1. まとめトップ

沢田義一さん『雪の遺書』に見る北海道大学メンバーの雪崩事故

沢田義一さん『雪の遺書』に見る北海道大学メンバーの雪崩事故についてまとめました。雪崩が起こった後も生き残って遺書を書いた沢田義一さんの記録です。

更新日: 2018年01月18日

1 お気に入り 14314 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

雪崩に閉じ込められた無念の沢田義一さんの遭難をまとめて、将来の遭難事故の予防に役立てたいとの思いです。

misukiruさん

◆1965年 北海道大学メンバーが雪崩で死亡

パーティーは1965年3月11日に入山した。3月13日には札内川より十の沢左岸の尾根に到達したようである(遺品のカメラに記録されていた写真より推定)。現地は13日昼頃から無風大雪となり14日未明まで続いた。14日未明、露営中に大規模な雪崩に遭遇する。

札内川十の沢北海道大学山岳部遭難事件は、1965年(昭和40年)3月14日に北海道大学山岳部(沢田義一リーダー)6名が日高山脈札内川上流の十の沢付近で大規模な雪崩に遭い遭難した事件。参加パーティー6名全員が死亡した。

◆1965年3月11日から入山

1965年3月11日から24日までの14日間(行動9日、停滞5日)に渡る春山登山計画として立案された。北海道大学山岳部では登山計画についてよく検討したうえで登山本部に届出。

万一事故が起きた場合でも北大内に留守本部を設置し、OB等がすぐ出動できる動態をとっていた。

沢田義一 - リーダー。農学部4年
中川昭三 - アシスタントリーダー。文学部4年
橋本甲午 - 農学部4年
松井作頼 - 教養部1年
坂井文寛 - 教養部1年
田中康子 - 教養部2年

北札内―札内川―十の沢左岸の尾根―国境稜線―カムイエクウチカウシ岳―神威岳(カムイ岳)―幌尻岳―トツタベツ川―八千代下山

◆1965年6月より再捜索

6月1日よりパトロールが行われ、6月13日13時10分ついに沢田義一の遺体を発見するに至った。遺体は直径2m深さ1mの雪洞状の穴に、右手を下にして斜めうつ伏せの状態であった。右のポケットより「処置・遺書」と書かれている地図を発見した。

地図の裏には2,000字を超える遺書が書いてあり(雪の遺書)、沢田リーダーは雪崩のデブリのなかで4日間生存していたことが明らかになった。6月16日テントが発見され、沢田リーダー以外の5名全員の遺体が発見された。

お父さんの詠んだ歌
「 義 一 」 澤田己之助
就職のきまりしときの喜びは いまもなおわがまなかいにあり   
(昭和40年3月)
妻ときて悲しみあらたなり あたらしき背広の服を子の部屋にみて
(昭和40年3月)
おん身いま日高山なみ深き谷に 焼かるる夜をわれは眠れず  
(昭和40年6月)
北のはて日高の谷の山旅に わらじも足に馴れて下りぬ     
(昭和40年8月)
子の死してすでに十年を過ぎにしを 憶いつつ生く老いらくの身は
(昭和50年3月)
「北の山脈」17号(昭和50年3月15日)より

◆登山家の遺書として雑誌に掲載

1