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Bloodbone(ブラッドボーン) の物語、設定の考察・解説

2015年に発売されたPS4専用タイトル「Bloodbone(ブラッドボーン)」。いまだ謎の多いその設定、物語を考察し、解説します。

更新日: 2017年07月14日

Shiomameさん

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フロムソフトウェアとSCE(現SIE)のタッグで発売されたゲーム。
その物語と世界観はユーザーらが自ら語り部となるような、収集して初めて見えてくるというとっつきにくいものとなっており、今尚その複雑な設定が伝わり切れていません。
しかし決して物語がないのではなく語られていないだけ。深く考察することで答えが(ぼんやりながらも)見えてきます。
ただし確実な正解を出すことはできません。なぜなら語られていない以上「~であるだろう」という曖昧なものが限界で、このまとめも”個人的考察による正確な答えに近いであろう解説”という体でしかありません。

獣の病が蔓延する偏見の街ヤーナム

山間にある、人の外見及び精神が獣そのものになる奇妙な風土病「獣の病」が蔓延している古い都。
ヤーナムでは特定の夜に「狩人」と呼ばれる獣狩りを生業にするものたちが暗躍し、獣に怯えながら暮らすヤーナム市民の平穏を保っていますが、ヤーナム市民はヤーナムを実質治めている「医療教会」所属の狩人たちを敬っているだけで、狩人たち全員に対して感謝の気持ちを向けているわけではありません。
むしろ病が蔓延してしまった原因は他所から来た狩人たちのせいであるという誤解まで広まっている状態で、ゲーム中でも彼らはヤーナム外から来た主人公に対して汚い言葉を浴びせます。

しかし広いヤーナムで拡大の一途をたどる獣の病に、医療教会は街の一部を隔離。この処置が市民の医療教会に対する不信感を加速させ、最終的には狩りに素人な市民が自警団として獣狩りに駆り出し、病の更なる広がりに拍車をかけている状態です。
そんな危機的状況下であるがゆえに、ヤーナム市民はよりいっそう獣の病に、なにより自らを恐怖で苦しめている(元々人であった)獣に対し、より強く差別、偏見を抱いています。

自己を表現する「血」

血を主題にした世界観である今作は、あらゆる表現を血で表しているのが特徴です。
それは血そのものが持っている生物を証明する要素や個性といった部分まで、血を持つ存在そのものを血を使って表現し、映像に落とし込んでいます。

結晶石の強化は、また武器の性質を様々に変化させる
それは、血そのものが生き物を規定するように

出典血晶石の工房道具のフレーバーテキストより

血には物質的な部分で生物を証明していると同時に、血という言葉を比喩的に使って思想やセンスといったものまで表現することができ、
その多様な使い方から、血そのものこそが己であるという考え方が可能です。
今作における成長要素のひとつである「血の遺志」という言葉も、そういった考え方で生まれたものであると思われます。
自らが何かになろうとする、なにかを求めようとするという思考は、自身を何者かになろうとする原動力であり、自分自身でもある血を構成させるのに必要な要素。自分がなにかになろうとするということは、血もなにかになろうとしていると同じということなのです。

獣の病は治せない

ヤーナムで蔓延している獣の病の実態は”人の本質”とも言うべきものであり、そもそもとして病ではありません。

つんざくその悲鳴は、しかし使用者の声帯が出しているものだ
人の内に、いったい何者が潜むのだろうか

出典アイテム「獣の咆哮」のフレーバーテキストより

「獣」は、最初のカレル文字であり、同時に最初の禁字である
血の発見とは、すなわち望まれぬ獣の発見であったのだ

出典カレル文字「獣」のフレーバーテキストより

血が生物そのものを表し、自己をも表現しているのであれば、その血の中に獣があった以上「人間=獣」という図式が成り立っているということになります。
血には人間を誇示していると同時に獣も証明してしている、残酷な結論があるのです。
そのため、人と獣は切り離せず、人は常に獣と共に生きて死んでいく生き物・・・究極的に言えば獣の愚かさあってこそ人間であると考えることができるのです。
もし獣から切り離された人間がいたのだとすれば、それはまさしく人ではない異常な存在か、あるいは獣を抱える人という存在から脱却する進化と言えます。

自我を失うほどの負の感情が獣化へと誘われる

登場キャラクターたちの多くは人と獣の関係性を知らないため、血液感染による拡大であるという認識ですが、そもそも人と獣は同じ存在であると血という根幹的な部分で証明されているため、皆誰もが獣の素質を持っているのです。
他者の血液によって獣の病に冒されるということはあまり説得力がありません。

獣化が発生した人間には特徴があり、ガスコイン神父や禁域の森にて主人公を利用しようとする身を窶(やつ)した男は、どちらも「怒り」あるいは「恨み」「快楽」といった感情に躍起になっています。

死ねっ、死ねっ、死ねっ
狩人など、この人殺しが!

出典身を窶した男の台詞より

彼らにとって、様式美であれ、あるいは美であれ正義であれ
それらこそが人らしさであり、狩人を人に留めるよすがなのだ

出典装備「トップハット」のフレーバーテキストより

特に身を窶した男は暴言を繰り返し発言するほどの感情を剥き出し、
ガスコイン神父も主人公を一方的に獣と決めつけ、そしてその主人公と一戦交えることに快楽を感じています。
二人とも自らの感情に己を失っている状態と言えます。これは別段二人だけの例ではなく、ヤーナム全体が獣に対する恐怖や恨みが深く根付いてしまっている背景があるとおり、人間性を失ってしまった状態であるが故に獣化が急速に広がってしまっていると言えるのです。

より人であろうとする聖職者たち

人と獣が同じ存在であると血で証明された以上、人であろうとすることは獣であろうとすることと同じということになりますが、ヤーナムを治めている医療教会はヤーナム独自の医療をもって各地に輸血液を配っています。
体力回復アイテムの輸血液は輸血という意味もあるんでしょうが、それ以外に生きるための力を得るものであるとされ、ヤーナム全体に医療教会が用意した血が出回っている状況です。

ヤーナム独特の血の医療を受けたものは
以後、同様の輸血により生きる力、その感覚を得る

故にヤーナムの民の多くは、血の常習者である

出典アイテム「輸血液」のフレーバーテキストより

濃厚な人血の類は、そうした気の乱れを沈めてくれる
それはやがて、血の医療へと繋がる萌芽であった

出典アイテム「鎮静剤」のフレーバーテキストより

医療教会が行う血の医療及び輸血液の配布は、つまりは人を人であろうとさせるためであり、医療教会はそのために血を配っているということです。
人を証明するための血を配り、人らしくあろうとする。それこそが獣化に対する抵抗であり、血の医療そのものだと言えますが、人と獣は同じ存在であると血が証明している現実を忘れてはなりません。
人らしくあろうとするという考えは同時に獣を強く否定することと同じであり、結局は人らしくあろうとすればするほど獣に対する恐怖や憎しみが積り、やがて獣化してしまう難しさが付きまといます。

聖職者こそが、もっとも恐ろしい獣となる
なればこそ、教会には備えが必要だったのだ

出典アイテム「黄金の血晶石」のフレーバーテキストより

人を強く固持したい代表例が聖職者たちです。
彼らは獣化に対して常人よりも強く怯え、否定しているはずです。医療教会なる組織がヤーナムの人々に対して一種の救いになっているのは、憎き獣に対する民衆たちの期待があったからです。その期待を背負ってここまで大きくなった医療教会がより強く人であろうとしているのは当たり前で、より強く獣を否定しているはずです。
教区長エミーリアが最たる例と言えます。彼女は大聖堂で祈りの言葉を呟きながら獣化してしまいます。人を人たらしめる血から生まれる獣化からの誘惑に怯え、そうならないよう祈り続ける。
この構図は、獣化した身を窶した男の姿形が「恐ろしい獣」と同じというところも共通しているものです。
聖職者たちが凶暴な獣化になってしまう原因は、そうなってしまう立場にいるからなのです。

馬鹿は人に戻れる?(ルドウイーク)

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