そこで家康は、力攻めから心理戦に切り替えます。300門以上という大量の大砲を随所の陣地に配備して、午後8時、午前0時、午前4時に一斉に勝ち鬨をあげさせ、さらに午後10時、午前2時、午前6時に大砲(石火矢・大筒・和製大砲)を大坂城目がけて一斉射撃を開始したのです。
当時の大砲は、約4キロの鉛玉を1.5キロほど飛ばすだけのものでしたが、城内にいる者に与える心理効果は絶大なものがあり、そのうちの一発が、淀殿の居間を直撃します。

出典大坂冬の陣で使われた大筒の入手経路や威力は? ( 写真 ) - カメラとビデオを棒にくっつけて - Yahoo!ブログ

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【ヒストリア】大阪冬の陣。淀殿の大阪天守閣を襲ったガルバリン砲撃(英国製)

戦国時代の生き残りである徳川家康は真田丸での失敗の反省を踏まえ全力で大阪城を攻め落とす戦略を転換します。 まずは大阪城が北寄りに作られていることに目をつけます。そして・・・・・その北側から大砲を打ち始めます。イギリスから到着した「ガルバリン砲」による無慈悲な砲撃がその後の運命を大きく変えるのでした。

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