1. まとめトップ

これぞ日本男児!かつて海賊と呼ばれた≪出光佐三≫の生き様がすごい

映画公開中の≪海賊と呼ばれた男≫で主人公 国岡鐵造のモデルとなった出光佐三の壮絶な人生を紹介します!

更新日: 2017年02月04日

6 お気に入り 15024 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

≪海賊と呼ばれた男≫の主人公 国岡鐵造のモデル

出典rkb.jp

1885年8月22日 - 1981年3月7日
出身校:神戸高等商業学校(現・神戸大学経済学部)
明治から戦後にかけての日本の実業家・石油エンジニア・海事実業家で石油元売会社出光興産の創業者

神戸で小麦粉と石油・機械油などを扱う従業員3人の酒井商店に丁稚として入店。

当時、神戸高等商業学校の卒業生は海運会社の社員に就職するのが通常だったため、学友から「お前は気違いだ。学校のつらよごしだ」と非難を受けた。

日田重太郎(資産家。日田の息子の家庭教師を佐三がしていた)から別荘を売却して得た資金8,000円を渡され、満25歳で独立し出光商会を設立

その条件が一風変わっていて、「ただやるのだから返さなくていい。利子もいらない。また、事業の報告もしなくてよい。君が好きに使え。ただ、独立を貫徹すること。そうして兄弟仲よくやってくれ。」というものであった。

佐三は日本石油(現・JXエネルギー)の特約店として機械油を扱い、現在の出光興産の前身となる出光商会を設立。現在は誰もが見たことがある会社にまでなっています。

創業当時、ひとくくりに「機械油」とされていたのを、納入先の機械の特性を見極め、それぞれに適合した油を提案営業することで事業に弾みをつける。

同業者の反発も意に介さず、漁船向けに海上で給油するサービスも展開して売り上げを拡大した。

当時、特約店ごとに縄張りがあるという商習慣に疑問を持ち、「陸上には縄張りがあるかもしれないが、海上にはなかろう」との理屈で商売をしていたため、同業者から≪海賊≫と呼ばれた。

1906年から1945年まで存在した南満州において鉄道運輸業を営んでいた日本の特殊会社

1919年、酷寒の地・満州で車軸油が凍結し、貨車のトラブルが続出していた南満州鉄道に「2号冬候車軸油」を無償で提供。

当初は使われてすらいなかったが、単身満州にわたり満鉄本社に直談判し、現地で試験を行い、事故を一掃した。1927年満鉄創立20周年時、感謝状と銀杯が贈られた。

戦時中は、政商となることなく軍と対立しつつも、取り扱う油の高品質さや営業マンの奮闘を武器にして、満州、朝鮮半島、台湾の市場で手広く事業を展開した。

石油の業界団体に加わっていなかったことから、周囲の妨害も並大抵のものではなく、石油業界からはみ出し者扱いを受けていました。

終戦後

当時の本社があった出光館

戦後の焼け野原となった日本において、失業者があふれる中、佐三氏は、1000人の社員を一人と首にすることなく、家族のように養った。

事情が事情なのだから、社員を縮減して企業存続を考えるであろうが、佐三氏の発想はそうではなく、なんとか仕事を探し、ラジオの修理の全国展開を銀行から多額の借金をしてもやろうとした。

出光の創業以来の社是は、「社員は家族」「非上場」「出勤簿は不要」「定年制度は不要」「労働組合は不要」。

小さな個人商店ならわかるが、大企業がこのような社是とは社員は大丈夫かと思いたくなるが、社員は、なんら文句を言うこともなく仕事をした。例えば、GHQから指令されたが、どの企業もやることに手を上げなかった石油タンクに残った油のくみ出しを、出光社員の人海戦術でやりとげたのである。

石油業界が外国の石油資本7大メジャーに日本の各社が飲み込まれるも、出光は、日本全体が蹂躙されてしまうことを防いだ。

各社が続々と傘下に下る中、佐三は申し出を断固として断り、メジャーと闘い続けることを選びました。

戦後の1953年には、国際石油資本(石油メジャー)から離脱したイランから、自社のタンカーである日章丸で直接石油を輸入することに成功した。

イランは、7大メジャーに長い間支配されて来たことに闘って、モサデク首相のもとイギリスの国策会社アングロ・イラニアンを自国の会社とした。そのために厳しい経済封鎖をかけられ、イランの石油を運び出そうとする船舶は、イギリスの軍艦により拿捕される状況にあった。

イランと石油国有化をめぐって紛争中だった英国を敵に回しての成功劇は、出光の名を世界中に知らしめることになった。

隠密裏にイランとの交渉を進め、自社の日章丸をイランへ送ったため日章丸の乗組員さえ行き先を正しく教えられることなく航海した。イランへ行き先を変更したとき、「イランの石油を購入することでイランを助け、日本の石油業界の未来に貢献する」という佐三氏の檄文を船長が読み上げると、戦場に赴く危険な任務を明かされたのにもかかわらず乗組員から「万歳」の声が何度も轟いた。

難題を乗り切ろうとして必死に努力をする社員と、佐三氏が有する信頼できる人脈が、危機を回避し、交渉を実りあるものへと変えていった。

佐三氏の魅力やその精神すなわち「人間尊重」,「和の精神」,「国のためを第一に考えること」が社員が一同となる最大の原動力でした。こういった佐三氏の日本男児の考えが今の日本には必要なのかもしれません。

その他のエピソード

出光興産一社提供の『題名のない音楽会』ですが、通常30分番組は15分程度で中途にCMが入るところを、佐三の「芸術に中断は無い」との考えに基づき、最初と最後の提供コール前後しかCMは入らず、本編は通しで放送される構成となっています。

併せて読みたい

1