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すごかった!数々の伝説を作り上げた「ピンク・レディー」の全盛期

1970年代に活躍した「ピンク・レディー」の全盛期はすごかった。「渚のシンドバッド」や「UFO」などミリオンセラーを連発し、当時では異例となる9作連続1位を獲得した。

更新日: 2017年10月03日

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▼70年代に活躍した伝説のデュオ「ピンク・レディー」

★未唯mie (当時: ミー)
1958年3月9日生、静岡県出身。

★増田恵子 (当時: ケイ)
1957年9月2日生、静岡県出身。

1973年: ヤマハボーカルスクールに通い始める
1974年: フォークデュオ「クッキー」を結成
1976年:「スター誕生」に出場し、「ペッパー警部」でデビューを果たす
1977年:「渚のシンドバッド」や「UFO」などヒットを飛ばす
1978年:「UFO」で「日本レコード大賞」を受賞する

「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」「UFO」とミリオンセラーを連発

●元々は「フォークデュオ」だった

1973年にヤマハ音楽が主催するオーディションにそれぞれ合格し、特待生としてヤマハボーカルスクールに通いながらデビューに向けてレッスンを積んでいた。当時は「クッキー」というフォークデュオだった。

デビューのきっかけとなったテレビ番組『スター誕生!』出演時は、二人おそろいのオーバーオールを着、素朴な雰囲気で登場。

1976年1月に「スター誕生!」に出場し、フォークグループ「ピーマン」の「部屋を出て下さい」を披露した。

決戦大会で最優秀賞に輝いた清水由貴子には多くのスカウトの手が上がったが、その2人組には相馬と、ビクターのディレクター・飯田久彦が指名したのみ。

1976年3月に決勝大会が行われた。清水にはレコード会社などからのプラカードが14社上がったが、ピンク・レディーは芸能プロダクション「アクトワン」とビクター音楽産業の飯田久彦しか指名されなかった。

オーディションでは素朴な田舎娘という印象があったことからフォークデュオとしてデビューする予定だった。ユニット名の候補は「白い風船」、「茶ばたけ」、「みかん箱」があった。

●初登場99位だったデビュー曲「ペッパー警部」

1976年8月に「ペッパー警部」でデビューしたものの、初登場は99位で翌週には103位へとランクダウン。その後は順位が上がっていき、翌年1月には最高4位にまで上昇。12月に発売された「S・O・S」も初登場42位と低めだったが、翌年2月には1位を獲得し、ロングヒットを記録。ヒットの要因としてはフリを真似する子供が急増したことが挙げられる。また、年末の「第18回 日本レコード大賞」で新人賞を受賞したことをきっかけに知名度が上がったことも考えられる(最優秀新人賞は内藤やす子の「想い出ぼろぼろ」だった)。

1st「ペッパー警部」(4位)
2nd「S・O・S」(1位)

老舗のビクターでしたから、股を広げるダンスに『会社として恥ずかしくないのか!』と言われた。

テレビ局にクレームが来ることもあったそう。

●人気を不動のものにさせた1977年

1977年に入ると勢いが増し、6月に発売された4thシングル「渚のシンドバッド」では初のミリオンセラーを記録し、当時の音楽業界としては異例となる8週連続1位を獲得し、人気は社会現象となった。特に関連グッズが飛ぶように売れ、文房具や人形・食器・自転車など多くの商品が発売された。9月に発売された5thシングル「ウォンテッド (指名手配)」で年末の「NHK 紅白歌合戦」に初出場を果たした。

3rd「カルメン'77」(5週連続1位)
4th「渚のシンドバッド」(8週連続1位)
5th「ウォンテッド (指名手配)」(12週連続1位)

当時仕事が忙しく、二人は自分たちがどれほど人気があるのか分からず、地方公演で集まった観衆の多さで初めて人気の高さを実感した。

あまりの忙しさに、後に2人は「どんな仕事をしたのかほとんど覚えていない」と話している。

当時の睡眠時間は約2〜3時間だったそう。

1977年12月に最大のヒット曲となった6thシングル「UFO」が発売され、翌年の「第20回 日本レコード大賞」を受賞。ダンスレッスンをする時間が取れず、初披露の本番2時間前に初めてレッスンを受けたくらい多忙はピークに達していた。また、12月にケイが盲腸で入院したものの、退院2日後には日本武道館公演を控えており、傷口が塞がってなかったためガーゼを巻いてライブを行ったことがあったそう。

6th「UFO」(10週連続1位)

都倉先生に『ユーエフオーではなく、ユーフォーと発音しなさい』と言われて歌ったのですが、それから『ユーフォー』という呼び方が一般的になりましたね。

●「ピンク・レディー」の最強伝説

音楽番組で「痩せるために烏龍茶を飲んでいる」と発言したことがきっかけで、それまでは一般的でなかった烏龍茶の大ブームが起こった。その後世界初の缶入り烏龍茶が日本で発売された。

レコ大から紅白の移動で道路を通行止めにした

当時は追っかけのファンが多かったため、パトカーに先導されたこともあった。

ピンクレディーの二人は「ザ・ベストテン」に毎週のように出演してたの覚えてないらしい。黒柳徹子さんや久米宏さんのことは何も覚えていないそうな。酷い睡眠不足と過労で一種の記憶障害なんだろうな。   #歌う昭和のベストテン

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