1. まとめトップ
  2. デザイン・アート

価値観変わる体験。神秘のアウトサイダーアート『ティンガティンガ』

タンザニア生まれのポップアート「ティンガティンガ」。創始者エドワード・サイディ・ティンガティンガは画材も、画法も完全独流のアウトサイダー・アーティスト。世界に価値を認められ、数多くの継承者を生み出した「ティンガティンガ」の魅力について。

更新日: 2017年02月04日

77 お気に入り 22015 view
お気に入り追加

タンザニアのアート「ティンガティンガ」

色鮮やかに描かれるサバンナの動物たち。

タンザニアで生まれ、世界に羽ばたいたアフリカン・ポップアート「ティンガティンガ」。

その自由な想像力は観るものを虜にする。

ティンガティンガ (Tingatinga) は、1960年代にタンザニア・ダルエスサラームにおいて、エドワード・サイディ・ティンガティンガが生み出したポップアートの手法。

「ティンガティンガ」はメゾナイトと呼ばれる安い建築材料に黒・白・赤・黄・青・緑の6色のエナメルペンキを用いて描かれたアフリカ・タンザニア発のポップアートです。

描かれる対象としては、サルやヘビなどの身近な動植物から、自然における神聖とされているものまで多岐にわたるが、一般に人工物よりも自然物が多く描かれる。

描かれるテーマは自然。

ティンガティンガ絵画はとてもカラフルで鳥、野生動物、装飾的なイメージ、日常生活、スピリチュアルなイメージなどを描いています。

「ティンガティンガには,子どものような気持ちで見た世界が描かれている。ユーモラスで,楽しくて,カラフルな世界だ」とティンガティンガ・アート協同組合の責任者ダニエル・オーガスタは書いています。

現在東アフリカを代表するモダンアートとして、特にヨーロッパを中心に高い評価を得ている。

創始者エドワード・ティンガティンガの波乱の人生

Edward Saidi Tingatinga
1932年 - 1972年

タンザニアの芸術家であり、ティンガティンガの創始者。

ティンガティンガはモザンビークとの境界近くのタンザニア南部の村に生まれました。

エドワード・ティンガティンガはタンザニア南部のトンドゥール出身で、マクアという民族に生まれました。

タンザニア南部、トンドゥール地方で育ったティンガティンガは、大人になると、多くのタンザニア青年と同じく、仕事を探しに、都会ダルエスサラームに出てきました。

ダルエスサラームはタンザニア最大の都市で、1973年までタンザニアの首都でした。
エドワード・ティンガティンガはこの大都市でヨーロッパ人の家の庭師の仕事に就きます。

都会での生活は、田舎育ちのティンガティンガにとって、とても刺激的で、特に、マコンデのンゴマ(太鼓&踊り)に惹かれて、仕事の暇を見つけては、彼らと一緒に太鼓を叩いたり、踊ったりと大いに楽しんでいたそうです。

絵を描き始める前のエドワード・ティンガティンガは、太鼓や踊りの上手いミュージシャンとしても名高かったと言われています。

その当時、ダルエスサラームにある骨董店に並べられ、観光客がアフリカの記念にと買い求める絵のほとんどが、コンゴから来た絵画でした。
それを見たティンガティンガは、
「なぜ、ここには、タンザニアのアーティストが描いたものがないんだ?」
「なぜ、そのアーティストが、俺自身ではいけないんだ?」
「いや、いけないはずがない。そうだ、俺が自分で絵を描けばいいんだ!」
と考え、一念発起した彼が、1968年、60×60センチのマゾニット(建築用の合板)に、エナメルペンキで、動物や植物を思いつくままに描きはじめたのが、このアートの始まりでした。

そうしてエドワード・ティンガティンガは絵を描き始めます。
絵画の専門的な教育を一切受けていない、いわゆる「アウトサイダー・アート」でした。

建築現場にあるボードにエナメルペンキを使い奇抜で、カラフルな動物や人間のイメージを描きはじめました。

太い筆で背景色を塗り、完全に乾いてから細い筆で動物たちの輪郭を描き、麺に彩色を施し…といった気の遠くなるような気の遠くなるような創作活動を繰り返し、彼の絵はやがてダルエスサラームで評判になっていきます。

エドワードの画法はとてもシンプルでした。背景は1色か2色だけで,そこにアフリカの動物のイメージ画を一つ,枠いっぱいに鮮やかな色で描きます。風景やほかの細かいものは,いっさい付け加えませんでした。

最初は6色のペンキ(黒、白、赤、黄、青、緑)のみで描かれていました。

E.S.ティンガティンガの初期の絵画。

E.S.ティンガティンガが描いたシンプルな筆致のライオン。

エドワードは,自分が絵をかいているところをごく少数の親しい友人や身内にしか見せませんでした。しばらくして,そのうちの何人かが“弟子”になり,その絵のスタイルの人気は高まってゆきました。

彼が描く独特の絵画はたちまち評判を呼び、タンザニアを訪れるヨーロッパ人が買い求めるようになり、世界に広まっていきました。

ムガンガの住まいに近いキガンボニ地区で数ヶ月を過ごしたのですが、その間に、ティンガティンガは、ムガンガの家を、カラフルな絵で飾り立てました。それは実に見事で、道行く人の注目を集めただけでなく、外人コレクターの目にとまり、ぜひこの家ごと譲ってほしい、すべてを持っていきたいほどだと言わしめました。

ティンガティンガはその才能とともに40歳という若さで亡くなります。
警官が威嚇射撃として撃った弾が運悪くティンガティンガに命中し、そのまま帰らぬ人となりました。

画家として成功をおさめるようになってから僅か4年、彼の人生は“警官による誤射”で幕を閉じることになってしまいます。

ティンガティンガの遺志を継ぐ者たち

Simon George Mpata
1942年 - 1984年

エドワード・ティンガティンガの弟であり、エドワード亡き後に工房を設立しティンガティンガの普及に励んだティンガティンガ派の第一人者。
アンディー・ウォーホルやキース・ヘリングといった現代アメリカ・ポップアートの巨匠たちからも高い評価を受け、1984年に本人不在の個展が大成功を収めるなど活躍を見せた。

ティンガティンガは、自分の絵が売れるようになると、アフリカンファミリーの常として、彼の元に集まってくる親戚の面倒を見ながら、その中で絵に興味を示した親戚たちを、直弟子として、絵の手ほどきもしました。

彼の絵がビジネスになると分かると、彼の元にはすぐに血縁関係にある人々が集まってきます。

といっても、彼自身、教育を受けてはいませんから、手ほどきは、すべて実践の中にありました。

E.S.ティンガティンガはそれらの“弟子”たちに、自身のノウハウを伝えていきました。

ティンガティンガが不慮の死を遂げた後も、ティンガティンガと血縁関係にある弟子達が中心となって彼の作風や精神をそのまま受け継ぎ、現在も自由なアートを伝承し続けています。

ダルエスサラーム郊外に、ティンガティンガの画家が集まって生活している村がある。

現在ではダルエスサラーム郊外に通称「ティンガティンガ村」があり、多数の弟子たちによって描かれたティンガティンガ・アートは全世界で販売されています。

ダルエスサラーム郊外のティンガティンガの絵画工房。
ジミー大西氏が修行に訪れるなど、話題になった。

現在ティンガティンガを描く100人以上のペインターたちはティンガティンガ工房で毎日絵を描き続けています。

1 2





質を大事に、自分なりの視点でまとめを発信していきます。

【得意分野】
IT
スマートフォン
音楽
雑学
子育て
レッサーパンダ

よろしくお願いいたします!