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耳に残るメロディの達人「小林亜星」が偉大すぎた

作曲家の小林亜星が中川翔子(しょこたん)MC『アニソン・アカデミー』に登場。アニソン界のパイオニアとしての存在感を示した。1961年のデビュー以来、数多くの耳に残るCM曲も残してきた小林。積水ハウスやファミリーマートなど、現在も使われている曲多数。『北の宿から』ではレコード大賞も受賞した。

更新日: 2017年09月16日

aku1215さん

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◆音楽番組『アニソン・アカデミー』に出演した小林亜星

『アニソン・アカデミー』
中川翔子,あべあきら,【ゲスト】小林亜星

伝説を紡ぎ続ける小林亜星さまがアニソンアカデミーに降臨!ありがたくあたたかいお話をたくさんありがとうございます‼️✨ #aniaca pic.twitter.com/UBJ9RjBOwF

小林亜星講師…あれだけの名曲を書き、日本の音楽界、アニメ界にはかりしれない功績を残した方なのに、なんと謙虚でシャイ!本当に実りの多い講義でした。(生徒会書記:あべあきら) #aniaca

「アニソンアカデミー レジェンドスペシャル」 #小林亜星 先生のアニソン特集 ほんとうに名曲ばかり。 なんと #冨田勲 先生とも同期だったとは! #aniaca

・『アニソン・アカデミー』とは

男女、世代を超え楽しめる音楽コンテンツ・アニソン(アニメソング)。リクエストを中心に 創成期から現代まで幅広い楽曲を取り上げるNHK-FM初のアニソンレギュラー番組!

出演者:中川翔子、あべあきら

◆現在に至るアニソンの原型を作ったパイオニア

『ガッチャマンの歌』
作詞:竜の子プロ文芸部、作曲:小林亜星、歌:子門真人とコロムビアゆりかご会

小林亜星は言うまでもなく、『狼少年ケン』(1963)、『魔法使いサリー』(1966)、『科学忍者隊ガッチャマン』(1966)など、数々のアニメソングの名曲を世に出してきたヒットメーカー。

日本のTVアニメが誕生した1963年、すでにその現場に立ち会っていた小林亜星は以来40年間、様々に進化するTVアニメを音楽という側面から支え続けてきた、まさしくアニメ音楽のパイオニアである。

テンポ、リズム、楽器編成、アレンジ、歌い方など、氏の斬新でオリジナリティーあふれるアイデアの数々は、その後のアニメ・ソングの常套手段として定着していったものがいくつもあるのだ。

◆実は大学は医学部入学 しかし音楽への情熱が捨てきれず転科

実は普通部からの慶応ボーイ

「いわゆる軟派的不良分子でしたが、バンドばかりやっていて、勉強をしないので、どうしても医学部に進ませたかった父が、怒って、私のギターを風呂釜にくべて、燃やしてしまった。」

小林亜星の言葉。高校時代のエピソード。

「クラシック愛好学生に変貌したお蔭で、目出たく入れた大学の医科コースも棒に振り、音楽狂いの、苦難に満ちた人生?を送ることになってしまったのです。」

小林亜星の言葉

昭和30年慶応義塾大学経済学部卒業。作曲を服部正氏に師事。

◆CMソングでブレイク 今も耳に残る作品を数多く作曲

30代で「CM音楽の神様」と呼ばれた。1961年に処女作で、「ドライブウエイに春がくりゃ」で有名なレナウンの「ワンサカ娘」がヒット。

サントリー「オールド」、明治製菓「チェルシー」、ブリヂストン「どこまでも行こう」、 日立「この木なんの木」等、 次々とヒットCMを作曲。

誰もが簡単に覚えられ、無意識に口ずさむことのできるメロディを紡ぎだす天才として、彼はCMソングの世界で数多くの名曲を創造してきた。

◆急遽ドラマにも抜擢 その後も表舞台で活躍

『寺内貫太郎一家』

この時、小林は演技は全くの素人

1974年放送のドラマ「寺内貫太郎一家」に主演した小林亜星(83)。カミナリオヤジの貫太郎を中心にしたドタバタ人情劇は視聴率30%を超え、俳優デビュー作にして代表作に。

「もともと脚本の向田邦子さんの太ったお父さんがモデル。多忙なフランキー堺さんと高木ブーさんに断られ、他に俳優がいなかった。TBSのドラマ音楽の仕事をしていた私に話が来たんです」

小林亜星の言葉

頑固で短気な石材店の主人に亜星が扮し、老女のきん役を悠木千帆(現在の樹木希林)、貫太郎の息子・周平に西城秀樹、お手伝いに浅田美代子など豪華キャストがそろい、平均視聴率31.3%を獲得した。

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