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【プロレス】年間最高試合賞【ベストバウト】1980年代編

1980年代のプロレスベストバウトを羅列。79~82年までジャイアント馬場が魂の大奮闘。ジャンボ鶴田に続いて長州力、天龍源一郎がマット界の顔へ躍進していく。長州の革命でハイスパートに、天龍の革命により過激にプロレスが進化した80'sゴールデンタイム。米国ではフレアー、ホーガンの活躍が目立つ

更新日: 2017年03月13日

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karykaruさん

1980年 年間最高試合賞

The PWI Match of the Year award 1980

August 9
Showdown at Shea
Flushing, NY
Steel Cage match

Runners-up: 1—Andre the Giant vs. Hulk Hogan, 2—Verne Gagne vs. Nick Bockwinkel, 3—Dusty Rhodes vs. Bob Backlund
アンドレ・ザ・ジャイアント、ハルク・ホーガンの名が出現

1981年 年間最高試合賞

1981年1月18日 東京・後楽園ホール
PWF認定、AWA認定世界両ヘビー級選手権試合 60分3本勝負

馬場がPWFタイトル6度目、ガニアがAWAタイトルの防衛に成功という事で
終わってみれば、それぞれ得意技で1本ずつ取り合っての引き分け
まさにこれこそが「昭和の王道」プロレスと言え
あの9.23田コロのハンセン対アンドレを抜いて
東スポ・年間最高試合となったのであります。

The PWI Match of the Year award 1981

猪木でも馬場でもなく、PWIでベストバウトを受賞した初の日本人はキラー・カーンだったのだ。

当時の収入は日本円にして週給600万円!

1980年末よりWWFに参戦。12月29日にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにおいて、ボブ・バックランドのWWFヘビー級王座に挑戦した[7]。その後もWWFではフレッド・ブラッシーをマネージャーに、ペドロ・モラレスのインターコンチネンタル・ヘビー級王座にも挑戦するなどトップ・ヒールとして活躍[8]。アンドレ・ザ・ジャイアントとのスーパーヘビー級抗争も開始し、1981年5月2日、ニューヨーク州ロチェスターにてアンドレの右足をニー・ドロップで骨折させたとして、ヒール人気は急上昇[9]。瞬く間に世界的なメインイベンターへ昇格させることになった。

Runners-up: 1—Ric Flair vs. Dusty Rhodes, 2—Bob Backlund vs. Don Muraco, 3—Michael Hayes vs. Terry Gordy
日本マットにも馴染み深いテリー・ゴディが早くもエントリー

1982年 年間最高試合賞

1982年2月4日 東京体育館
PWFヘビー級選手権試合

タイガーマスクブーム真っ只中となった82年。
プロレス大賞MVPはもちろんタイガーマスクだったが、ベストバウトを奪ったのは引退説・限界説が囁かれる馬場だった。

馬場、4年連続かつ最後のベストバウト。

馬場は既に45歳であり当時は限界説、
引退説が囁かれている時であり
マスコミ、ファンからは馬場圧倒的不利、
負けるのは確実と言われたカードであった。

しかしゴングの後、序盤から繰り出す16文キックで
動きも晩年では考えられないほど軽い馬場。

そして馬場は猪木を挑発するかのように
豪快な腕折りを連発、執念を見せる壮絶な戦いで
全盛期を彷彿とさせる動きを見せ
ハンセンと互角に渡りあう。

そして馬場は日本プロレス時代に出した
フィニッシュ技のひとつ、32文ロケット砲まで出し
限界説を払拭しただけでなく引退説をも否定した。

The PWI Match of the Year award 1982

June 28
New York, NY
Steel Cage match for the WWF Heavyweight Championship

ジミー・スヌーカの金網戦でのスーパー・フライといえば、ドン・ムラコに放った一撃が有名だが、この試合でも放っている。

Runners-up: 1—Bob Backlund vs. Ric Flair, 2—Nick Bockwinkel vs. Otto Wanz, 3—Nick Bockwinkel vs. Otto Wanz

1983年 年間最高試合賞

1983年4月3日 蔵前国技館 WWF認定インターナショナルヘビー級選手権

WWFインターナショナル・ヘビー級王座を巡って藤波と「名勝負数え唄」といわれる連戦を展開、1983年4月3日には藤波をピンフォールで破り王座奪取。「俺の人生にも一度くらいこんなことがあってもいいだろう」というコメントを残す。又このタイトルマッチに懸ける意気込みを試合前のインタビューで「昨夜は眠れなかった。この一戦に俺は命を懸けてもいい」と紹介されている。

長州率いる維新軍との軍団抗争で新日本に黄金期をもたらす。長州との一連のシングルマッチは「名勝負数え歌」と呼ばれ、1983年4月3日のWWFインターナショナル・ヘビー級タイトルマッチは同年のプロレス大賞ベストバウトを獲得した。

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