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KatesHeroさん

日本史上、外国史書に名の残る最初の人物は

帥升(すいしょう、生没年不詳)は、弥生時代中期・後期の倭国(まだ統一国家ではないクニの一つ)の有力な王と推測される。西暦107年に後漢に朝貢した。

しかし、学校の歴史教科書に出てくる日本史上最初の王は卑弥呼

多くの日本人が誤解をしている

卑弥呼は、『魏志倭人伝』等の中国の史書に記されている倭国の王。邪馬台国に都をおいていたとされる。封号は親魏倭王。

元々は男子を王として70 - 80年を経たが、倭国全体で長期間にわたる騒乱が起こった(いわゆる「倭国大乱」と考えられている)。そこで、卑弥呼と言う一人の少女を女王に共立することによってようやく混乱を鎮めた。

邪馬台国に居住し、鬼道で衆を惑わしていたという。(この鬼道や惑の意味には諸説あり正確な内容は不明)ただし中国の史書には、黎明期の中国道教のことを鬼道と記している例もある。

魏から親魏倭王の仮の金印と銅鏡100枚を与えられた。

日本神話(神代神話)ではアメノミナカヌシやイザナギ・イザナミ、アマテラスなどが天地開闢、国産みを行ったとされる

皇室の祖神で、日本国民の総氏神。
天岩戸の神隠れで有名であり、記紀によれば太陽を神格化した神。

帥升について

『後漢書』の「東夷伝」によると

『建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬』

建武中元二年(西暦57年)、倭奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界なり。光武賜うに印綬を以てす

西暦57、後漢に朝貢してきた【倭奴国王】に光武帝により【漢委奴国王】銘の印綬が授けられる。
この金印は江戸時代に福岡藩の百姓が志賀島で畑を耕していた時に偶然見つけられており、【奴国】が現在の福岡市の領域に有ったことが確認されています。

「安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見」

安帝、永初元年(107年)倭国王帥升等、生口160人を献じ、請見を願う

名前について

『後漢書』の原本は残っていない。

現存する『後漢書』の写本には、「帥升等」と書かれている。『翰苑』の、『後漢書』を引用した箇所には「帥升」とある。また、北宋版『通典』には、「師升等」とあり、『唐類函』「百十六巻」「変塞部一」「倭」の条の、『通典』を引用した箇所には「師升等」とある。

「帥升(師升)」が、姓名(「帥」または「師」=姓、「升」=名)であるのか、名(「帥升」または「師升」=名)であるのかは議論が分かれている。中国に「帥」という姓が非常に希なため、「帥」は誤記ではないかとする説もある。

同様に「升」を「斗」の誤記とする説もある。また、「帥升」「師升」ではなく「帥升等」「師升等」で一つの名だとする説や、「帥」を名ではなく職名(元帥を意味するか)とする説も提出されている。

【帥升】は中国史書に始めて登場する【倭人】の固有名詞ですが、【倭国王帥升等】と複数形で記されています。これは何故かと云うと、この時【後漢朝】に貢献してきた者は、この頃【倭】に出来た連合国【倭国】を構成する小国の王達であり、その代表が【倭国王帥升】だったからでしょう。【後漢朝】は【倭国】を構成する小国王それぞれに対し謝意を込め、【倭国王帥升等】と資料に書き残したのだと思われます。

又、此処に【倭国王】の名が記されているからには、中国ではこの頃迄に、連合国【倭国】の存在が、既に一般に認知されるに至っていたようです。

*あくまでも中国の歴史書に記載がある倭国の王と自称した最初の人間

22: 名無し募集中。。。 2013/02/20 23:55:50

神話は別として
帥升というはっきり記録に残った最古の王が居るのに
卑弥呼の方が知名度が高く勘違いされやすい状況
なぜこうなったのか


24: 名無し募集中。。。 2013/02/20 23:56:54

だって卑弥呼かわいいんだモン

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