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LUCACHANさん

いまだファンが増え続けているというブルース・リー。東洋人として初のハリウッド進出を果たすものの、映画「燃えよドラゴン!」が日本で公開されたときにはすでにこの世の人ではなかった。不世出の人物といわれるブルース・リーが歩んだ32年間の短い道のりを、そのゆかりの地とともに追ってみたい。(記載情報 2017年3月現在)

Bruce Lee is still getting popular over the world. He was already in the sky when his masterpiece of his film "Enter the Dragon" is released in Japan although he successfully got into Hollywood as the first oriental actor.

1940年11月27日 サンフランシスコ生まれ

本名:李振藩
芸名:李小龍
英語名:Bruce Lee

截拳道(ジークンドー)創始者

妻リンダ・エメリー
息子ブランドン・リー(1993年3月31日没) 
娘シャノン・リー

1973年7月20日 香港にて没。 享年32歳

■ 「チャイニーズ・ホスピタル(東華醫院)」 サンフランシスコ

リーが産声をあげたのは、サンフランシスコ チャイナタ ウンにある「チャイニーズ・ホスピタル(東華醫院)」。

のちに世界にドラゴン旋風を巻き起こす英雄の誕生である。

リーを抱く、リーの父・李海泉(リー・ホイチュアン)と母・何愛楡(ホーオイユ)。母はドイツ人との混血である。

リーは広東オペラの俳優である父のサンフランシスコ巡業中に誕生したのだった。

辰年の(1940年)辰の刻(午前8時)に生まれたことから、「龍」としての運命を背負ってこの世に誕生したことがわかる。

■ 「徳信小学校 Tak Sun School」 香港

サンフランシスコの巡業を終えて香港に帰国したリーが、少年時代を過ごした小学校。

徳信小学校校門前にはリーが通っていたことを示すプレートが展示されている。この写真はわかりずらいが、左上にモノクロのリー兄弟の写真が掲示されている。

少年時代のリー。
母がドイツ人の血を引いているためか、どこかアジア人離れした顔立ちだ。少年時代からイケメンだったのねえ。

リー一家。
母、兄・ピーター(李忠琛)、姉フィービー(李秋圓)、アグネス(李秋鳳)、弟・ロバート(李振輝)、リーご本人(後列一番右)。

■「ラサール学院」 香港

リーが7歳から16歳までを過ごした香港のラサール学院。

父が俳優であった影響もあり、リーは子役として多くの映画に出演していた。リーの俳優としての素地はこの時代に養われたといえる。

子役として映画出演しながらも、少年時代のリーはケンカに明け暮れていた、そのケンカに勝つという目的のため、イップ・マン(葉問)が主催する「詠春拳」を習い始めることに。
これがリーとカンフーとの出会いとなった。

■ 「聖フランシス・ザビエ ル・カレッジ」  香港

リーの素行の悪さのため、遂にラサール学園を退学処分となった。その後、転校した、聖フランシス・ザビエ ル・カレッジ。
渡米前の2年間を本校で過ごした。

聖フランシス・ザビエ ル・カレッジの運動会のプレゼンターとして出席した時のリー。1973年2月、「燃えよドラゴン」撮影の最中だった。
この時すでに香港のスターになっていたリーだったが、前校を退学となった自分を受け入れた学校への恩義を決して忘れてはいなかったのだ。

■ 「ワシントン大学」 シアトル

香港で、リーが警察沙汰になる事件を起こした出来事をきっかけに、父はリーを米国に渡らせた。
渡米後、父の知り合いの店で手伝いをしながら、リーはワシントン大学に入学する。

ワシントン大学で哲学を専攻したリーは熱心に勉学に励んだ。そのレベルは高校で哲学の教鞭をとるほどの実力になる。

■「スペースニードル」  シアトル

リーが妻・リンダと初めてデートしたスペースニードル。当時はデートにふさわしいトレンドなスポットだった。
二人はここでロマンティックなディナーをして初めて愛を確かめ合う。

リーはイタリア製のスーツでリンダをエスコートしたという。

ワシントン大学で二人は運命的な出会いを経て結婚。
リンダは医学部に所属しながら、リーが主催する道場の門下生になっていたのである。
ハンサムで精気にあふれ、常に取り巻きに囲まれていた中国青年リーにリンダはたちまち恋におちた。

仲むつまじいリーとリンダのツーショット写真。
リンダの照れた表情がとても印象的。
こんな男前に肩を抱かれたら誰でも照れまんがな。

■ 「ロングビーチ」 カリフォルニア

リーが武道家として詠春拳のデモンストレーションをした「ロングビーチ国際空手選手権大会」会場の場所。
この時の演武がテレビプロデューサーの目にとまり、リーが俳優として米国のテレビ番組「グリーンホーネット」に出演するきっかけとなった。

「グリーンホーネット」で日系アメリカ人カトー役(日本語名でいうと加藤ね)として秘書を演じた。日本でも1967年にテレビ放映される。
このときの出演時は常にマスクを覆うという体験が、のちにリーが映画出演時に肌を露出することへの固執につながることになる。

■「ドラゴン危機一発」ロケ地 タイ

リーの記念すべき初主演映画「ドラゴン危機一発」ロケは全てタイで行われた。撮影中、現地の食事が口にあわなかったり、蚊が多かったりして、劣悪なコンディションで撮影が敢行されていたという。

タイのロケ地で監督と談笑するリー。

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