大坂夏の陣の最終決戦にも敗れると、将軍・徳川秀忠の娘で、豊臣秀頼の正室である千姫とお初(常高院)を城から脱出させて「今回の騒動は大野治長1人の責任」と、自分の切腹を条件に、豊臣秀頼と淀殿の助命嘆願を行った。
 しかし、聞き入れられず、豊臣秀頼・淀殿・大蔵卿局 (大蔵局)らとともに5月8日、大坂城の山里曲輪で自刃した。享年47。(45とも?)

出典大野治長~大阪城にて淀殿を最後まで支えた豊臣の忠義者 -戦国武将1000記事

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