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acr_luosさん

▼大正時代 1912〜1926(15)

日清・日露戦争を経て、社会が安定すると同時に、自由民権運動が起こる。WW1の影響で工業輸出額が飛躍的に向上し、景気はうなぎのぼり。

ヨーロッパはWW1でボロボロ。復興のための物資が欲しいので、日本はたくさん輸出できた。

労働者や女性の権利主張が強まってくる→大正デモクラシー

▼昭和時代 1926~1986(60)

昭和に入り、1929世界恐慌が世界中を襲った。その改善に各国は躍起になる。日本は満州重視の政策を行った。軍部の青年将校の反乱もあって軍部は発言力を増していき、やがて暴走→1931満州事変→1937日中戦争へ。

日本は満州や台湾などのアジア地域と貿易を積極的に行って、なんとか持ち直すことができた。ドイツは失業率が増えすぎて失望ムード漂うなか、ヒトラー率いるナチスが台頭してくる。人々は強い国の復活を望んだ。イタリアも同様、国粋主義のムッソリーニ率いるファシスト党が台頭。

国際連盟を脱退していた日本は世界で孤立する。伊独と同盟を組むが、その結果、英を支援するアメリカと対立することになってしまう。1941開戦→原爆投下で無条件降伏→GHQによる日本占領

GHQは日本の弱体化と民主化を目指した。

建築

1923関東大震災の火災による被害が大きかったことから、耐震性への関心が高まる。RC造、S造による耐震・耐火建築が建てられるようになった時代。

中産階級にも持ち家層も増えはじめ、大正後期から分譲地開発が始まる。震災後、それが特に活性化した。

住宅が「所有」するものになり、そこに持ち主の好みが反映されるようになる。上流階級のような大邸宅に憧れ、一般的には和洋折衷が多かった。和洋の生活様式が混在していた。

明治から大正に変わる頃から、歴史主義からの脱却がはじまり、アール・ヌーヴォー、日本版ゼツエッション、コルビジェやバウハウスの活動に注目が集まる。

ヨーロッパの建築運動の影響を受けて、表現としての建築が流行し、やがて1920-1960「モダニズム建築」へつながっていった。

1922

平和記念東京博覧会では14棟の住宅を実物展示した
和洋折衷の中流住宅

1923
死者・行方不明:10万5千人余
日本の災害史上、最大級の被害

1923-1967 内幸町
設計:フランク・ロイド・ライト

1925 千代田区
設計:山田守

「分離派建築会」のメンバー
工学重視の思想が出てきたことから、それによる反動で、彼らは建築の芸術性を主張した

1927 渋谷

同潤会は関東大震災の義捐金をもとに設立
住宅供給を行った

江戸川アパートメント

1928 日光
設計:アントニン・レーモンド

1867-1954

「建築」の命名者
日本初の建築史論文「法隆寺建築論」を発表

「怪奇図案集」 
絵:伊東忠太

1930 墨田区
設計:伊東忠太

ミクスチャ、内部はバシリカ式教会堂形式。

1933 丸の内
設計:吉田鉄郎

日本初「インターナショナル・スタイル」

1933 軽井沢
設計:アントニン・レーモンド

1934 築地
設計:伊東忠太

インドの石窟寺院風・SRC造

1934 九段南
設計:川元良一

RC造・和洋の瓦屋根

1935 品川
設計:土浦亀城(ライトの弟子)

1936 永田町
設計:大蔵省臨時議院建築局

1939 目黒区
設計:堀口捨己

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