死刑制度があった頃、ヨーロッパにおける死刑執行人は世襲制によって受け継がれていた国がある中、イギリスにおいては副業、あるいは役人の業務の一つだった。
当時、処刑は公開で行われるのが常であり、庶民にとっては格好のエンターテイメントでもあった。そのため見事な手際でスッパリ首を切り落とす執行人のなかには、民衆の人気を得て刑場のスター的存在となった者もいた。
一般庶民は絞首刑に処せられていたが貴族には斬首刑が適用されていた

*イギリス名前の残っている主な死刑執行人

リチャード・ブランドン

リチャード・ブランドン(英語: Richard Brandon, 生年不詳 - 1649年6月20日)はイギリス・ロンドンの死刑執行人である。1640年から1649年まで死刑執行人を務めた。

父親が死刑執行人のグレゴリー・ブランドンだったため、通称「ヤング・グレゴリー」と呼ばれていた。親子二代で使用したタイバーンの絞首台はグレゴリーの木と呼ばれていた。
執行歴
1641年5月12日:ストラフォード伯爵トマス・ウェントワース
1645年:カンタベリー大主教ウィリアム・ロード
1649年1月30日:チャールズ1世を処刑し、処刑料として30ポンドを受け取ったという。

ジョン・スリフト

ジョン・スリフト(英: John Thrift、生年不詳 - 1752年5月5日)はイギリスの死刑執行人である。

1735年頃に死刑執行人になり20年近くにわたって勤め、特にジャコバイト1745年の反乱に関係した大勢の人物を処刑し、そのため彼はジャコバイト支持者から憎悪の対象となった。

1750年5月に民衆に取り囲まれた彼は刃物を振り回して民衆を追い払おうとして1人を刺し殺した。逮捕され裁判では正当防衛を主張するが有罪となり死刑判決を受けるが、すぐに流刑に減刑され監獄船にしばらく収監されたあとに恩赦になり、死刑執行人に復職した。

1752年5月5日に病死してセントポールの墓地に埋葬された。

彼はイギリスで最後の斬首刑を執行した。この時に使用した斧と断頭台は現在でも王立武器博物館に展示されている。

ジョン・エリス

ジョン・エリス(John Ellis、1874年10月4日 - 1932年9月20日)は、イギリスの死刑執行人である。

23年間にわたって死刑執行人の職務に就き、203回の死刑を執行した。当時の報酬は歩合制で、イングランドが10ポンド、アイルランドが15ポンドであり、総額で2千ポンド以上を稼いだという。

普通の工場労働者であった彼がなぜ死刑執行人という忌み嫌われていた職についたのか、その理由は明確ではない。何度もマスコミが取材を行い質問しているが、要領を得ない曖昧な回答のみで、はっきりとした理由は本人ですらわからなかったと言われている。

彼は死刑執行人として大変に有名になっていた。カナダの死刑執行人であるアーサー・エリスは彼の甥であると自称していたが、実際には無関係だった。

ジャック・ケッチ

1685年にチャールズ2世は崩じ、王弟のヨーク公爵ジェイムズがジェイムズ2世および7世として即位した。これに対しモンマス公爵は自身の王位継承権を主張して反乱を起こしたが(モンマスの反乱)、鎮圧された。議会で私権剥奪法(英語版)が可決されたため、捕らえられたモンマス公爵はロンドン塔で処刑され爵位も全て没収された。

「最後の願い。せめて楽にあの世に行かせてくれ。」

クーデターを起こしたモンマス公爵は処刑台へ送られた。
「最後の願いに、せめて楽にあの世に行かせてくれ。」
公爵は自分の首を落とす「死刑執行人」の男に願いと共に金を渡した。

執行時間となり「死刑執行人」は斧を振り下ろした。
だが、その斧はほんの少し首に切り傷をつけただけだった。再び斧を振り下ろした時も首の肉片が飛び散っただけで、完全には切り落とせなかった。その後二度三度、斧を振り下ろしても受刑者を絶命させることができなかった。
ピクピクと首の肉をそぎ落とされ、生殺し状態で悶え苦しむモンマス公爵。この不器用な「死刑執行人」は見かねた役人が手渡した家畜用のナイフでやっと断首できた。

この処刑を見物していた民衆は暴動に発展しそうなほどの騒ぎになった。当然この執行人の職をクビになった。
この地獄のような処刑現場がイギリス中で語り草になり、この恐怖の死刑執行人「ジャック・ ケッチ」は有名になり、後任の執行人も「ジャック・ケッチ」と呼ばれ続けた。

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