天正十六年(1588年)頃に当時天下人としての地位を確実なものにしていた豊臣秀吉の側室として大坂城に入る。翌天正十七年(1589年)には秀吉の嫡男・鶴松(捨)を産むが、鶴松は3歳で病死。この時に秀吉から山城国の淀城を与えられたため、淀殿と呼ばれる事となる。文禄二年(1593年)には後の豊臣秀頼(拾丸)を出産。豊臣家の後継者を産んだ茶々は、豊臣家の実力者として大きな影響力を発揮していくこととなる。

出典真田丸 キャスト・人物ネタバレ 秀吉が愛した茶々(淀)、大坂城の重鎮・大蔵卿局、三成の妻・うた、吉野太夫 | FULLSPEC club

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【ヒストリア】豊臣家の終焉。わが子のために生きた淀殿の自刃(享年五十)

茶々。織田信長の姪。浅井長政・お市の方の娘であり浅井三姉妹の長女。豊臣秀吉の正室であり豊臣秀頼の母である淀殿。悲運の運命を遂げたドラマチックな彼女の最期はどのようなものであったのか。

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