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Bloodbone(ブラッドボーン) の物語、設定の解説

2015年に発売されたPS4専用タイトル「Bloodbone(ブラッドボーン)」。いまだ謎の多いその設定、物語を考察し、解説します。

更新日: 2017年04月29日

Shiomameさん

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フロムソフトウェアとSCE(現SIE)のタッグで発売されたゲーム。
その物語と世界観はユーザーらが自ら語り部となるような、収集して初めて見えてくるというとっつきにくいものとなっており、今尚その複雑な設定が伝わり切れていません。
しかし決して物語がないのではなく語られていないだけ。深く考察することで答えが(ぼんやりながらも)見えてきます。
ただし確実な正解を出すことはできません。なぜなら語られていない以上「~であるだろう」という曖昧なものが限界で、このまとめも”個人的考察による正確な答えに近いであろう解説”という体でしかありません。

獣の病が蔓延する偏見の街ヤーナム

山間にある、人が外見及び精神が獣そのものになる奇妙な風土病「獣の病」が蔓延している古い都。
ヤーナムでは特定の夜に「狩人」と呼ばれる獣狩りを生業にするものたちが暗躍し、獣に怯えながら暮らすヤーナム市民の平穏を保っていますが、ヤーナム市民はヤーナムを実質治めている「医療教会」所属の狩人たちを敬っているだけで、狩人たち全員に対して感謝の気持ちを向けているわけではありません。
むしろ病が蔓延してしまった原因は他所から来た狩人たちのせいであるという誤解まで広まっている状態で、ゲーム中でも彼らはヤーナム外から来た主人公に対して汚い言葉を浴びせます。

しかし広いヤーナムで拡大の一途をたどる獣の病に、医療教会は街の一部を隔離。この処置が市民の医療教会に対する不信感を加速させ、最終的には狩りに素人な市民が自警団として獣狩りに駆り出し、病の更なる広がりに拍車をかけている状態です。
そんな危機的状況下であるがゆえに、ヤーナム市民はよりいっそう獣の病に、なにより自らを恐怖で苦しめている(元々人であった)獣に対し、より強く差別、偏見を抱いています。

自己を表現する「血」

血を主題にした世界観である今作は、あらゆる表現を血で表しているのが特徴です。
それは血そのものが持っている生物を証明する要素や個性といった部分まで、血を持つ存在そのものを血を使って表現し、映像に落とし込んでいます。

結晶石の強化は、また武器の性質を様々に変化させる
それは、血そのものが生き物を規定するように

出典血晶石の工房道具のフレーバーテキストより

血には物質的な部分で生物を証明していると同時に、血という言葉を比喩的に使って思想やセンスといったものまで表現することができ、
その多様な使い方から、血そのものこそが己であるという考え方が可能です。
今作における成長要素のひとつである「血の遺志」という言葉も、そういった考え方で生まれたものであると思われます。
自らが何かになろうとする、なにかを求めようとするという思考は、自身を何者かになろうとする原動力であり、自分自身でもある血を構成させるのに必要な要素。自分がなにかになろうとするということは、血もなにかになろうとしていると同じということなのです。

獣の病は治せない

ヤーナムで蔓延している獣の病の実態は”人の本質”とも言うべきものであり、そもそもとして病ではありません。

「獣」は、最初のカレル文字であり、同時に最初の禁字である
血の発見とは、すなわち望まれぬ獣の発見であったのだ

出典カレル文字「獣」のフレーバーテキストより

血が生物そのものを表し、自己を表現しているのであれば、その血の中に獣があった以上「人間=獣」という図式が成り立っているということになります。
血には人間を誇示していると同時に獣も証明してしている、残酷な結論があるのです。

問題は獣化する原因。
プレイしていて勘違いしやすいのは、この獣の病が血液感染で広がっているような印象を受けてしまうことです。
キャラクターたちの多くは人と獣の関係性を知らないため、感染による拡大であるという認識で登場しています。
しかし上記にあるように、人と獣は同じ存在であるため、既に皆誰もが獣の素質を持っているのです。他者の血液によって自らも獣の病に冒されるということはあまり説得力がありません。
(獣の病以外の病気の危険性は勿論高くなりますが)

自我を失うほどの負の感情が獣化をもたらす

獣化が発生した人間には特徴があります。
ガスコイン神父ならびに禁域の森にて主人公を利用しようとする身を窶(やつ)した男。
そして医療教会の現教区長であったエミーリア。これらのキャラクターたちは皆、ある特定の極端な思考を持ち合わしています。

ガスコイン神父、身を窶した男は、どちらも「怒り」あるいは「恨み」「快楽」といった感情に躍起になっています。
特に身を窶した男は暴言を繰り返し発言するほどの感情を剥き出し、
ガスコイン神父も主人公を一方的に獣と決めつけ、そしてその主人公と一戦交えることに快楽を感じています。
二人とも自らの感情に己を失っている状態と言えます。別にこれは二人だけの例ではなく、このまとめの冒頭にも書いたように、ヤーナム全体で獣に対する恐怖や恨みが色濃くあるという背景があるため、それがヤーナムの急速な獣化を物語っていると言えるのです。
ゲーム始まってすぐの場所で、民衆らが巨大な獣を張り付けにして燃やしています。ただの狩りではなく、もはや処刑。彼らの中では獣狩りは恨み辛みをぶつける行為でもあるのです。

医療教会のエミーリアは聖職者です。
聖職者はフレーバーテキストにて「最も恐ろしい獣になる」と記されており、その特異な部分が目立ちますが、聖職者であることと医療教会があるものに対する宗教的執着心を強く持っていることを考慮すると、”獣を強く否定し、人らしくあろうと願う”という思考が誰よりも強いということがわかります。
当然です。獣化から救うための医療教会が獣化に肯定的なはずがりません。より強く獣を否定し、より強く人を固持するはずです。主人公が体力回復で使う輸血液も医療教会による代物です。彼らは人の存在をより強く証明するために人の証明たる血をヤーナム中に配布しているのです。

しかし忘れてはなりません。人と獣は同じ存在であるということを。
自らを人らしく、人らしく強く思えば思うほど、獣に対する負の感情が積み重なります。人であろうとするということは獣であろうとすることと同じになってしまうのです。
エミーリアは聖堂で捧げる祈りの言葉は、獣化から逃れ、人の更に先へ進むための教えを乞うもの。獣から逃れようと、彼女も人らしく(獣らしく)あろうと強く思って(怯えて)しまったのです。

馬鹿は人に戻れる?(ルドウイーク)

DLC「The Old Hunters」で戦うことができるかつての狩人「ルドウイーク」。
彼はゲールマンが始めた狩人から派生し、医療教会の狩人として活動。その際、狩人の不足からかヤーナムから狩人を募ろうとしていたみたいですが、結局彼は本編では姿を見せることなく、DLCの描写から恐らくは獣化してしまったのだろうと考えられています。
ただ、彼が獣化した経緯については普通とは少し違い、彼がそもそも夢見ていた理想の破壊が原因だと考えられます。

…教会の狩人よ、教えてくれ
君たちは、光を見ているかね?
私がかつて願ったように、君たちこそ、教会の名誉ある剣なのかね?

出典ルドウイーク打倒後、教会の狩り装束装備時のセリフより

ルドウイークは聖職者として教会所属の狩人として名誉持って狩りを行い、そしてその狩り行為に並々ならぬプライドを持っていたようです。
その支えとなったのが、彼が垣間見たと言われる「光の糸」。カレル文字「導き」という形で主人公も獲得しますが、実際それがなんなのか明確に描写はされておらず、あろうことかルドウイーク自身がその光の糸を「目を閉じた先に」としている有様で、もはや存在しているのかどうかもわからないものです。
更にルドウイークから獲得する光の糸と思われるカレル文字「導き」も、なんと道中の雑魚敵のカラスから同じもの(弱体化盤)を獲得できてしまうのです・・・カラスは小さな光ものを集めるから・・・?
(ちなみに雑魚敵のカラスはいつも石ころや丸薬といった小さなものを落とします)
そんなものを追いかけてひたすらに教会のために狩人を続けていたのがルドウイークという人間なのです。

そんな彼が心酔している医療教会ですが、実態はとんでもない人体実験という名の殺戮を行う集団だったというのが後にわかります。
しかもDLCでルドウイークと戦う場所は地下死体棄て場です。そんなところに獣化したルドウイークがいるということは、もしかするとルドウイークは医療教会によって人体実験の被験者にさせられ棄てられたのかもしれません。
その証拠か、獣化したルドウイークの姿は従来とは大きく違い、馬のような姿にふたつの口。そして一方の口の中には医療教会が長年続けてきた実験の象徴とも言うべき”目玉”が大量に付着(?)しています。
彼は心酔していた医療教会に利用されたのです。

…ああ、そうか
やはりそうだったのか
醜く歪んだ獣憑き。私を嘲り、罵倒した者たち、彼らの言うとおりだったということか

出典教会の狩り装束装備時のセリフから「そんなことはない」を選択した際より

敢えて厳しく書きますが、夢見たものたちにより人体実験をさせられ、挙句棄てられても尚、主人公に倒された後もこういった台詞を言うあたり、彼はとんでもないほどの馬鹿です。それも素直な馬鹿です。
彼の中では自らの身体を弄られ、棄てられても尚、その残酷な現実を受け止めきれなかったのです。それは主人公に言われて初めて思い知らされるほど、現実から目を逸らしたかったことなのです。
悲劇的な末路を受け止めきれなかった人物。悲劇しかない人物。けれども彼はゲーム中で唯一、獣から人へ戻った稀有な存在なのです。

ああずっと、ずっと側にいてくれたのか
我が師
導きの月光よ…

出典戦闘中、残り体力半分になった際のセリフより

獣から人へ戻るキッカケを作ったのは、自らの仕掛け武器「月光の大剣」です。
主人公に追い詰められ、息絶える寸前、彼の眼前に突き刺さったそれが突如光を帯びます。
その光こそ、まさしくルドウイークが夢見た「光の糸」そのものの具現化だったのです。彼は絶望の中で念願だった「光の糸」を触れることができるように、しかもそれが自らの仕掛け武器に傍にあったということを実感したのです。
そしてなにより、その光はルドウイークが愚直なまでに追い求めていた、かつて狩人として誇りを持っていた時から抱えていた夢です。たとえそれがカラスでも獲得できてしまうような、本質的には存在しないような憐れな夢であっても、それが今眼前にあるという喜び。
これを見てルドウイークは人の記憶を取り戻し、狩人としての自分を取り戻すのです。愚直なまでに追い求めたが故に、その喜びは恐らく彼自身しか分からないわからないほど大きなものであったに違いありません。
彼が人に戻れた理由、それは「愚かだったから」と言えるかもしれません。

そしてそれが後に言い伝えられたのかどうかはわかりませんが、その後に「ルドウイークの聖剣」なるものが作られるあたり、医療教会の節操の無さが垣間見えます・・・。


より個人的な解釈ですが、
ルドウイークのデザインが従来の聖職者が獣化した際の鹿のようなデザインではなく、馬のようなデザインなのは、
日本語の「馬鹿」とひっかけてデザインされたのではないかな・・・?と思っています。

弔いの狩り

獣狩りは危険な獣を狩り、健常者に害を及ぼさないようにするための処理です。
例え人であったとしても理性無くした獣になってしまえば、それはもう大量殺人犯と同じです。獣はいなくならなければなりません。
この残酷な状況が狩人を必要としている現状です。狩人は必要であり、獣の病が終息するまで狩人は獣を狩り続けるのです。

当然ながら狩人も人間です。彼らもまた獣化する危険性もありますし、尋常ならざる力を持つ獣の前に狩人たちは立ち向かわなければなりません。常に死と病と隣り合わせなのです。
それでも彼らは獣狩りを行おうとするのには理由があります。ルドウイークのようにあるいち思想に盲進し、尽くす者。
自らのアイデンティティを確かめる者。
ただひたすらに獣を殺し尽くそうとする者・・・。
理由は様々でしょうが、狩人になった以上忘れてはならないのは”獣は皆元々人であった”という事実です。
彼らは望んで獣になったわけではありません。むしろ獣になりたくなかったと強く思っていたが故に獣になってしまったと言えます。
その事実を忘れ、狩りを一種の快楽として行えば、それは獣となんら変わりない。ガスコイン神父のように自らも獣になるのが目に見えています。
しかし前述したように、獣狩りは必要なのです。
必要悪とも言うべきか、狩人が行う狩りは本来快楽目的ではなく、獣化してしまった者への弔いなのです。

ゲールマンは狩りを、弔いになぞらえていたのだろう
せめて安らかに眠り、二度と辛い悪夢に目覚めぬように

出典葬送の刃のフレーバーテキストより

最初の狩人であるゲールマンがそうでした。
彼は狩りを弔いと位置づけ、その刃を血で染めてきました。決して狩り自体が目的ではなく、”狩らなくてはならないから狩る”という悲劇的な状況を想って狩りに臨み、今までやってきたのです。
獣の病がなくなれば狩人はいらなくなる。自らが命を張ってやってきた行為そのものが否定される未来が来ても、それは受け止めるべきであるということです。狩人は狩りに固執してはならない。ゲールマンが唱える狩りとはそういうことなのです。
しかしゲーム中で確認できる幾多の工房はどうでしょうか?

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