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【閲覧注意】残酷すぎる!江戸時代の処刑方法・画像と解説まとめ【グロ注意】

残酷!江戸時代の処刑方法の画像と解説まとめです。グロ要素を含むので苦手な方は閲覧をお控え下さい。

更新日: 2019年02月06日

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illdarkさん

釜茹で

釜茹で(かまゆで)とは、大きな釜で熱せられた湯や油を用い、罪人を茹でることで死に至らしめる死刑の方法である。

京都で処刑された五右衛門の処刑方法は、地獄における刑罰の再現ともいえる。

生き胴

刑場に土を盛って「土段場(土壇場)」というものを作り、そこに目隠しをした罪人をうつぶせに横たえて、2名の斬手が同時に頸と胴を斬り放すものである。延宝8年と元治年間にこの刑に処せられた者がある。

石子詰

地面に穴を掘り、首から上だけ地上に出るように、人を生きたまま入れ、その周囲に多くの小石を入れ、圧殺したもの。
刑罰としては、越後国上杉家で行なわれた。「俚諺集覧」に、「小石にて人を生きながら埋める刑なり、中古辺土にて往々ありしことなり」とある。江戸時代、寛永5年(1628年)、奈良の春日社の狛犬を盗んだ山伏を飯合川で石子詰めにした記録がある。春日野のシカ殺しの犯人は興福寺で石子詰めにされたという

牛裂き

罪人の両手、両足と、2頭または4頭のウシの角とを縄でつないだのち、ウシに負わせた柴に火を点け、暴れるウシを2方または4方に走らせて罪人の身体を引き裂き、死に至らしめる処刑法である。

獄門

獄門(ごくもん)とは、江戸時代に庶民に科されていた6種類の死刑の一つで、斬首刑の後、死体を試し斬りにし、刎ねた首を台に載せて3日間(2晩)見せしめとして晒しものにする公開処刑の刑罰。

首を晒す台を獄門台といい、高さ6尺(下部を土に埋めるので実際には4尺 (1.2m))の台に五寸釘を二本下から打ち、ここに首を差し込んで周りを粘土で固める。夜は首が盗まれたり野犬の類が持っていかないよう桶を被せ、非人数名が火を焚いて寝ずの番をした。獄門台の横には罪状を書いた捨札(すてふだ)が立てられた。

鋸挽き

鋸挽き(のこぎりびき)は、死刑の一で、罪人の体を鋸で挽く刑罰である。

復讐刑としての意味合いも強く、縛り付けた罪人の首に浅く傷をつけ、その血をつけた鋸を近くに置いて、被害者親族や通行人に一回か二回ずつ挽かせ、ゆっくりと死なせる刑罰であり、江戸時代より以前には実際に首を鋸で挽かせていた。 さらには罪人を逆さに固定し、股から逆に身体を挽くことでさらに苦痛を長引かせることもあった。

鼻そぎ

劓(はなそぎ、はなきり)は、人間の鼻を削ぐ行為を指す。目的としては、刑罰として科す場合と、戦において討ち取った首の代わりとして切り取る場合の二通りがある。

処刑は公開で行われ、牢内で罪を認めた後に獄死した者に対しても死体を塩漬けにして保存しておき、判決が出された後に磔が執行された。

まず、刑場において地面に置いた磔柱に縄で手首・上腕・足首・胸・腰部を固縛し衣類を剥ぎ取り(槍で突き上げるために両の乳房から脇腹を露出するよう衣類の一部を剥ぎ、剥いだ布を体の中央で束ねて縛る)、数人掛りで磔柱を立て、柱の下部を地面に掘った穴に入れ、垂直に立てた。磔柱の形状は、男性用が「キ」の字、女性用が「十」の字で、男性用は股間部に、女性用は足の下に体重を支える台があった。このため男性は大の字の形になり、女性は十の形となって柱に身動きできないように固縛された。

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