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あの日を忘れない・・・3.11東日本大震災から6年~祈願東北復興

あの未曾有の大震災から6年がたちました。3.11今年もやってきました・・東北の復興を心より願います

更新日: 2019年03月11日

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この記事は私がまとめました

優誠さん

震災復興の最終目標は「まちのにぎわい」を取り戻すことです。インフラや住宅等(ハード)の復旧が進みつつある中、「まちの賑わい」を取り戻すためは、「人々の活動(ソフト)」の復興が必要です。
 被災地では、人口減少や高齢化、産業の空洞化といった、日本全国の「地域」が抱える課題が特に顕著です。併せて、震災復興に取り組む地域に特有の課題もあります。

復興庁では、各地域において、各々の課題を解決し、自律的で持続的な地域社会を目指す取組を「新しい東北」と呼んでいます。被災地自治体、民間企業、大学、NPOなどの多様な主体が、まちの賑わいを取り戻すために、これまでの手法や発想にとらわれない新しい挑戦に取り組んでおり、復興庁としても、多様な主体間での情報共有の場を提供するなど、様々な支援等を実施しています。

今年も実施します

ヤフーは3月9日、2017年3月11日の0時から23時59分まで、「Search for 3.11 検索は応援になる。」を実施する。
 
 「Yahoo!検索」で「3.11」と検索すると、1人につき10円をYahoo! JAPANがユーザーに代わって東北復興に携わる団体に寄付する。

このページをツイート・リツイートすると東日本大震災復興支援財団に【100円寄付】されます yahoo.jp/3D0vJV #東北エールマーケット311

【KSM】東日本大震災2011 日本第一党党首 桜井誠氏は何をしていたか youtu.be/WLUOVNKvDeY?a

社説:東日本大震災6年 福島/避難者覆う無理解、不寛容 (河北新報 2017年03月08日)  国が敷いた復興のレールを逸脱するのは、それほどまでに許されないことなのか。... fb.me/zQTWsot2

「子供たちの東日本大震災」 自分の子供のことばかりツイートしましたが、本題のところは 福島での被災者のバイ菌いじめです。 裸足のゲンを拝読していたので、いつかこんな日がくるのではと 頭の片隅にあったのですが。 以上、母親として見て聞いて学んだ現実の子供達の東日本大震災でした。

NHK総合にて 明日へ つなげよう「くまモンの一大事~熊本と東日本 キズナの物語~」 東日本大震災発生以来、くまモンは何度も東北を訪ねてきた。去年は故郷・熊本でも大地震が起き、その支援にも忙しい。くまモンの活動から生... の放送が始まっています。 #tvpg2 (~02:41)

つくって まもろう|NHK NEWS WEB 東日本大震災の発生から6年。「ひとりでも多くの命を守るために何ができるだろう?」日本中で生みだされたみんなの防災アイデアを集めて、いざという時に役立つ防災動画の決定版をつくりました。 www3.nhk.or.jp/news/contents/…

アーサー・ビナード×吉田照美 「東日本大震災から6年。原発の今を語る」プラス:今日の呟き、森友学園関連2017.03.09 youtu.be/-mbjxz5Hl9Y @YouTubeさんから

「福島県社会保険労務士会東日本大震災復興支援事業復興支援講演会」長いね。一部「今こそ創造的復興を」二部「福島における放射性廃棄物のリサイクル化が可能になった!」除去でなくどうしても【再利用】…可能にしてほしいのはそんなことじゃないねtwitter.com/s_hiroki24/sta…

津波の流木でバイオリン 陸前高田で500人目の記念演奏 tinyurl.com/hof8vks 東日本大震災の津波で流された木でバイオリンを作り、全国の音… 岩手関連のニュース inewsjp.com/news/?px=03&i=… #岩手

目新しいことは一つもない。「正しい知識を」だなんて、熱心な界隈では周回遅れに聞こえるかもしれない。でも、基本中の基本がやっぱり大事なんだなと思わされる社説。 → 山陰中央新報 - 東日本大震災6年・被災地差別/放射線の正しい知識を sanin-chuo.co.jp/column/modules…

あの日の真実・・・

気仙沼の奇跡・・ロンドンから東京そして気仙沼へ・・・

震災当日、気仙沼市は巨大な津波に飲み込まれたあと、船から漏れた重油が引火して発生した猛烈な火災に襲われた。暗闇のなか、真っ赤に燃えつづける気仙沼の街並み。そのとき内海さんらは、同市の中央公民館に避難していた。

 生まれたばかりの赤ちゃんから5歳児まで70人、10日後に出産予定の妊婦や90歳以上の高齢者を含む合計446人が取り残され、道路も情報網も寸断されて孤立していたのである。

唯一、通じた連絡手段が携帯メールだった。内海さんは、イギリス・ロンドン在住の長男・直仁さんに「火の海 ダメかも がんばる」とメールを打った。携帯電話は電池切れ寸前だった。母の危機的状況を察知した直仁さんは、ふだん利用していたツイッターに書き込み、奇跡を信じることにした。

被災地の消防署そのものが被災していて壊滅状態にあったため、当然、東京消防庁には地元から出動要請は来ていない。そのため、僕は独自に判断して、「前例はないがすぐに行ってほしい」と防災部長に提案した。防災部長は緊張した表情で、「やらなければいけませんね」と応じてくれた。

独断専行からの決行

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