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【戦国】徳川家康。織田信長を脅して援軍を乞うw(長篠の戦い)

また短編w見つけたんで作ってみましたw激短い暇つぶしですw

更新日: 2017年04月21日

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sakukenhiroさん

四戰紀聞 「参州長篠戰記」より抜粋 「徳川家康。織田信長を脅して援軍を乞うw」

天正三年(1575年)乙亥(きのとい)年四月、武田四郎勝頼、分國の勢を催し。凡て(すべて 意味:この場合「総勢」)二萬七千餘の兵を率い甲陽(甲斐国 ※1)を発し、遠州平山越えを経て参州宇利に著(着)し(※2)、猶兵を進めて、

五月朔日(五月一日(陰暦))より、神君(徳川家康)の旗下の奥平九八郎信昌、

及び援軍の将(※3リンクでどうぞ)、

五井(五井城。五井松平氏)の松平彌九郎景忠(原文注:後、太郎左衛門に改む)、

形原(形原城。形原松平氏)の松平又七郎家忠(原文注:後、紀伊守に任ず)、

福原(福釜城。福釜松平氏)の松平三郎次郎親俊

を籠め置かれた所の参州長篠の城を圍(囲)んでこれを攻める。

出典四戰紀聞 「参州長篠戰記」

※1甲陽 「甲」州+陰陽の「陽」で甲斐の国が明るく輝く様を現す言葉。

※2 静岡県浜松市北区三ヶ日町平山を経て、別所街道の宇利峠上に着陣したという事だと思う。一応地図を貼っておきます。

宇利峠及び平山の位置です。

※3 ↓籠城してた三系統の松平氏の居城リンク。

時に城兵堅く防禦(防御)して、(城は)遂に陥ることはなかった。

爰(ここ)に於いて、神君は御家人小栗大六重常(家康の旗本。度々使者で出て来る)を濃州(美濃国)岐阜へ遣わされ織田信長へ援兵を請われること兩度(両度。意味:二度)。

しかしながら武田信玄歿(没)することが既に(取り)沙汰あったため「勝頼が愚昧(意味:おろかで道理に暗いこと)。士叛き民怨み、自ら亡ぶのは近かろう」ということで信長は援兵を肯(うけが)い(意味:承知)なさらなかった。

(そのため)神君は重ねて小栗を遣わしなさる時に命じて曰く

「吾、先年信長と交和を整え「互いに救助すべし」と約してより、江州佐々木承禎(六角義賢)退治以来、数箇度これ(織田家)を救い信長に大功を遂げさせしめた。

信長今更違約して加勢なくんば、吾勝頼と和融して先鋒となり、尾州(尾張国)を攻め取って遠州(遠江国)を勝頼に授け、我は尾州を領すとしよう。

汝、密かに矢部善七郎(矢部家定。ポジ的に信長の秘書)にこの由(旨)を告げるべし」と仰せになったので、

出典四戰紀聞 「参州長篠戰記」

大六は(再び)濃州へ往って、重ねて援兵を要請したのだが(原文:乞ひしかども)信長の許容はなかった。

(そのため)大六は早速(原文:即ち)右の密旨を矢部に語ったところ、信長は大いに驚いて軍を催しなさった。

出典四戰紀聞 「参州長篠戰記」

信( ̄∇ ̄)y-~~勝頼はバカだからほっときゃええ。援軍?フンw知らんw

<(小栗)>



小栗(;--)コソコソ<うちのボス裏切るって言ってまっせ。 矢部(°Д°)<なんだってえぇっ!



信(;°Д°)<し、出陣じゃあ!

 矢部<(_ _;)> <殿。かくかくしかじか  小栗( ̄ー ̄)⁺ニヤリ

                                 家康( ̄∇ ̄)b


また遊んですいませんw

援軍出さねえ信長さんも信長さんですがwww権現さんもタチ悪いっすわwww

また一覧だけ貼っておきます。

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