大阪城は広大な敷地を有しています。
その広大な敷地を堀と櫓でしっかりと守りが固められた最高の要塞でした。

このため当時の大砲の射程距離にはなっていませんでしたが北側から打てば風向き次第では大砲が届く可能性ありと家康は判断したのかもしれません。

連日の大砲の大阪城への攻撃は大阪城を守る将兵やさらには淀君など大阪側への心理状態をかなり不安なものにしたといわれています。徳川軍が大阪城めがけて打ち込む大砲は特にその音がすざまじかったとといわれています。連日打ち込む徳川軍の砲声は
なんと・・・京都まで響いたといわれています。

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【ヒストリア】大阪冬の陣。淀殿の大阪天守閣を襲ったガルバリン砲撃(英国製)

戦国時代の生き残りである徳川家康は真田丸での失敗の反省を踏まえ全力で大阪城を攻め落とす戦略を転換します。 まずは大阪城が北寄りに作られていることに目をつけます。そして・・・・・その北側から大砲を打ち始めます。イギリスから到着した「ガルバリン砲」による無慈悲な砲撃がその後の運命を大きく変えるのでした。

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