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【真の賢察】小林秀雄の生涯、名言

1902~1983 日本の文芸評論家

更新日: 2017年06月23日

ポケナイさん

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小林秀雄とは

受験勉強をしている方、以前していた方は、あーあの人ねとすぐわかると思います。
難しい!わけ分からん!という方ですね。

初めに、文芸評論についてですが、これは他人の粗探しをしようとするのではないです。
対象となる事物を、良い部分も悪い部分も、きっちり理解するということです。
どうしても人間は、感情により、良い部分、悪い部分しか見たがらないことが多々あります。

次に文体についてですが、難解な文体と思われています。
秀雄語と、考えてもいいかもしれません。
実際は、彼の考えは、非常に単純であり、簡単なことです。
例を挙げてみましょう。

全生命を賭して築いた輪奐たる伽藍を、全生命を賭して破砕しなければならない。恐るべき愚行であるか。然しそれは、彼の生命の理論であった。

出典『ランボオⅠ』小林秀雄

以上の文は、彼が東京帝国大学時代に書いた、ランボオの論文の一文です。
本当は単位が足りなくて留年するはずでした。
しかし、これ程の論文が書けるなら卒業して良いであろうということになり、留年せずに卒業しました。

これを現代語に簡単に訳すと、以下のようになります。

全力でホモビに出演して、全力でホモを否定しなければならない。チッ、ばかじゃねえの(嘲笑)。然しそれは、TDN犬の散歩であった。

それをそのまま書いても、おっそうだな、そう…(無関心)と言われてしまいます。
難解に書かないと、注目されません。

人間は、単純で簡単なことよりも、複雑で難しいことを有難がります。
単純で簡単なことが正しくて、複雑で難しいことが間違っているかもしれないのに。

小林秀雄の生涯

自分が信じた或る名状し難い、極めて単純な真理を、一生を通じ、あらゆる事に處して守り了せようとした。その為に彼がめぐらさねばならなかった異常な工夫、それが、彼の作の異常な複雑さに他ならない。

出典『川端康成』小林秀雄

1902年、東京市神田区(現在の東京都千代田区)に生まれる。
父親は、ベルギーでダイヤモンドの加工練磨技術を学び、日本でヨーロッパ風の衣装アクセサリーを製作していた。
妹の高見沢潤子は、後に作家となる。
小林秀雄は、父親の影響で、子供の頃から音楽を好み、バイオリンを習っていた。
1909年、白金尋常小学校に入学する。
成績は常に1番か2番であり、特に作文が得意であった。
1915年、東京府立第一中学校に入学する。
ここでの成績は常にビリ近くであった。

1921年、父親が死去する。
同年、第一高等学校に入学する。
同期には堀辰雄がおり、一つ上の先輩に神西清がいる。
美術室で絵画彫刻を親しんだ。
同人誌に短編を発表し、志賀直哉から賞賛される。
一時期神経を患って休学していたが、無事に卒業した。

1925年、東京帝国大学文学部仏蘭西文学科に入学する。
同期の堀辰雄は、東京帝国大学文学部国文科に入学している。
神田の書店街で、ランボオの『地獄の季節』を読む。
本人曰く、ニーチェのショーペンハウアーとなぞらえて、ランボオに殴られたと。
また、中原中也と知り合いになる。

1928年、東京帝国大学を卒業する。
奈良の志賀直哉の家に居候する。

1930年、『文藝春秋』にて文芸評論を始める。
そして一気に、彼の名前は知れ渡る。
難解であり挑発的であり、左や右に揺れ動きながら均衡を保とうとする彼の文体に、多数の人間が魅了されるのである。

以後、明治大学の教授や『文學界』編集をしながら、各国に出かけながら、西洋問わず、評論活動を行っていく。

シャルル・ボードレール
アルチュール・ランボー
アンリ・ベルクソン
アラン
アンドレ・ジッド
ポール・ヴァレリー
フョードル・ドストエフスキー
レフ・トルストイ
フリードリヒ・ニーチェ
ジークムント・フロイト
アドルフ・ヒトラー

ファン・ゴッホ
ポール・ゴーギャン
パブロ・ピカソ
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

西行
平家物語
本居宣長

1948年、湯川秀樹と対談。
『人間の進歩について』
1956年、黒澤明と対談。
残念ながらそれは記事にならなかった。
同年、三島由紀夫と対談。
『美のかたち 金閣寺をめぐって』
1965年、岡潔と対談。
対談をまとめた『人間の建設』はベストセラーとなる。

1983年、腎不全のため死去する。
神奈川県鎌倉市の東慶寺にお墓はある。

小林秀雄の名言

口に出せば嘘としか言えない様な真実があるかも知れぬ、滑稽となって現れる他はない様な絶望もあるかも知れぬ

出典罪と罰Ⅱ

永遠の現在とさえ思われて、この奇妙な場所に、僕達は未来への希望に準じて過去を蘇らす

出典ドストエフスキイの生活

モネの印象は、烈しく粗ら粗らしく、何か性急な劇的なものさえ感じられる。それは自然というより、自然から光を掠奪して逃げる人の様だ。可憐な睡蓮が、この狂気の男に別れを告げている。

出典近代絵画

一体自分を語るのと他人を語るのと、どちらが難しい事であろうか。いずれにしても人間は、決して追い付けないもう一人の人間を追う様に見える。

出典ゴッホの手紙

人間は他人を説得しようなどと思わぬ人間にしか、決して本当には説得されないものである

出典マチス展を見る

百五十年も前にナポレオン法典は各人の思想発表の自由を規定したのであるが、好き勝手な事を主張する自由を認めた上で、皆が協定して秩序ある社会を作ろうとは、また何という困難極まる現実を人間は抱いたものか

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