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真実の中国史

袁世凱が死んだ後の中国と同じ状況になりつつある。歴史=政治である中国。勝者が歴史を書き換えればいいという発想

更新日: 2017年05月20日

trauma2896さん

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八十余年たった現在でもあまり変わっていないというのに驚かされる

著者ラルフ・タウンゼントは満州事変の年に米国の外交官として上海に赴任し、現地で調査した中国の民衆の姿、軍事・政治状況を帰国後に本書(原作)に著わした。

・本書はありのままの真実を伝える本である。
・中国人のありのままの姿を伝えるのが本書の狙いであるから、読み進むうちに胃がムカムカきたら、それで所期の目的は果たせたと思う。
・中国で現在何が起こっているかを正確に調査したら、ほとんどが見るも恐ろしい、胸が悪くなるような結果しか出てこない。
・中国人の行動自体が恐ろしい、胸が悪くなるようなものだから当然である。

◎本文の一部20『日本人と中国人』

◎本文の一部20『日本人と中国人』

 中国人と日本人は全く違う人間だが、アメリカ人には違いがわからない。
 地理的に近いから性格も似通っていると思っている。
 これほど大きな誤解はない。
 ・・・・・
 確かに、日本人と中国人は体つきがよく似ている。
 が、似ているのは体型だけで、性格は似ても似つかない。
 ・・・・・
 短い旅行でも違いがわかる。
 他人に対する態度が大きく違う。
 儲け話になると腰が低くなるのが中国人。
 日本は違う。
 自然に腰が低くなり、礼をもって接すること自体に喜びを見出している。
 例えば、通りを歩いていて、何かを落としたら誰かがサッと拾ってくれる。
 中国には、スラム街よりひどく、鵜の目鷹の目の連中が多い。
 ・・・・・
(しかし日本人は)アメリカ人の手本になるような行動を示してくれるのである。

国家としての体を成してからようやく100年が経とうとしている中国に対し、いかに多くの日本人が目を眩まされたまま幻想から脱しきれずにいるのか、日本人からの評価が何故か高い孫文の実像や、地図上の変遷から見る清朝や中華民国の実相、満洲をめぐる日露の攻防などについて、それぞれの真相を日本人が読み解くためのポイントも押さえていただきながら、東洋史家の宮脇淳子氏に お話しいただきます。

◎本文の一部25『満州国は三千万の中国人には天国である』

◎本文の一部25『満州国は三千万の中国人には天国である』
 日本が支配する満州国はどうであろうか。
 ・・・・・
 あそこに暮らす約三千万人の中国人には満州国は天国である。
 中国の領土保全・門戸開放・機会均等等を説いたいわゆる「九カ国条約」が結ばれてから十年、一体全体、誰かの役に立ったか。

◎本文の一部31『誇張されすぎる日本脅威論』

◎本文の一部31『誇張されすぎる日本脅威論』
 しかし忘れてはいけない。
 国際紛争の原因は双方にあるのである。
「日本人は戦う覚悟はいつでもできてはいるが、挑発されるのでなければ戦わない」ということが、日本人と長く付き合ってみればよくわかる。
 ・・・・・
(日本の)この三十年の外交は世界に類を見ないほど言行一致している。

◎本文の一部34『事実を見て対中国政策の誤りを認めよ』

◎本文の一部34『事実を見て対中国政策の誤りを認めよ』
 つまり、今までの対中国政策は失敗だったと素直に認める以外ないのである。
 金を貸せば、返してもらえないばかりか悪用される。
 学校や病院を建てたら、火をつけられる。
 宣教師は宣教師で、いくら中国人の中に飛び込んで命がけで働いても、教え子に拷問され虐殺されている。
 ただ外交援助するばかりで、何の罰則もなく甘い顔ばかりしてきたから、かえって暴虐の限りを尽くしてきたのである。

◎本文1『協調より反目を好み共同作業のできない中国人』

 中国人だけだと、なぜかうまくいかない。
 必要なものはすべて揃っている。
 しっかり監督すればちゃんと働く。
 仕事熱心で頭も良い。
 しかし致命的に欠けているものが二つある。
 それは正直と協調性である。
 しかもこの二つは直そうとしても直せないような感じがする。
 大人数の仕事となると中国人だけではうなくいかない。
 ・・・・・
 驚くほど裏切り者が多い。

◎本文の一部2『チップを多く渡してはいけない』

 このエピソードは、ごく最近の日本での凶悪事件を想起させます。
 工事現場で働いていた中国人に、近くの親切な日本人がお茶やお菓子の差し入れをしました。
 すると、その中国人がその日本人の家に強盗に入って殺してしまいました。
 「差し入れをするのだからきっと大金持ちだろうと思って強盗に入った」
 ――と言ったそうです。
 上のエピソードと根は同じですね。

◎本文の一部3『人類共通の人情がない中国人』

 車が倒れて人や馬が下敷きになるような事故がよく起こるが、野次馬ばかりで誰一人、
 助けようとしない。この冷淡さこそが中国人の典型のようである。

◎本文の一部4『中国人の特異性と残虐性』

 あるアメリカ人領事が目撃した話である。
 任地の揚子江上流でのことで、西洋人には信じられないことだが、
 中国人にはたいした事件ではないそうである。
 豚と中国人を満載したサンパンが岸近くで波に呑まれ転覆し、豚も人も投げ出された。
 岸で見ていた者は直ちに現場に漕ぎ出し、我先に豚を引き上げた。
 舟に泳ぎ着いた人間は、頭をかち割って殺し、天の恵み、とばかりに新鮮な豚肉を手にして
 意気揚々と引き上げ、後は何事もなかったかのようにいつもの暮らしが続いたという。

◎本文の一部5『ユク神父の記録に残る、残忍極まりない話』

 ある日、通りを通る車から聞きなれない声がしたので、何事かと行ってみると車数台に生身の人間が積まれていた。
 近寄ってよく見ると手の甲を釘で突き刺され、車に打ち付けられているではないか。
 警備の役人に訳を尋ねたところ、「ある村で盗みがあり、(村の)全員捕まえたらその中に犯人がいるだろうと思って、連行して来た」そうである。
 それを聞いてユク神父は、「いくらなんでも全員の手を釘付けるのは酷かろう」と抗議をした。
 警備隊長が答えて曰く「たまたま捕り手が手錠を忘れたのです。こういう時はこれが一番ですよ」。
 そこで、「無罪の者を引き渡してくれないか」と頼んだ。
 隊長曰く、「承知いたしました。潔白が証明され次第釈放します」
 恐ろしいことに、この件で驚いているのは外国人のユク神父だけで、周りで見ていた中国人は誰も驚いていない。
 静謐な天子の国と言われる国で、(無実の者も全員)手の甲を釘で打ち抜いても、誰もそれを不自然だと思わないのである。

◎本文の一部6『本心から信者になった者はいない』

(ある宣教師医師が理想に燃えて中国に渡ったが、我慢できなくなって二年で帰国した。
 父親も宣教師だったので、その父のことを質問したところ、こう答えた。)
「なくなる直前、父はこう申しました。(信者になった中国人は)一人もいない。名目上は数千人もいたが、真の信者はたったの一人もいない、と」
 宣教師たちのご尽力にはまことに頭が下がる。
 人里離れた内陸部で、何度裏切られても辛抱強く勤める姿は「神々しい」ものであるが、もしかすると、単なる間抜けかもしれない。

◎本文の一部7『平気で嘘をつく』

 中国に長くいる英米人に、「中国人の性格で我々とは最も違うものを挙げてください」と訊いたら、ほぼ全員が躊躇なく「嘘つきです」と答えると思う。
 ・・・・・
 欧米では、嘘は憎悪や軽蔑と同じ響きをもつものであるが、中国語にはそういう語がない。
 必要がなかったからである。
 そこで、それに近い中国語を使って「嘘ではありませんか?」と言ったとしても、非難の意味はない。
 ましてや侮辱には全くならない。
 特別な意味のない言葉なのである。
 中国人の言動は誤魔化しとすっとぼけに満ちているが、暮らしているうちに、真意がわかるようになる。

◎本文の一部8『敵の面子を潰すための自殺』

「嫌がらせ」もよくあることで、あの孔子ですら平気である。ある時、招かれざる客が来たので居留守を使った。
 諦めて客が帰ろうとするのを見て、孔子は窓辺に出て胡弓を弾いた。
「ああ、孔子様は私のことをこういう風に扱っていらっしゃるんだなあ」とわからせるためであったという。

[孔子が人格的に酷い人物だった事は、日本にはほとんど翻訳されてこなかったので、日本人は知らないのだそうです。人肉食も好きだったと言われています]

◎本文の一部9『幻影を抱かずに現実に立ち向かった宣教師』

 一九二七年から二八年、中国領土にいた八千人に上る外国人宣教師のうち五千人が退去させられている。
 どこへ退去したのか。
 日本である。
 しかし日本に避難したものの、日本人が好きになれない。
 可哀相な人間がいないからである。
 アメリカ人とは不思議なもので、可哀相だと思えない相手は好きになれない人種である。
 宣教師は特にこの傾向が強い。
 可哀相な人間を見ると、我が身の危険をも顧みず、救ってあげようという殉教精神がわき上がるのである。
 だから中国人は全く有り難い存在なのだ。
 ところが日本は、ドイツに似て、規律正しく、町は清潔で落ち着いている。
 これでは宣教師の出る幕がない。
 だから宣教師に好かれないのである。

◎本文の一部10『虐殺されても中国人をかばう宣教師』

 福州を流れる川の上流でのこと。
 高齢のイギリス人宣教師が二人、追剥に捕まり「裁判され」、「帝国主義者」にされ、
 「残虐なる死刑」に処された。
 生涯を聖職者として現地住民のために捧げた二人に待っていたのは、体中を切り刻まれ、
 長時間悶え苦しみ殺されるという無惨な最期であった。
 当然ながら、中国国民党「政府」は何もしなかった。
 政策の一環であるから、助けるわけがない。

◎本文の一部11『巨額の援助を不満とする中国人』

 演技のうまい中国人にコロッと騙されているのである。
「期待していたアメリカ人に裏切られ失意のどん底に落とされた」と迫真の演技の中国人。
 「ああ、期待を裏切ってしまった」と反省するアメリカ人。
 行商だろうが苦力だろうが主演男優、女優になれる。

◎本文の一部12『民を思う指導者がいない』

 中国人に根本的に欠落しているのは「品格」である。
 それゆえに指導者が生まれず、風見鶏で、死ぬまで足の引っ張り合いをしている。
 だからアメリカ人に向かって「教育援助が足らない」と責め立てるのである(援助が足らないのではない。中国人の経営ミスで効果が上がらないのである)。
 何千といる学士様や修士様まで自分のことは棚に上げて、アメリカを非難している。

◎本文の一部19『世界を欺く中国政府』

 国際会議があるたびに「阿片撲滅に奮闘する中国」という記事しか読んだことのないアメリカ人は、大々的な阿片製造と消費の実態を知ったら「エーッ」と驚く。
 二年前、中国は国際査察に断固反対した。
 毎年春になると畑一面の白いケシの花が咲く。
 ・・・・・
(阿片禁止の法令が)発令の最中、春に収穫した阿片がせっせと中国中の市場に運ばれていた。
 ・・・・・
 さらに面白いことがある。
 ケシの栽培は州知事の命令である。
 命令で種が配られる。
 ・・・・・
 軍のやり口が見事。
 まず「違法」のお触れを無視し、阿片を栽培させる。
 いざ収穫期になると、「違法である」と言って百姓から金を巻き上げるのである。

彼らの歴史から見える「中国の国民性」について考察します。

袁 世凱(えん せいがい、1859年9月16日(咸豊9年8月20日) - 1916年6月6日)は、中国清末民初期の軍人・政治家。北洋軍閥の総帥。大清帝国第2代内閣総理大臣を務めたが、清朝崩壊後は第2代中華民国臨時大総統、初代中華民国大総統に就任。一時期中華帝国皇帝として即位し、その際に使用された元号より洪憲皇帝と呼ばれることもある。字は慰亭(いてい)、号は容菴(ようあん)。

袁世凱の死後、彼の部下であった馮国璋、徐世昌、段祺瑞などが相次いで政権につきいわゆる北京政府として対外的に中華民国の正式政府として存続したが、いずれも大陸全体をまとめる力を持ちえず、各地方を根拠とする軍閥割拠の時代に突入した。蒋介石の北伐が終了するまでの10年余り、この状況が続くこととなる。

馮 国璋(ふう こくしょう)は、清末民初の軍人・政治家。袁世凱の部下であり後に北洋政府の総統に就任する。字は華甫。

1916年に袁世凱が亡くなると、馮国璋は中華民国の副総統に選ばれる。翌年、袁世凱の後を継いで大総統になっていた黎元洪と国務総理の段祺瑞の政争(府院の争い)が起こり、7月の張勲復辟で黎元洪は大総統から引きずり下ろされると、馮国璋が代理総統に選ばれる。
ここに至って北洋軍閥は直隷派(馮国璋)・安徽派(段祺瑞)・奉天派(張作霖)に分かれて政争を繰り広げる。馮国璋は直隷派の首魁として湖北督軍王占元や江西督軍李純と組んで、北洋政府の中心となっていた安徽派の段祺瑞に対抗した。1917年9月、孫文が広東軍政府を組織して事実上中華民国が分裂状態になると、南征による武力統一を主張する段祺瑞に対抗して和平統一を主張した。だが奉天派と連合した段祺瑞は南征を強行、加えて新国会での安徽派の多数派工作によって1918年馮国璋政権は瓦解する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AE%E5%9B%BD%E7%92%8B

徐 世昌(じょ せいしょう)は清末民初の政治家。中華民国第4代総統。字は卜五、号は菊人、東海など。引退後は退耕堂とも称した。祖籍は河南省衛輝府汲県。

1916年(民国5年)6月に袁世凱が死去すると、徐世昌は袁世凱の故郷である河南省に赴き、数ヶ月間服喪している。その後も政権から距離を置いたていたが、軍閥同士の構想の調停などを行っている。軍閥の一人、直隷派の馮国璋の要請で1918年(民国7年)に第4代中華民国大総統に就任した。当時馮と対立していた安徽派の段祺瑞や奉天派の張作霖などの人事への賛同を得ている。
北洋軍閥では袁世凱に次ぐ地位であった徐世昌であるが、自身は文官出身であるため軍事知識を有しておらず、徐世昌には軍閥間の調整を期待された。徐世昌は直隷派と安徽派の調和を試み、さらに北京政府と孫文などの革命派を含む南方の諸勢力との周旋に努めたが、いずれも調停は順調ではなかった。また第一次世界大戦に際しては日本がドイツより獲得した膠州湾の利権を回復を試みたがヴェルサイユ条約で否定され、これに反対する中国民衆による五・四運動につながっている。
さらに前政権の国務総理であった段祺瑞が日本などからの借款を浪費したため、政権内外から不評を買い、統治能力まで疑われた。結局1922年(民国11年)に直隷派によって大総統を辞任させられた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E4%B8%96%E6%98%8C

段 祺瑞(だん きずい)は清末民初の軍人・政治家。馮国璋・王士珍とともに「北洋の三傑」と称された。字は芝泉、晩年の号は正道居士。

講師 : 宮脇淳子(学術博士・東京外国語大学講師)
演題 :『真実の中国史を知って、日本の未来を開こう!』
日時 :平成24年3月18日(日)14時
場所 :護国会館(栃木県護国神社内)

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