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ロシアの【タタールスタン共和国】ってどんなトコ?その歴史と観光地を紹介''文明の十字路''

ロシア内に位置する共和国タタールスタンについて

更新日: 2017年06月03日

pskovkazanさん

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ロシア内に位置する''タタールスタン共和国''についてまとめます

赤く塗られた場所がタタルスタン共和国。ヴォルガ川流域に位置しています。

このうち、「タタール人」の住む地域にはタタールスタン共和国が建設されました。ロシア国内には22(21)の共和国が存在します。特に有名なのはチェチェン共和国(地図上20番)、サハ共和国(地図上14番)あたりでしょうか。タタールスタンは地図上16番です。

【まずは少々堅苦しい歴史の前にこの地の観光名所などを紹介します!!】

カザンは11世紀初頭にブルガール人により建設された街でその後モンゴルによる支配を経てイスラムが定着。ロシアにより併合された後もその文化を維持したためクレムリン(要塞)内にはロシア正教会とイスラムのモスクがその共存と調和を見せる。

画像左側に2つ大きな建物がある。より左のものが1554年,つまりこの地がモンゴルからロシアへと陥落した直後に建てられたブラゴヴェシェンスキー大聖堂。そしてその右に位置する4つのミナレット(塔)が特徴的な青いモスクはこの街がロシアによって陥落させられる時に崩壊したクル=シャーリフ・モスクを再建したもの。キリストとイスラムの共存も興味深いが雪を頂くモスクというのもなかなか味わい深い。

カザンの象徴的存在。もとは15世紀頃に建築されたがイヴァン雷帝の征服時に破壊され、ソ連崩壊後の民族意識の高まりとともに復元された。

ちなみにかの革命家レーニンはこのカザン大学に在籍していたが学生運動に参加していたことで追放されている。ちなみに後に彼は超難関サンクトペテルブルク大学に満点近くで合格し入学した。大学は1804年に創立され、建物自体は1825年のもの。 ロシア帝国で3番目に古い大学である。

ロシアでも10本の指に入る都会のカザンは古い町並みとともに近代的なビルも存在する。写真ではヴォルガ川が凍結している。

タタールスタン共和国の首都カザン,人口は120万人ほど

ヴォルガ川はカザン及びタタールスタンの歴史とともにあった。

【タタール人とタタールスタンの歴史】

【大ブルガリア国】600年前半~後半

タタール人はテュルク系の「ブルガール人」を先祖とする。彼らは600年代にアゾフ海を中心に部族連合「大ブルガリア国」として栄えた。

【ヴォルガ・ブルガール国】7c–1240s

大ブルガリア分裂後,北方に移住したものはヴォルガ川流域に落ち着き、ヴォルガ・ブルガール国を現在のタタールスタンの地に建国。

ちなみに現在の「ブルガリア人」はこの分裂の際にドナウ方面に流れたブルガール人が現地の南スラヴ人と同化したものの子孫である。

画像はヴォルガ・ブルガール国の首都であったボルガルの遺跡。イスラム建築の宝庫だ。13世紀当初から残るものもある。世界遺産に登録されている。

画像はヴォルガ・ブルガール国の辺境の要塞の遺構。「悪魔の塔」と呼ばれている。エラブガ市。12世紀建築。

【モンゴルによる征服とカザン=ハン国の成立/ブルガールからタタールに】1240s–1552

1223年にはモンゴル帝国軍を一度撃退するも1236年のバトゥによる再侵攻によりついに敗北。

ブルガール人の呼称が「タタール」に入れ替った。

クル=シャーリフ・モスク内部。元々は16世紀に建築されたがイヴァン雷帝の征服により破壊された。写真のものは復元されたもの。

【ロシアのタタールスタン攻略・カザン=ハンの滅亡】

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