天正三年(1575年)乙亥(きのとい)年四月、武田四郎勝頼、分國の勢を催し。凡て(すべて 意味:この場合「総勢」)二萬七千餘の兵を率い甲陽(甲斐国 ※1)を発し、遠州平山越えを経て参州宇利に著(着)し(※2)、猶兵を進めて、

五月朔日(五月一日(陰暦))より、神君(徳川家康)の旗下の奥平九八郎信昌、

及び援軍の将(※3リンクでどうぞ)、

五井(五井城。五井松平氏)の松平彌九郎景忠(原文注:後、太郎左衛門に改む)、

形原(形原城。形原松平氏)の松平又七郎家忠(原文注:後、紀伊守に任ず)、

福原(福釜城。福釜松平氏)の松平三郎次郎親俊

を籠め置かれた所の参州長篠の城を圍(囲)んでこれを攻める。

出典四戰紀聞 「参州長篠戰記」

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【戦国】徳川家康。織田信長を脅して援軍を乞うw(長篠の戦い)

また短編w見つけたんで作ってみましたw激短い暇つぶしですw

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