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世界仰天ニュース・場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)学校で話せない

場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)とは、家庭などでは話すことができるのに、社会不安(社会的状況における不安)のために、学校や幼稚園といったある特定の場面、状況では全く話すことができなくなる現象を言う。幼児期に発症するケースが多い。

更新日: 2017年08月03日

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lletee127さん

今日の「ザ!世界仰天ニュース」(日本テレビ系)で、場面緘黙(ばめんかんもく)というものが取り上げられることを知って、ググってみました。

そしてすごく驚きました。

どういうことかというと、子供の頃の僕そのものだったからです。

家ではよくしゃべる子だったのですが、学校にいくと途端に誰とも何も話さずに黙ってしまうのです。
ほぼ毎日のように、一言もしゃべらずに学校で過ごす日が続きました。

いや、考えてみると幼稚園の年少組の時からですね。

小学校3年の頃から、少しずつ徐々にしゃべれるようになり、小学5・6年のころには、ほぼ普通になっていました。

小学校の先生に怒られることはよくありました。
「なんで他の子と話をしないんだ?」
と言われるのです。

かなりきつい口調で怒られることもありました。
つらかったですね。
自分では、どうにもならなかったですから。

まず何故他の子と話すことができないのか、自分自身がわからなかったですし・・・。

先生は、なんとかしてあげたい、という気持ちで叱ってくれていたのだと思いますが。

いちおう小学校の高学年くらいからは、普通に話せるようにはなったのですが、他の人とのコミュニケーションがずっと苦手な感じがすることは続いています。
大人になってからもです。
他の人から見ると、今の僕という人間は普通に見えると思いますが、自分の心の中では、人とのコミュニケーションに難儀を感じるようなことが多々あるのです。

この場面緘黙(ばめんかんもく)、大人になってからの治療法ってないのですかね。
はやく普通の人間になりたい?です。

まあ、でも自分以外でも、同じような子供時代を過ごしている人が多くいることを知って、なにか救われた気がしています。今は。

↓ 場面緘黙(ばめんかんもく)とは?

場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)とは、家庭などでは話すことができるのに、社会不安(社会的状況における不安)のために、学校や幼稚園といったある特定の場面、状況では全く話すことができなくなる現象を言う。

幼児期に発症するケースが多い。

症状

場面緘黙は、ある特定の場面でだけ全く話せなくなってしまう現象である。

子供が自宅では家族らと問題なく会話をしていても、学校や幼稚園など家の外では全く、あるいはそれほど話さず、誰とも話さないという例は多い。

そして、その子供は非常に内気な様子に見え、グループでの活動に入りたがらなかったりする。たいていの場合、発話以外の、表情や動作やその他のやり方であれば、人とコミュニケーションを取ることができる。

また、脳機能そのものに問題があるわけではなく、行動面や学習面などでも問題を持たない。

単なる人見知りや恥ずかしがり屋との大きな違いは、症状が大変強く、何年たっても自然には症状が改善せずに長く続く場合があるという点である。

経過

場面緘黙の経過は子供によって異なるが、効果的な教育的介入によって1、2年で克服することもある。

また、長い間治らない例はあまりないが、効果的な教育的介入を行わないと、小学校、中学校、高校、成人まで継続することもある。早期に適切な教育的介入を行うことが大切である。

また、場面緘黙児を青年期や大人になるまで追跡した調査は少ないが、その調査によると、子供の頃に場面緘黙の治療を受けたことがある成年や大人のうち、約半数が「現在は何の問題もない」と報告している。

しかし、残りの半数は、同年齢の一般の人たちに比べて「自信が無く、自立心に欠け、大人になりきれていない」と表現している。

発症年齢

一般的に、2~5歳の間に発症する。

しかし多くの場合、6~8歳になるまで診断や治療はほとんど行われていない。これは、疾患に対する理解度の不足などにより、単なる引っ込み思案といった性格的原因との区別がつけにくいためである。

場面緘黙とは

言葉を話したり理解する能力はほぼ正常であるにもかかわらず、幼稚園・保育園や学校などの社会的な状況で声を出したり話したりすることができない状態を言います。

声の出しにくさ、話しづらさは、場所やそこにいる人、活動内容によって違ってきます。

また、すべての生活場面で話すことができない状態を全緘黙といいます。現在、日本では場面緘黙は心因性とされており、情緒障害教育の対象となっています。

原因については、おそらく不安になりやすい生まれつきの気質がベースとしてあり、そこに複合的な要因が影響していると考えられています。

これまでは、「場面緘黙は大人になれば治るもの」と考えられてきました。

しかし、そのままにした場合、うつ的症状や不登校へとつながるケースも見られます。

早い時期からの適切な対処の重要性が強調されています。

発症率は

調査によってばらつきはあるものの、アメリカでは「発症率は0.7%」とする説をとることが多いようです。

どの報告でも、男児よりも女児に多くみられるとあります。場面緘黙児は行動が抑制されており、たいへん大人しく見えます。

そのため、たとえ本人が困っていたとしても、学校側が困るということが少ないために、場面緘黙であっても見落とされがちです。

診断基準は?

家などでは話すことができるにもかかわらず、ある特定の状況(例えば学校のように、話すことが求められる状況)では、一貫して話すことができない。

この疾患によって、子どもは、学業上、職業上の成績または社会的な交流の機会を持つことを、著しく阻害されている 。
このような状態が、少なくとも一ヶ月以上続いている。

症状が似ているために、混同されやすい疾患があります。例えば、ショックな出来事が引き金になって全緘黙になる「心的外傷性緘黙」は区別するべきだとされます。
「失語症」は、脳卒中や交通事故により脳の言語中枢にダメージを受けた結果、言葉の意味をとれない、わかっていても言葉にできない状態です。
「ヒステリー性失声」は、ストレスやショックな出来事によって発声器官が麻痺する状態です。

恥ずかしがり屋と大きく異なる点は、症状が強く長期に渡って続くこと、そのために子どもが持っている様々な能力を十分に発揮できないということです。

喋ることができても小声だったり、答えるまでに時間を要したり、特定の相手とだけ話したりする状態の場合も、場面緘黙としてとらえて支援することが有効です。
特に、回復の途上にある場合、子どもの状態が学校に理解されにくいことが多いため注意が必要です。

例えば、幼少期の発達がゆっくりで、自分を表現することに自信がもちにくい場合があります。また、感覚過敏や発達的なアンバランスのために、状況の読み取りや、人との関わりが苦手な場合もあります。
また、発音や言語表現が苦手で、そうした失敗を怖れている場合があります。こうした要因が、それぞれ違った形で子どもの症状に影響しているのです。

この障害の名称について

DSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders:精神障害の診断と統計マニュアル)では、1994年に診断名が‘elective mutism’から、‘selective mutism’に変わりました。

‘elective’という言葉には、緘黙児があたかも特定の場面で話さないことを「選んでいる」ような語感があり、心理学者ですらそう誤解しているような状況が広まっていたためです。
自分の意志で話さないことを選んでいるわけではないことを示すために‘selective’という用語が採用されました。

日本語版DSMでは「選択性緘黙」と表記されており、今後はこの名称が多く使われるのではないかと考えられます。
しかし、「場面緘黙」「選択性緘黙」という名称が、様々な誤解を招いているケースもあり、症状を適切に表現する名称については、今後とも検討を要するように思われます。

障害か?個性か?

「障害」なのか「個性」なのか、疑問に思われる方もいます。
診断を受け「障害」ととらえると、保護者や本人がこの状態の情報を得やすいこと、同じ状態の子どもが他にもいることを知り孤立せずに経験を分かち合えること、幼稚園・保育園や学校の理解を得て必要な支援をうけやすいこと、など役立つ点があります。

一方、「障害」という言葉で周囲の大人が悲観的になったり、状況を固定的に捉えることは、子どもの不安をあおり、自信を失わせることにつながります。
正しい理解をもち、改善への見通しのもとに、安心して楽しい時間を多く持ち、自信を積み重ねていくことが、大きな成果をもたらします。

よくある「誤解」

大人しいだけ。ほっておいても、そのうちしゃべるようになる。(早い時期からの支援が大切です)

おかあさんの心配しすぎでは?(園や学校から、こう言われることがよくあります)

喋らないだけで、園や学校では問題ないですよ。(大人しく園や学校は困らないので、本人が困っていても見落とされ、放置されがちです)

家庭の愛情不足なのでは?(虐待やネグレクト環境で場面緘黙になる子は、ほんの一部です)

家庭で甘やかしすぎ、過保護なのでは?(古い研究にもとづいた誤解です)

躾がなってない。(返事しないのは人を無視していると誤解されることがあります)

わがままなだけ。(場所・人・活動などの状況によって態度が変化する点や、こだわりがあり融通が利かない点を、わがままと誤解されがちです)

わざと黙っている。(反抗的だと誤解されることがあります)

緘黙は内気なはず、あんな気が強い子は場面緘黙ではない。(場面緘黙の子どもの性格は様々です)

表情豊かなのだから、緘黙ではない。(非言語的コミュニケーションを豊かに出来る子もいます)

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