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2011年・東日本大震災の悲劇。大川小学校に津波襲来で74人が死亡。

2011年・東日本大震災の悲劇。大川小学校に津波が襲来して74人が死亡しました。東日本大震災の大きな悲劇で、永久に忘れないでいるべき悲惨な出来事でした。

更新日: 2018年03月28日

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misukiruさん

2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴う津波が地震発生後およそ50分経った15時36分頃、三陸海岸・追波湾の湾奥にある新北上川(追波川)を遡上してきた。この結果、河口から約5kmの距離にある同校を襲い、校庭にいた児童78名中74名と、教職員13名中、校内にいた11名のうち10名が死亡

◆津波で流された大川小学校

東日本大震災の前には、豊かな土地に建つモダンな建物でした。

東日本大震災後には、周辺に何もなくなってしまいました。

2016年3月、石巻市は被災した大川小学校の旧校舎を存置という形でその全体を保存することとなった。遺族の中には「校舎を見たくない」という意見もあるため周辺を公園化して植栽などで囲むことが検討されている。

裏山が僅か50メートルほどのところにあったのに生徒は津波に飲まれました。

裏山があったにも関わらず、生徒たちは助かりませんでした。

裏山は、低学年の児童であったとしても、簡単に登れる場所でした。

◆教師たちが白熱した議論

地震直後、校舎は割れたガラスが散乱し、余震で倒壊する恐れもあった。教師らは児童を校庭に集めて点呼を取り全員の安否を確認したのちに、避難先について議論を始めた。

地震発生から津波到達まで50分間の時間があったにも関わらず、最高責任者の校長不在下での判断指揮系統が不明確なまま、すぐに避難行動をせず校庭に児童を座らせて点呼を取る、避難先についてその場で議論を始めるなど学校側の対応を疑問視する声が相次いだ。

小学校の周辺が流されて、小学校の校舎だけが残っています。

学校などで使っていたものの多くが流されました。

普段から避難に関する教育を徹底し児童らだけの自主的避難により99.8%が無事だった釜石の全小中学校や、地震直後より全員高台に避難させ在校児童が全員無事だった門脇小学校と対照的

大川小学校以外は、ほとんど避難できていました。

◆海に近かった大川小学校

列の後方にいた教諭と数人の児童は向きを変えて裏山を駆け上がり、一部は助かったが、迫りくる津波を目撃して腰を抜かし、地面に座り込んで避難できない児童も居た。

ほんの僅かな生徒のみが裏山へ逃れました。

生徒・児童の列は津波に向かっていく形になりました。助かったのは、最後尾にいた自動の数名だけでした。

平地を移動するという津波を想定するとあり得ないような避難となっています。

「孤立しているけれど、大丈夫だと聞いていた」。佐藤すえ子さん(37)は、長女の未空(みく)さん(6年)、長男の択海(たくみ)君(3年)が翌日には戻ると思っていた。「寒い中、一緒にいてあげられないなんて」。停電の闇の中、眠れないまま朝を迎えた。

翌日、子どもたちの遺体が見つかり始めた。22日までに、山の方で未空さんが、校内で択海君も見つかった。小学校のさらに上流でも家は水没し、近くの郵便局も駐在所もすべてが流されていた。

◆東日本大震災前に予想されていなかった浸水

予想図では、大川小学校まで津波が到達する事になっていませんでした。

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