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【哲学者】三木清名言集

1897~1945 日本の哲学者『パスカルに於ける人間の研究』

更新日: 2017年10月31日

ポケナイさん

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懺悔は語られざる哲学である。それは争いたかぶる心のことではなくして、やわらぎへりくだる心のことである。講壇で語られ研究室で論ぜられる哲学が論理の巧妙と思索の精緻とを誇ろうとするとき、懺悔としての語られざる哲学は純粋なる心情と謙虚なる精神とを失わないように努力する。語られる哲学が多くの人によって読まれ称讃されることを求めるに反して、語られざる哲学はわずかの人によって本当に同情され理解されることを欲するのである。それゆえに語られざる哲学は頭脳の鋭利を見せつけようとしたり名誉を志したりする人が試みない哲学である。なぜならば語られざる哲学の本質は鋭さよりも深さにあり巧妙よりも純粋にあるからである。またそれは名誉心を満足させるどころか、かえってそれを否定するところに成立するものであるからである。

出典語られざる哲学

語られる哲学においてと同じように、語られざる哲学において大切なことは、正しき問い方をすること正しき出発点をとることである。

出典語られざる哲学

読書の時間を作るために、無駄に忙しくなっている生活を整理することができたならば、人生はそれだけ豊富になるであろう。読書は心に落着きを与える。そのことだけから考えても、落着きを失っている現代の生活にとって読書の有する意義は大きいであろう。

出典如何に読書すべきか

昔から同じ教訓が絶えず繰り返されてきたにもかかわらず、人類は絶えず同じ誤謬を繰り返しているのである。

出典如何に読書すべきか

そのうえ自分の専門以外の書物から、専門家が自己の専門に有益な種々の示唆を与えられる場合も少くないであろう。

出典如何に読書すべきか

人は常に源泉に汲まねばならぬ。源泉は常に新しく、豊富である。原典を読むことによって最も多く自分自身の考えを得ることもできるのである。

出典如何に読書すべきか

一冊の書物を読んで、ひとりの著者でなくひとりの人間を見出すとき、我々の悦びは大きい。

出典解釈学と修辞学

スピノザの有名な句にあるごとく、全てを憎まず、笑わず、嘲らず、その必然性を理解することこそまさに哲学的精神である。

出典科学批判の課題

多く読み、多く考え、そして出来るだけ少く書くこと、それが著者の倫理である筈である。しかし読むというにも沢山の違った仕方があるのであって、そして良く読むというには多くのエスプリが必要なのである。

出典書物の倫理

私はこれまで思想を主として真偽という方面からのみ考察して来た。真理と虚偽は、哲学上の用語法に従うならば、思想の「価値」である。あたかも美醜が芸術に属する価値であり、善悪が道徳のになう価値であるように、真偽は思想の有する価値である。しかもそれはこのものにのみ固有な価値である、と哲学者は考えている。

出典危機における理論的意識

善い思想が必ずしも真なる思想であるわけでなく、危険な思想が必ずしも偽なる思想であるわけではない。

出典危機における理論的意識

ソクラテスやキリストの死が悲劇的であるように、いわゆる歴史的意識には悲劇的精神が属している。ヘーゲルやシェリングなどが悲劇的精神を歴史の本質の理解の根本においたということには重要な意義がある。ところが東洋にはそのような悲劇的精神がない。ペシミズムといっても東洋のそれはこの点において西洋のそれと異なっており、したがってまたオプチミズムについても同様であると思う。

出典思索者の日記

仮に誰も死なないものとする。そうすれば、俺だけは死んでみせるぞと言って死を企てる者がきっと出てくるに違いないと思う。人間の虚栄心は死をも対象とすることができるまでに大きい。そのような人間が虚栄的であることは何人も直ちに理解して嘲笑するであろう。しかるに世の中にはこれに劣らぬ虚栄の出来事が多いことに、人は容易に気付かないのである。

出典人生論ノート

愛は私にあるのでも相手にあるのでもなく、言わばその間にある。間にあるというのは二人のいずれよりもまたその関係よりも根源的なものであるということである。

出典人生論ノート

個人は社会のために存在するというだけでは済まされない。ヒューマニズムの論理は政治の論理に一致し難いものがあり、そこに歴史の悲劇というものが考えられる。

出典政治の倫理と人間の倫理

政治の論理に対する人間の論理の批判がなくなる場合、政治は狂気になるであろう。

出典政治の論理と人間の論理

時代は行動を必要とする、あらゆるものが政治的であることを要求している。このときしかし、哲学するということは、およそ人間の生存理由もしくは意義をなし得るであろうか。

出典生存理由としての哲学

言葉は魔術的なはたらきをする。或る人々にとっては、唯物論の名は、すでに最初から何かいかがわしいもの、汚らわしいものを暗示する。彼らはその名を聞くとき、肩をゆすぶり、十字を切って去り、それを真面目に相手にすることをさえ、何か為すまじき卑しきことであると考える。それにもかかわらず自己の唯物論として憚るところなく主張するマルクス主義は、もはや誰も見逃すことの出来ぬ現実の勢力である。一般に現実を回避することによって思想の高貴さを示そうとする者は、ただ単に自己を粧うのみであり、かえってたまたま彼の思索の怯懦と怠慢とを暴露するにほかならない。

出典マルクス主義と唯物観

先づ必要なことは、哲学に関する種々の知識を詰め込むことではなくて、哲学的精神に戯れることである。これは概論書を読むよりももっと大切なことである。そしてそれにはどうしても第一流の哲学者の書いたものを読まなければならぬ。

出典哲学はどう学んでゆくか

多くの人々は人生の問題から哲学に来るであろう。まことに人生の謎は哲学の最も深い根源である。哲学は究極において人生観、世界観を求めるものである。ただその人生観或いは世界観は、哲学においては論理的に媒介されたものでなければならぬ。

出典哲学をどう学んでゆくか

教科書というものは、どのような教科書でも、何らか功利的に出来ている。教科書だけを勉強してきた人間は、そのことだけからも、功利主義者になってしまう。

出典読書遍歴

三つの種類の人間がある。先づ他人の私事に妙に関心し、とりわけいわゆる醜聞を、ことに世間に名の知られた他人の醜聞を愛する人間がある。彼等はそういう興味からいわゆる三面記事事件を喜ぶ。このような人間の興味は、今日ことに婦人雑誌などによって巧に利用されているところである。

出典日記と自叙伝

第二の種類の人間は特にいわゆる英雄伝や偉人伝を読むことを好むように見える。彼らはとにかく偉い人になりたい、なんでも成功したいという心に燃やされ、教訓的見地からつづられた「実用的歴史」を愛し、或ひは名士の成功談なるものによって感激させられることを欲する。こういう成功主義的または英雄主義的心理も、今日とくに大衆雑誌といわれるものによって巧に利用されているところである。

出典日記と自叙伝

然し第三の種類の人間がある。私はこの種類の人間のひとつの特徴をとらへて、彼等を日記や自叙伝を読むことを愛する人間ということができはしないかと思う。彼等は他人の私事の秘密をのぞくことを徒らに好むのではない。けれども彼等は他人の生活に無関心なのでなく、それを理解することを欲する。然しそのことは自己を理解せんがためである、いな、人間と生とを理解せんがためである。また彼等は他人のいわゆる成功や英雄的行為によつて徒らに感激させられることを喜ぶのではない。むしろ彼等は平凡な人生の複雑微妙、世のつねのすがたの面白さ、深さを理解することを求めるのである。

出典日記と自叙伝

宗教は真実でなければならない。それは単なる空想であったり迷信であったりしてはならぬ。宗教においても、科学や哲学においてと同じく、真理が問題である。ただ宗教的真理は科学的真理や哲学的真理と、その性質その次元を異にするのである。もとより宗教の真理も真理として客観的でなければならぬ、客観性はあらゆる真理の基本的な徴表である。

備考

親鸞
1173~1263 浄土真宗の開祖

ルネ・デカルト
1596~1650 哲学者『世界論』『方法序説』『省察』
『省察』を翻訳する。

ブレーズ・パスカル
1623~1662 フランスの哲学者『パンセ』

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