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すごかった!数々の伝説を作り上げた「ピンク・レディー」の全盛期

1970年代に活躍した「ピンク・レディー」の全盛期はすごかった。「渚のシンドバッド」や「UFO」などミリオンセラーを連発し、当時では異例となる9作連続1位を獲得した。

更新日: 2017年01月25日

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▼70年代に活躍した伝説のデュオ「ピンク・レディー」

★未唯mie (当時: ミー)
1958年3月9日生、静岡県出身。

★増田恵子 (当時: ケイ)
1957年9月2日生、静岡県出身。

1973年: ヤマハボーカルスクールに通い始める
1974年: フォークデュオ「クッキー」を結成
1976年:「スター誕生」に出場し、「ペッパー警部」でデビューを果たす
1977年:「渚のシンドバッド」や「UFO」などヒットを飛ばす
1978年:「UFO」で「日本レコード大賞」を受賞する

1973年にヤマハ音楽が主催するオーディションにそれぞれ合格、特待生としてヤマハボーカルスクールに通う事になる。

フォークデュオ「クッキー」を結成し、デビューに向けてトレーニングしていた。

デビューのきっかけとなったテレビ番組『スター誕生!』出演時は、二人おそろいのオーバーオールを着、素朴な雰囲気で登場。

フォークグループ「ピーマン」の「部屋を出て下さい」を歌った。

決戦大会で最優秀賞に輝いた清水由貴子には多くのスカウトの手が上がったが、その2人組には相馬と、ビクターのディレクター・飯田久彦が指名したのみ。

清水にはレコード会社などからのプラカードが14社上がったが、ピンク・レディーは芸能プロダクション「アクトワン」とビクター音楽産業の飯田久彦しか指名されなかった。

オーディションでは素朴な田舎娘という印象があったことから、フォークデュオとしてデビューする予定だった。ユニット名の候補は「白い風船」、「茶ばたけ」、「みかん箱」だった。

▼初登場99位だったデビュー曲「ペッパー警部」

1976年8月に「ペッパー警部」でデビューしたものの、初登場は99位で翌週には103位へとランクダウンしている。しかしその後はロングセールスを記録し、翌年1月には最高4位にまで上昇した。12月には2ndシングル「S・O・S」が発売され、こちらも初登場42位と低めだったが、翌年2月には初となる1位を獲得するロングヒットとなった。このようにヒットしたのはフリを真似する子供が急増したことが挙げられる。また、年末の「第18回 日本レコード大賞」で新人賞を受賞したことをきっかけに知名度が上がったことも考えられる(最優秀新人賞は内藤やす子の「想い出ぼろぼろ」だった)。

1976年8月25日発売
1stシングル「ペッパー警部」
最高位: 4位

1976年11月25日発売
2ndシングル「S・O・S」
最高位: 1位

▼人気を不動のものにさせた1977年

1977年に入ると勢いが増し、3月に3thシングル「カルメン'77」では5週連続1位を獲得した。さらに6月に発売された4thシングル「渚のシンドバッド」では初のミリオンセラーを記録し、当時のアイドルとしては異例の8週連続1位を獲得したことで人気は社会現象となった。特に関連グッズが飛ぶように売れ、文房具や人形・食器・自転車など多くの商品が発売された。この頃になると平均睡眠時間が1時間ほどになっていた。

当時仕事が忙しく、二人は自分たちがどれほど人気があるのか分からず、地方公演で集まった観衆の多さで初めて人気の高さを実感した。

あまりの忙しさに、後に2人は「どんな仕事をしたのかほとんど覚えていない」と話している。

当時の睡眠時間は約2〜3時間だったそう。

1977年3月10日発売
3rdシングル「カルメン'77」
最高位: 1位

1977年6月10日発売
4thシングル「渚のシンドバッド」
最高位: 1位

9月に発売された5thシングル「ウォンテッド (指名手配)」は12週連続1位を獲得し、この曲で「NHK 紅白歌合戦」に初出場を果たした。12月には最大のヒット曲となった6thシングル「UFO」は発売され、翌年の「第20回 日本レコード大賞」を受賞している。ダンスレッスンをする時間が取れず、初披露の本番2時間前に初めてレッスンを受けたくらい多忙はピークに達していた。また、12月にケイが盲腸で入院したものの、退院2日後には日本武道館公演を控えており、傷口が塞がってなかったためガーゼを巻いてライブを行ったことがあったそう。

1977年9月5日発売
5thシングル「ウォンテッド (指名手配)」
最高位: 1位

1977年12月5日発売
6thシングル「UFO」
最高位: 1位

都倉先生に『ユーエフオーではなく、ユーフォーと発音しなさい』と言われて歌ったのですが、それから『ユーフォー』という呼び方が一般的になりましたね。

1977年度年間シングルランキングでは、シングル4作がTOP10入りを果たした。

1位「渚のシンドバッド」(4th)
3位「ウォンテッド (指名手配)」(5th)
7位「カルメン'77」(3rd)
8位「S・O・S」(2nd)
14位「ペッパー警部」(1st)

*「ピンク・レディー」の最強伝説

音楽番組で「痩せるために烏龍茶を飲んでいる」と発言したことがきっかけで、それまでは一般的でなかった烏龍茶の大ブームが起こった。その後世界初の缶入り烏龍茶が日本で発売された。

レコ大から紅白の移動で道路を通行止めにした

当時は追っかけのファンが多かったため、パトカーに先導されたこともあった。

▼ブロマイド年間売上1位を獲得した1978年

山口百恵や他のアイドル達の写真がスタジオなどできちんとした撮影がされているのに比べてピンクレディーの写真はその多くがテレビ局の廊下や階段などで撮影されたものが使用されている。

スタジオで写真を撮る時間がなかったため、移動の合間に撮影していたそう。

3月に発売された「サウスポー」は7作目にして初登場1位を獲得し、現在でも高校野球の応援歌の定番曲として知られている。また、この曲で「第9回 日本歌謡大賞」を受賞した。6月に発売された8thシングル「モンスター」でもミリオンセラーを記録したが、以降は事務所の方針により、これまでの"セクシー路線"から子供をターゲットにした"お子様路線"へと変更された。

ピンクレディーの作詞家・阿久悠は「作詞とは“時代”である」をポリシーとしていた。

「サウスポー」は当時一世を風靡した王貞治のホームラン世界新記録を背景としている。

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supernova4lmhさん

since 2016.01.22.
主にハロプロを中心に女性アイドルに関してまとめていきたいと思います。
最近はアイドル以外のこともまとめてます。