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黒澤浩樹を見て泣け!伝説の空手家!

下段回し蹴りを武器に一心不乱に攻め続ける組手スタイル、手の骨が折れて皮膚の外に露出してしまってもまるで意に介さないかのように戦い続ける姿から“格闘マシーン”“ニホンオオカミがの異名を持った孤高の空手家。PRIDE創世に関わった実行委員会KRSの代表幹事。

更新日: 2017年03月02日

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heikinさん

◆極真時代は無類の人気を誇った!

黒澤 浩樹(くろさわ ひろき、1962年(昭和37年)9月6日 - )は、日本の男性空手家。東京都出身。元極真会館所属。東海大学工学部卒。

◆黒澤の下段!!

裕福な家庭に育ち、少年期はバイオリンを習う。中学時代、極真会館総本部に入門。その後座間中村道場(師範中村辰夫)に移籍する。そして先輩である小笠原和彦の紹介で山田雅稔が管轄する東京都下城西支部へ再度移籍した。この頃から首都圏交流試合を皮切りに全日本、全世界選手権で活躍し始める。その合間に城西支部の傘下で中野区に道場を開く。極真会館の選手権大会から退いてからは、プロの格闘家としても活躍する。分裂以降は極真会館松井派に属し、同派支部長に昇格するが、松井章圭と対立し、独立。実戦空手黒澤道場を起こした。

◆松井館長との決勝!!

下段回し蹴りを武器に一心不乱に攻め続ける組手スタイル、手の骨が折れて皮膚の外に露出してしまってもまるで意に介さないかのように戦い続ける姿から“ニホンオオカミ”、“格闘マシーン”の異名があった。
極真会館所属時は松井章圭、増田章とあわせて“三強”と呼ばれていた。
PRIDE創世に関わった実行委員会KRSの代表幹事でもあったが、DSEがその任を引き継ぐと、やがてPRIDEの表舞台から消えていった。
ウエイトトレーニングに熱心に取り組んでいた空手家としても有名である。
相手の脚を下段回し蹴りで折ってしまい、16万円の慰謝料を取られた事がある。その後、黒澤が試合で下段回し蹴りを出すと、道場の仲間達が「16万!」と叫んで彼をからかった。

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