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pskovkazanさん

ロシア内に位置する''タタールスタン共和国''についてまとめます

赤く塗られた場所がタタルスタン共和国。ヴォルガ川流域に位置しています。

このうち、「タタール人」の住む地域にはタタールスタン共和国が建設されました。ロシア国内には22(21)の共和国が存在します。特に有名なのはチェチェン共和国(地図上20番)、サハ共和国(地図上14番)あたりでしょうか。タタールスタンは地図上16番です。

【まずは少々堅苦しい歴史の前にこの地の観光名所などを紹介します!!】

首都カザンはイスラムを受容していたブルガール人が11世紀初頭に建設した砦に端を発する街でその後モンゴル支配を経て発展。ロシアにより併合された後もイスラムの信仰を維持したためクレムリン(要塞)内にはロシア正教会とイスラムのモスクがその共存と調和を見せる。

画像左側に2つ大きな建物がある。より左のものがこの地がモンゴルからロシアへと陥落した直後の1554年に建てられたブラゴヴェシェンスキー大聖堂。そしてその右に位置する4つのミナレット(塔)が特徴的な青いモスクはこの街がロシアによって陥落させられた時に崩壊したクル=シャーリフ・モスクを再建したもの。キリストとイスラムが美しい共存を見せる。また雪を頂くモスクというのもなかなか味わい深い。

カザンの象徴的存在。もとは15世紀頃に建築されたとされているがイヴァン雷帝による征服時に破壊され、ソ連崩壊後の民族意識の高まりとともに復元された。

かの革命家レーニンはこのカザン大学に在籍していたが学生運動に参加していたことで追放されている。ちなみに後に彼は超難関サンクトペテルブルク大学に満点近くで合格し入学した。大学は1804年に創立され、建物自体は1825年のもの。 ロシア帝国で3番目に古い大学である。有機化学分野で名高い。

ロシアでも十指に入る大都市のカザンは古い町並みとともに近代的なビルも存在する。写真ではヴォルガ川が凍結している。

カザンは人口は120万人ほどの都市

''ヨーロッパ''の町並みが広がる

ヴォルガ川はカザン及びタタールスタンの歴史とともにあった。

【タタール人とタタールスタンの歴史】

【大ブルガリア国】600年前半~後半

タタール人はテュルク系民族の「ブルガール人」を先祖とする。彼らは600年代にアゾフ海を中心に部族連合「大ブルガリア国」を形成し栄えた。

【ヴォルガ・ブルガール国】7c–1240s

大ブルガリア分裂後、コトラグに率いられ北方に移住したものはヴォルガ川流域に落ち着き、ヴォルガ・ブルガール国を現在のタタールスタンにあたる地に建国。

ちなみに現代の「ブルガリア共和国」の「ブルガリア人」はこの分裂の際にアスパルフに率いられドナウ方面に流れたブルガール人が現地の南スラヴ人と同化したものの子孫である。

これを受け922年頃にアッバース朝カリフのムクタディルはイブン・ファドラーンらの使節団をこの地に派遣し、国交の樹立やモスクの建設やイスラム法の伝授などにあたらせている。またファドラーンはその旅程を『ヴォルガ・ブルガール旅行記』という書に著している。画像はヴォルガ・ブルガール国の首都であったボルガルの遺跡。イスラム建築の宝庫だ。13世紀当初から残るものもある。世界遺産に登録されている。

画像は同国のエラブガにあるヴォルガ・ブルガール時代のの辺境の要塞の遺構。「悪魔の塔」と呼ばれている。12世紀建築。

【モンゴルによる征服とカザン=ハン国の成立/ブルガールからタタールに】1240s–1552

1223年にはモンゴル帝国軍をサマラ屈曲部で撃退したが1236年のバトゥによる再侵攻には四度に渡って弾き返すもついに敗北。ちなみにその後更にモンゴル軍は西に転戦し現在のロシアにあたる地域をも征服しました。

キプチャク=ハン国の首都サライでの権力闘争に敗れたウルグ・ムハンマドがヴォルガ・ブルガールの故地に退き1438年にカザン=ハン国を分立させ建国。また建国直後の1445年には隣接するロシアへの襲撃も行いスーズダリの戦いにてウルグ・ムハンマドとマフムーデクらはモスクワ大公のヴァシーリー2世を破り捕虜にまでしています。

ブルガール人の呼称が「タタール」に入れ替った。

クル=シャーリフ・モスク内部。元々は16世紀に建築されたがイヴァン雷帝の征服により破壊された。写真のものは復元されたもの。高名なイスラム知識人のクルシャーリフ(人名)はかつてこのモスクで活躍し後のロシアによる侵攻の際には抵抗活動をし戦死した。

【ロシアのタタールスタン攻略・カザン=ハンの滅亡】

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