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認知的不協和とは

「誰でも」「いつでも」「やらかしているかもしれない」こと。これは、人がなかなか変わることができない理由である。

更新日: 2017年01月04日

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Four-Colorさん

誰もが日常的に陥っている

・禁煙できない→むしろ喫煙者のほうが頭いい。
・菜食主義耐えられない→むしろお肉も食べないと体に悪い
・50万円の掃除機を買ったら販売会社が摘発された→むしろよく吸う
・50万円の布団→むしろよく寝れる
・ブラック企業勤務→むしろこの仕事が好き

我々は生涯の中で誰しもこの罠に引っかかるものであり、それは自己欺瞞という形で露骨に現れる。自分のことを親切で、愛情深く、人の面倒見がよいと自覚している人の中に、例外なくあるものだ。

誰一人として四六時中そのように生きていられるわけがないのであるから、間違いなくインチキである。一人の例外もなく、である。

例えば高級外車に対して、
「いくら馬力があっても日本ではスピード規制があるから意味が無い」
「ガソリンばかり使って無駄なもの」
「成金趣味でカッコ悪い」
などと考えることで、自分の認知的不協和を紛らわせ正当化しようとする。

認知的不協和とは

認知的不協和(にんちてきふきょうわ、英: cognitive dissonance)とは、人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。

アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。

相矛盾する「二つの思考」「二つの現実」が沸き起こりとても不快に感じる。

人はこれを解消するために、自身の態度や行動を変更すると考えられている。

不協和の解消に駆り立てる

不協和の存在は、その不協和を低減させるか除去するために、なんらかの圧力を起こす。

認知的不協和の度合いが大きければ、不協和を低減させる圧力はその度合いに応じて大きくなる。

今までが正しいと思い込む

一般的に言えば、取った行動が極端であるほど、その行動を促した信念にしがみつくことになる。
その信念が間違っていることを本人に示す明白で取り消せない証拠が発生する。これは信念と体験の間に認知的不協和を生み出す。

個人としては信念と体験の矛盾があまりにも明らかであり、言い逃れできない状態にある。そのような境遇の人が他にもいることにより、お互いの自己欺瞞を助長するので、どのような体験をしたとしても、信念は維持されることになる。

つじつま合わせ

あるコミュニティで何らかの災害が発生していると、不合理な恐ろしい噂が災害が起こっていない隣接するコミュニティに広がる。

これは脅威に直面していない人が、それらの不安を正当化する必要があるためである [1]。

フェスティンガーは、単調な作業を行わせた学生に対して報酬を支払い、次に同じ作業をする学生にその作業の楽しさを伝えさせる実験を行った。

報酬が少ない学生は、報酬が多い学生よりも楽しさを伝える度合いが強く、割に合わない報酬に対して「本当は面白かったのかもしれない」と、認知に修正を加えて不協和を解消しようとする心理が強く働いているとした。

「群れ」が暴走を助長させる

「信念を維持するには組織的な支えが必要である。孤立した信者が、我々が言及したような矛盾した証拠に耐え抜くことはあまりない。

お互いに支えあうことができるグループの中で確信している場合には、信念は維持されるものと考えられる。

そして、信者たちは、その信念が正しいものとして、組織外の人々を説得し、改宗させようとする」

後出しの修正

例えば、エホバの証人を見るがよい。世界の終末の日を設定していたのだが、実際に起きなかったので新しい日付に設定し直しただけだ。

世界は変わることなく、空にイエスが出現することもなく、その日が過ぎたとき、認知的不協和は信念と事実の矛盾を引き起こしたが、信念を正当化するための新しい説明によって片付けられた。この例では世界滅亡の日が延期された。

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