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道楽生活さん

▼いつの時代もアイドルは存在する

▼戦前のアイドル・明日待子さん(97歳) 1920(大正9)年生まれ 元祖アイドルといってもいい

明日さんは1920(大正9)年、いまの岩手県の釜石市出身だ。

鉄工所の役員のもとに生まれ、幼いころから日本舞踊などの芸事を学んでいた。将来は東京に出て、女優になりたいと思っていたそうだ。

時代はちょうど、映画がトーキーに変わったころ。知り合いのつてを辿って東京にいた姉とともに松竹の蒲田撮影所を訪れたが、まだ小さいからと断られた。

代わりに、と誘い話があったのが、新宿の劇団「ムーラン・ルージュ」への入団だった。のちに、アイドル「明日待子」を生むことになる場所だ。

▼新宿の劇団「ムーラン・ルージュ」へ入団 すぐにアイドル的な存在となる

「ムーラン・ルージュ」は当時、一世を風靡した劇場だった。

1931(昭和6)年に創設。きらびやかなアイドルたちが、舞台で踊りや劇、唄などを披露していた。地方巡業もしていたという。

客層は、主に学生だった。「新宿は学生の街でしたから」。そう語る明日さんによると、なかでも早慶や明治、立教大生が多かったそうだ。

「早慶戦がある日は、どっちを応援するんだなんて聞かれて、大変でしたね」

毎日夕暮れになると、チャイムの音とともに、劇場の割引時間が始まった。アイドルの虜になった学生、会社員、さらには女学生や軍人まで。多くの人たちが列をなす姿は、「東京新宿名物」のひとつだった。

指折りの脚本家たちが集まった舞台は、人気を博した。なかでも目玉だったのが「ムー哲」(ムーラン哲学)。大学総長の格好をしたアイドルたちが、「哲学」の授業をするという内容だ。

▼アイドル的な人気を得て超多忙な生活へ カルピスを皮切りに広告モデルとしても引っ張りだこに

カルピス、花王石鹸、キッコーマン醤油、ライオン歯磨きなど、さまざまな商品のポスターを飾った。

明日さんは13歳のころ、ムーランの主催者の養女になった。

親元を離れて東京へと移り、釜石にいたころにも増して、芸を学ぶことに力を入れた。

1933(昭和8)年にデビューすると、瞬く間に人気が出た。そのあどけのない見た目から、広告モデルとしても引っ張りだこになったという。

「初恋の味」のキャッチコピーで売り始めていたカルピスの専属になった。

花王石鹸、キッコーマン醤油、ライオン歯磨き……。さまざまな商品のポスターも飾った。

人気アイドルは、多忙を極めた。朝は稽古、正午に開演、そのあとはポスター撮影。

そして夜の稽古と、「超過密スケジュール」をこなしていたのだとか。

そうして気づけば、いつの間にか、たくさんのファンが付くようになった。

ただ、ファンレターは一切、見せてもらうことはなかったという。

「事務所がね、『ファンレターにはろくなことが書いていない』と言って。行李いっぱいに届いていたものが、私の手元には届かなかったんです。事務所と家とで、みんな管理されてたの」

「みんな没収しちゃうんです。あとになって、2、3枚だけ見せてもらった。どこどこで待っていますよ、とか、そういうのが多かったですね」

さらに、ファンとの交流も厳しく制限されていたそうだ。

「ファンの人とは直接お話したいという気持ちはありましたね。それでも、なかなか会うことはないです。お話しをさせてもらえない。だけど毎日毎日、見える顔はわかりますからね」

「ある日ね、いままで学生服着ていた方が、背広を着ていらっしゃったの。そしてね、ご自分が就職したからって言って、中村屋のチョコレートの入った箱をくださったの。もちろん、事務所の人が立会いですけれど」

▼時代は太平洋戦争に突入 学生たちは「まっちゃん万歳」と叫び出征した

1943年、戦争の雲行きが怪しくなり、学徒出陣が始まったころ。こんなことがあった。

ムーランにきた学生たちが突然、「まっちゃん万歳」と叫んだのだ。聞けば、客たちはみな、出征前夜だった。

「戦地へやられる、最後のムーランだっていう気持ちがあって、万歳三唱したんでしょう」

▼昭和20年終戦 戦後、地方巡業などを続け、映画にも出演 4年後にはファンの男性と結婚

1945(昭和20)年5月の空襲で、劇場は焼け落ちた。明日さんは御殿場へ疎開し、そのまま終戦を迎えた。

ムーランはその後、再起を図る。明日さんも戦後、地方巡業などを続け、映画にも出演した。ファンの人たち、そして戦災で傷ついた人たちを「慰める」ために。一生懸命、働いた。

4年後、結婚を機に北海道に引っ越した明日さんは、アイドルを引退した。「明日待子は東京において、北海道に行ったんですよ」。

以来これまで、「五條殊淑」の名前で日本舞踊の活動を続けている。ちなみに、ともに生涯を歩み、2年前に先立った夫は、ムーランに通っていた早稲田生だったそうだ。

▼明日待子さんの現在 この3月で97歳になった

若作りしているだろうが、とても97歳には見えない・・・・・

この3月で97歳になった明日待子さんは、元アイドルだ。

日本が戦争に突き進んだ激動の時代、アイドルとして生きた一人の女性。お元気でいられると聞き、取材を申し込んだ。

会ったのは、浅草の喫茶店だった。真っ白なスーツにショートのボブヘア。

もうすぐ白寿を迎えるとは思えない、可憐なオーラをまとっている。

耳は少し遠く、補聴器が必要だ。それでも語り口はしっかりとしていて、言葉にも覇気がある。

そしてなにより、笑顔がとても、かわいらしい。

「アイドルをしていた時は、本当、楽しかったですよ」

ガムシロップを少し混ぜたレモンスカッシュを、美味しそうに飲みながら。明日さんは、ぽつり、ぽつりと話を始めた。

▼アイドル当時の明日待子さんの画像

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