1. まとめトップ

この記事は私がまとめました

mrbcourseさん

わずか1代で幸福の科学を世界的な宗教にしました。

今回は幸福の科学について過去の事件から振り返ってみようと思います。

1986年10月 幸福の科学立宗!

実際にはその前から「日蓮聖人の霊言」などの霊言集を出版してその時が来るまでの準備をしていました。

大川隆法は当初は「たかのり」と読ませていたこともわかります。

非常にボリュームのある作品でした。翻って現在ではどうか?

小保方晴子霊言 真正画像2 目に優しい行間。 pic.twitter.com/peAeYctuMf

現在の霊言本。目に優しい。

幸福の科学は今でこそ壮大な建物を建ててますが、当時は六畳一間の事務所でした。そこから賃料が月々2000万円の本部を構えるまでに成長したのです。

1991年7月 エル・カンターレ宣言!

幸福の科学ができて5年。1991年7月15日の御生誕祭でこう宣言します。

あなた方の前に立ちたるは、大川隆法であって、大川隆法ではない。あなた方の前に立ち、永遠の神理を語るは、エル・カンターレである。われは、この地球の最高の権限を握りたるものである。われは、この地球の始めより終わりまですべての権限を有するものである。

エル・カンターレとは幸福の科学の本尊であり、「うるわしき光の国、地球」もしくは「地球の光」という意味を持つ地球神を表す言葉である。詳しく分からない人は「とにかく偉いんだ」と思っておけば大丈夫です。

ちなみにエル・カンターレといえばこのシーンを思い出す人もいるはず。

大丈夫です。総裁もちゃんとやってますよ。

1991年9月 講談社フライデー事件勃発!

幸福の科学が有名になるきっかけがこの事件でした。

談社フライデー事件とは、講談社による幸福の科学を批判した報道に関して、幸福の科学が講談社に対して1991年9月に行った一連の抗議行動。

幸福の科学を守るため、立ち上がったのが「講談社フライデー全国被害者の会」です。会長は景山民夫、副会長は小川知子が就任して様々な妨害工作を行いました。

幸福の科学側の反応が常軌を逸していた。  まず九月二日の講談社へ数百人規模の抗議デモ。そして同じく二日朝に始まり六日夜まで続いた電話・ファックスによる抗議攻勢である。

信者らが講談社の社屋に乗り込み、ハンドマイクで「フライデー廃刊!」「社長を出せ!」などとがなりたてたほか、無関係な別誌の編集部も含めた講談社の各編集部に抗議の電話やFAXを送りつづけました。

会員らは社屋前の路上で抗議集会を開いてシュプレヒコールを繰り返し、講談社の担当者は複数回にわたって会員の代表団と会見して要望を聞くことを余儀無くされた。

ちなみになぜか直接関係のない日刊ゲンダイにも抗議活動が行われていました。こういうところが幸福の科学らしいです。

講談社とは別会社であり、当時は幸福の科学に関する記事を掲載していなかった日刊ゲンダイに対しても、同様に電話とFAXによる業務妨害行為を行いました。

1994年4月 方便の時代は終わった発言!

大川総裁の特技といえば霊言です。2017年だと星野源の守護霊が話題になりました。

しかし2009年に復活させるまで長期間封印していました。そのきっかけが下記の発言。

1 2 3