実質一大名へと成り下がった豊臣家と徳川家の対立は激化し、慶長十九年(1614年)には徳川と豊臣の戦い、「大坂の陣」が起こる。一度は和睦した両者であったが、翌慶長二十年(1615年)に再び「大坂夏の陣」へと突入し、徳川軍の猛攻を受けた大坂城は炎上。淀殿は息子・豊臣秀頼らとともに自害して豊臣家は滅亡した。

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【ヒストリア】豊臣家の終焉。わが子のために生きた淀殿の自刃(享年五十)

茶々。織田信長の姪。浅井長政・お市の方の娘であり浅井三姉妹の長女。豊臣秀吉の正室であり豊臣秀頼の母である淀殿。悲運の運命を遂げたドラマチックな彼女の最期はどのようなものであったのか。

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