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平成の次の元号は=元化(げんか:イニシャルG)!【今までの元号と元号法から予想】

今までの「元号」がどのように決まったのか、どんな候補があったのかをまとめてみました。そして、今までの元号と元号法から予想した結果、平成の次の元号は=元化(げんか:イニシャルG)です!しかしながら、インターネットで予想された元号は候補にあがらないそうです。※俗用された言葉に該当。

更新日: 2018年01月11日

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この記事は私がまとめました

【まとめ目次】

・日本の元号一覧
・「平成」の元号候補と決まった理由
・「昭和」の元号候補と由来
・「大正」の元号候補と由来
・「明治」の元号候補と由来
・「慶応」の元号候補と由来
・日本の元号の決め方(改元方法)
・平成の次の元号候補は「元化」

日本の元号一覧

「平成」の元号候補と決まった理由

政府は昭和天皇崩御を受け、その当日(1989年(昭和64年)1月7日)の午後、「元号に関する懇談会」(8人の有識者で構成)と衆参両院正副議長に「平成」「修文」「正化」3つの候補を示し、意見を求めた。その際、委員の間から「修文(しゅうぶん)」(Shubun)・「正化(せいか)」(Seika)の2候補はローマ字表記の頭文字が「昭和(しょうわ)」(Showa)と同じ「S」になるので不都合ではないかという意見が出たため、ローマ字の頭文字が「H」である「平成(へいせい)」(Heisei)に全員一致で決まった。
同日14時10分から開かれた臨時閣議において、新元号を正式に決定。14時36分、内閣官房長官・小渕恵三が記者会見で発表。

平成の元号候補と決まった理由を「ウィキペディア(Wikipedia)」が紹介しています。

「昭和」の元号候補と由来

昭和は、旧皇室典範と登極令による制度での最後の元号であり、元号法で改めて制定された最初の元号である[2]。
「昭和」の由来は、四書五経の一つ書経尭典の「百姓昭明、協和萬邦」(百姓(ひゃくせい)昭明にして、萬邦(ばんぽう)を協和す)による。漢学者・吉田増蔵の考案。なお、江戸時代にまったく同じ出典で、明和の元号が制定されている(「百姓昭明、協和萬邦」)。国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味である。
当時枢密院議長だった倉富勇三郎の日記によれば、宮内省作成の元号案として「神化」「元化」「昭和」「神和」「同和」「継明」「順明」「明保」「寛安」「元安」があったが、数回の勘申の結果、「昭和」を候補とし、「元化」「同和」を参考とする最終案が決定した。一方、内閣では「立成」「定業」「光文」「章明」「協中」を元号案の候補に挙げていた。

平成の元号候補と由来を「ウィキペディア(Wikipedia)」が紹介しています。

「大正」の候補と由来

「大正」の由来は『易経』彖伝・臨卦の「大亨以正、天之道也」(大いに亨(とほ)りて以て正しきは、天の道なり)から。「大正」は過去に4回候補に上がったが、5回目で採用された。
なお大正天皇実録によれば元号案として「大正」「天興」「興化」「永安」「乾徳」「昭徳」の案があったが、最終案で「大正」「天興」「興化」に絞られ、枢密顧問の審議により「大正」に決定した。

大正の元号候補と由来を「ウィキペディア(Wikipedia)」が紹介しています。

「明治」の元号候補と由来

「明治」の出典は『易経』の中に「聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)いて治む」という言葉の「明」と「治」をとって名付けられました。明治改元にあたっては、学者の松平春嶽(慶永)がいくつかの元号から選び、それを慶応四年(明治元年)九月七日の夜、宮中賢所(かしどころ)において、その選ばれた元号の候補の中から、明治天皇御自ら、くじを引いて御選出されました。
 翌八日の一世一元※(天皇御一代に一つの元号とする制)の詔で「明治」と改元されたのです。
 「明治」の意味は聖人が南面して政治を聴けば、天下は明るい方向に向かって治まる、と解されています。

明治の元号候補と由来を「明治神宮の公式ページ」が紹介しています。一世一元=明治以降は天皇がお亡くなりになるまでは「改元(元号を変える)」できなくなりました。

「慶応」の元号候補と由来

元治2年4月7日(グレゴリオ暦1865年5月1日) 禁門の変や社会不安などの災異のために改元
慶応4年9月8日(グレゴリオ暦1868年10月23日) 明治に改元、同年1月1日(グレゴリオ暦1868年1月25日)に遡って新元号・明治を適用。
江戸時代最後の改元。将軍・徳川家茂が朝廷に対して「何以被採用所存無之候」「叡慮之通慶応可然被存候」と述べて改元については孝明天皇の意向に全て従うという意見書を出し、改元当日の御所での儀式を諸藩代表に公開するなど、江戸幕府創設以来幕府が奏上してきた改元制度が終焉したことを示すものとなった。
慶応改元の際には候補の一つとして「平成」が挙げられていたがこの時は採用されず、1989年(昭和64年)の改元の際に2度目で採用された。

慶応の元号候補と由来を「ウィキペディア(Wikipedia)」が紹介しています。慶応の元号改元の際に、「平成」が候補に挙がっているのが面白いです。

日本の元号の決め方(改元方法)

1979年(昭和54年)10月、大平内閣(第1次大平内閣)は、元号法に定める元号の選定について、具体的な要領を定めた(昭和54年10月23日閣議報告)[3]。
これによれば、元号は、「候補名の考案」、「候補名の整理」、「原案の選定」、「新元号の決定」の各段階を践んで決定される。まず、候補名の考案は内閣総理大臣が選んだ若干名の有識者に委嘱され、各考案者は2ないし5の候補名を、その意味・典拠等の説明を付して提出する。総理府総務長官(後に内閣官房長官)は、提出された候補名について検討・整理し、結果を内閣総理大臣に報告する。このとき、次の事項に留意するものと定められている。
・国民の理想としてふさわしいようなよい意味を持つものであること。
・漢字2字であること。
・書きやすいこと。
・読みやすいこと。
・これまでに元号又はおくり名として用いられたものでないこと。
・俗用されているものでないこと。

ウィキペディア(Wikipedia)の「元号法」の中で、日本の元号の決め方を紹介しています。

平成の次の元号の独自予想方法

1.上記「日本の元号の決め方(改元方法)」に準じていること
2.イニシャルが直近4つ(H:平成、S:昭和、T:大正、M:明治)以外
→明治以降は天皇がお亡くなりになるまでは「改元(元号を変える)」できなくなったので。
3.既に候補に上がったものから選ばれることがある
→「平成」は「慶応」の際の元号候補。
4.直近4つの元号で使われていない漢字2文字

平成の次の元号候補は「元化」

1.昭和改元時の候補=「神化」「元化」「神和」「同和」「継明」「順明」「明保」「寛安」「元安」より、イニシャル「H・S・M・T」を外す。
→「元化」「同和」「継明」「順明」「明保」「元安」
2.大正改元時の候補=「天興」「興化」「永安」「乾徳」「昭徳」の読みより、イニシャル「H・S・M・T」を外す。
→残ったのは、「興化」「永安」「乾徳」
3.残った候補から、直近4つの元号に使われている漢字が入っている候補を外す。
→「元化」「元安」「興化」「永安」「乾徳」
4.俗用されているものでを外す。
→「興化」・「永安」=中国の地名、「元安」=人民元安、「乾徳」=中国の元号
5.残ったのは「元化」

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