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KatesHeroさん

黄月英 ~西域からの渡来人~

『三国志』蜀書諸葛亮伝の註に引く「襄陽記」によると、河南郡の名士であった黄承彦が「君は妻を探していると聞いたが、私には娘がいる。黄毛で色黒の不美人だが、才知の方は君とお似合いだ」と言い、諸葛亮も承知したので娘を車に乗せて送り届けた。このことは当時の人々の物笑いの種となり、郷里では諺を作って「孔明の嫁選びを真似るなかれ、阿承(黄承彦)の醜い娘をもらう羽目になるぞ」と言ったという。

赤毛色黒であるという事から「実は外国人であった」という逸話。つまり黄承彦は実父ではなく、西域からの渡来人を養女にしたという解き明かしである。

馬超孟起 ~羌族とのクウォーター~

父馬騰が羌族との混血であったため(『典略』)、この血を引いている馬超も漢王朝の支配を受けない民族からの信望が厚かった。関中の独立軍閥の長の座を父から引き継ぎ、曹操に服属していたが、後に韓遂と共に曹操に反乱を起こして敗れた。一族も勢力も失い流浪した末、益州の劉備の下に身を寄せ、厚遇を受けた。

馬騰寿成 ~羌族とのハーフ~

父馬平は天水郡蘭干県の丞(副長官)を務めていたが、何らかのことで官位を失い、隴西郡(甘粛省南部)に留まった。馬平は家が貧しかったものの妻がなかったため、遂に羌の娘を娶り馬騰が生まれた。

家業を営んでいなかったため、幼い馬騰は彰山で材木を切って背負い城市で売ることで生計を立てていた。成人した馬騰は、身長6尺を越え容貌も雄異であり、その性格は温厚かつ賢明であったので多くの人が尊敬したという。

孫権仲謀 ~碧眼紫髯~

異相で、あごが張って、口が大きく、瞳にはキラキラとした光があった(『江表伝』)。
漢の劉琬いわく 「自分が孫氏の兄弟を観たところ、中弟の孝廉(孫権のこと)だけは形貌は奇偉で骨体は世のつねの人ではなく、大貴人の趣きがある。また天寿も最も長いだろう」。
野史には「背は高いが胴長短足で、紫髯(赤ひげ)の持ち主だったと云われる」(『山陽公載記』)(『献帝春秋』)。
孫権は将軍の時、「至尊」と呼称されている。
小説『三国志演義』では碧眼を持つとも描かれ、「碧眼児」(蒼い目の童)と呼ばれる。

呂布奉先 ~北方騎馬遊牧民族~

呂布の生まれは并州五原郡九原県であり、この辺りは遊牧騎馬民族である匈奴との国境付近にあたる。そのため、呂布にもモンゴル系の血が流れているという説があるし、呂布の部下には騎射に長けたモンゴル系の兵がそろっていたと言う説もある。呂布の率いる騎馬隊の力を見る限り、前の説はともかく、後の説は間違いないだろう。

呂布が生まれた土地は、漢民族と遊牧民族の辺境と考えられています。呂布自身も、モンゴル系、或いはトルコ系と漢族の混血とも考えられているのです。
遊牧民には、漢民族とは異なるルールが存在しました。それは、「強いものが全てを手に入れる」というルールです。裏切りも汚いもありません、どんな手を使おうが、敵を倒してしまった者が強者なのです。義理がどうの、恩義がどうのという倫理観は、漢民族のもので遊牧民にとっては預かりしらないものでした。
呂布も、この遊牧民の感覚と同じであって、劉備を頼って来た時も袁術と戦い危機に陥った劉備の隙を突いて領地を奪っています。

孟獲 ~南蛮人代表~

『華陽国志』「南中志」と『蜀志』諸葛亮伝によると、建寧郡(雲南省晋寧県付近。福建省建寧県とは別)出身。雍闓が蜀漢に対して反乱を起こした際に、孟獲も反乱に加担し、雍闓の命を受けて南中(現在の雲南省周辺、または南方のミャンマー北部)の者達に蜀漢に対して反乱を起こすように説得して回った。
225年、諸葛亮が南征して来ると周りの人間は雍闓を殺し、孟獲を擁立した。孟獲は諸葛亮の前に何度にも亘り捕まるが、その度に放された。諸葛亮は仮に武力でこの地を征服しても、蜀漢軍が撤退すれば、いずれ反乱が再発する事を予見していたので、現地の人達を心服させるために、このような処置を採ったといわれている。孟獲は七度目に放された時、ついに諸葛亮に心服し蜀漢への帰順を誓ったという(七縱七禽)。

兀突骨 ~もはやホモサピエンスではない?~

南蛮にある烏戈国(烏滸族)の王という設定である。身の丈十二尺(後漢の尺で276cm、魏・晋の尺で288.2cm)の大男で、体が鱗で覆われている。また穀物の類は一切食べず、生きた獣や蛇を食べている。

油を藤の蔓に染み込ませて鎧状に編んで乾かした藤甲を着た、刀や矢も通用せず川などでは浮いて移動する最強の兵、藤甲軍を率い、自らは象に乗っていた。6度蜀漢軍に敗走した孟獲に替わり蜀軍に大勝し苦戦させる。しかし、藤甲の製造法と火に弱いことを知った諸葛亮は魏延に策を与え、魏延が何度も敗走して兀突骨を盤蛇谷に誘い込み、地雷により部下もろとも全員焼き殺してしまう。兀突骨軍全滅後、諸葛亮は兀突骨の軍勢に化け、孟獲が現れると諸葛亮らを討ち取ったと偽っておびき出して孟獲を捕らえたという。

古代中国人は黄色人種ではなく、コーカソイド

古代の漢民族と、現代の漢民族が人種が違うという、おもしろい話があります。
黄河文明の遺跡から出土する人骨のDNAを調べてみると、それらはモンゴロイドではなく、なんとコーカソイド、つまり白人種だったというのです。
これは東大の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝研究所の王瀝(WANG Li)らによる古代中国の人骨のDNA分析研究の成果です。

研究の対象となったのは、
1 約2500年前の春秋時代の人骨
2 約2000年前の漢代の臨シ(中国山東省、黄河下流にある春秋戦国時代の斉の都)遺跡から出土した人骨
3 現代の臨シ住民、です。
これらの人骨から得たミトコンドリアDNAの比較研究の結果によると、三つの時代の臨シ人類集団は、まったく異なる遺伝的構成を持っていました。

中国にはもともと揚子江のほとりに、稲作を行うモンゴロイドが住んでいたのですが、ある日、黄河の流域に、大型の動物を追ってやってきたコーカソイド(白人種)が住み着くわけです。
白人種たちは、大型動物を捕って食べますから、大型の武器を持っています。住まいは竪穴式住居です。
モンゴロイドたちは、農耕文化ですから、武器ではなく、クワやスキを手にしていて、武器を持ちません。住まいは、食料保管のために高床式住居です。
その武器を持たないモンゴロイドのところに、ある日、武器を持った白人たちが現れる。法のない時代に、武器を持った者たちは、武器を持たない者たちの前では、まさに超人です。
モンゴロイドたちは襲われ、食べ物を奪われ、女性たちは強姦されたことでしょう。

モンゴロイドたちだって黙っていません。復讐のために武器を手にして、コーカソイドたちに戦いを挑みます。互いに殺され奪われた恨みがきっかけの戦いです。戦いは凄惨をきわめたことでしょう。
こうして春秋戦国時代が始まります。 双方は互いに大軍を率いるようになり、凄惨な殺し合いと強姦が起こる。
結果として、白人種とモンゴロイドの血が混じり、彼らの外観は、数の上で圧倒的多数であるモンゴロイドに近いものとなりました。

現代の臨シ住民のDNAです。彼らの中には、ミトコンドリアの中にだけ、コーカソイドのDNAが発見されます。これが何を意味しているかというと、ミトコンドリアのDNAは、母親から娘にしか遺伝しません。
つまり、現代漢民族のDNAには、ミトコンドリアの中だけに、白人種のDNAが含まれているのです。
これが何を意味するかというと、要するに血の気の多い、コーカソイド系の人を殺すことを何とも思わない男たちのDNAは、殺し合いの結果、自滅してしまい、結果として女性から女性に遺伝するミトコンドリアDNAの中にだけ、大昔の征服者であるコーカソイドのDNAが残っているわけです。

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