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俳優の渡瀬恒彦さんが2017年3月14日、多臓器不全のため死去。72歳

東映やくざ映画や「十津川警部」シリーズなどのテレビドラマでも活躍した俳優の渡瀬恒彦(わたせ・つねひこ)さんが2017年3月14日、多臓器不全のため、東京都内の病院で死去した。所属事務所が16日、発表した。72歳だった。

更新日: 2017年03月19日

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july701さん

渡瀬恒彦さん死去、胆のうがん 「仁義なき戦い」「十津川警部」の名優

映画の「仁義なき戦い」やTVドラマ「十津川警部」などのシリーズで活躍した俳優の渡瀬恒彦さんが3月14日、胆のうがんのために死去した。72歳だった。俳優の渡哲也(75)は実兄、兄弟で名優として知られていた。テレ朝newsなどが報じた。

スポニチによると、渡瀬さんは1944年、島根県生まれ。早大法学部を除籍後、サラリーマンをしていたが、東映から俳優デビューした。1970年「殺し屋人別帳」でデビュー。主な代表作に映画「赤穂城断絶」「事件」「仁義なき戦い」シリーズ、ドラマ「十津川警部」「北アルプス山岳救助隊」「世直し公務員」「おみやさん」シリーズなどがある。

故・高倉健さんとともに臨んだ映画「南極物語」(1983年)の撮影では、北極圏から日本に連れて来られたハスキー犬16頭について「ラストシーンの情感を盛り上げるために一緒に生活した方がいい」と申し出た。自身が演じる役と劇的な再会を果たす兄弟犬タロとジロ役の2匹を自宅に引き取って飼育。撮影後も飼い続けていた。

渡瀬さんは2015年秋、病院の検査で胆のうがんが発覚。抗がん剤治療や放射線治療を受けていた。2月19日の会見では「体調? 良くはないですね。現状維持という感じ。食欲は減りますね。一生懸命食べますけど」と話していた。

渡瀬恒彦さん死去で所属事務所「最期まで幸せな俳優人生を全うできました」

所属事務所はファクスで「3月からの撮影に向け準備を進めてまいりましたが、2月中ごろ左肺に気胸を発症し入院治療をしてまいりました。3月に入り、敗血症を併発し多臓器不全により、3月14日23時18分に都内病院にて息をひきとりました。(享年72) 葬儀は、渡瀬本人・ご家族のご意向により親族のみで執り行うこととなりました」と渡瀬さんの死去を発表。

「渡瀬恒彦のファンの方々、撮影をご一緒させていただいたキャスト・スタッフの皆様から並々ならぬご声援をいただき、最期まで幸せな俳優人生を全うできましたことを心より感謝申し上げます」と伝えた。

渡瀬恒彦さん、都内自宅で近親者のみの密葬

14日に多臓器不全のため、72歳で死去した俳優、渡瀬恒彦さんの葬儀が17日、東京都内の自宅で近親者のみの密葬としてしめやかに営まれた。

 同日午前、葬儀を終えると、喪主の妻、い保さんに付き添われるように、渡瀬さんの棺が運び出された。

 渡瀬さんは亡くなる前日の13日にも、マネジャーと4月スタートのテレビ朝日系「警視庁捜査一課9係 season12」の打ち合わせをしていたが、14日に容体が急変。同日夜、妻子が見守る中、息を引き取った。

 渡瀬さんは同作の台本を病室に持ち込んでいたという。

追悼コメント

実兄で俳優の渡哲也さん

「当初よりステージIV、余命1年の告知を受けておりましたので、今日の日が来る覚悟はしておりましたものの、弟を失いました、この喪失感は何とも言葉になりません。幼少期より今日に到るまでの二人の生い立や、同じ俳優として過ごした日々が思い返されその情景が断ち切れず、辛さが募るばかりです

2017・3・16    

        渡哲也」

テレビ朝日系のドラマ「警視庁捜査一課9係」で共演していた人気グループ「V6」の井ノ原快彦さん

「思い出が多すぎて、今は何から話していいかわかりません。渡瀬さんは僕の同志であり、尊敬する恩師です。これからも変わらず、大好きです」

テレビ朝日系のドラマ「警視庁捜査一課9係」で共演していた俳優の田口浩正さん

「現場で渡瀬さんが見てくれている安心感と緊張感。みんなを思いやる渡瀬さんの後ろ姿。忘れません。本当にありがとうございました」

渡瀬恒彦さんについて

渡瀬 恒彦(わたせ つねひこ、1944年7月28日- 2017年3月14日)は、日本の俳優・歌手。本名同じ。島根県能義郡安来町出身。東映マネージメント所属。兄は俳優の渡哲也、長男はTBSディレクターの渡瀬暁彦。身長174cm、血液型AB型。

本名 渡瀬 恒彦

生年月日 1944年7月28日

没年月日 2017年3月14日(満72歳没)

出生地 島根県能義郡安来町(現・安来市)

身長 174cm

血液型 AB型

職業 俳優・歌手

活動期間 1969年-2017年

幼少の頃に島根県から兵庫県津名郡淡路町に移り、淡路町立岩屋中学校、三田学園高等学校卒業。早稲田大学法学部除籍(1単位不足だったと「徹子の部屋」出演時の本人談)。在学中は空手道部に籍を置き、段位は弐段。電通PRセンターに勤務していた。

兄の渡哲也は日活の青春スターとして地位を確立していた一方で、渡瀬は芸能界に興味がなく、入る意思はまったくなかった。当時の東映は時代劇から任侠映画・アクション映画へ転換を図っており、渡瀬は企画製作本部長の岡田茂に口説き落とされ、エリートサラリーマン生活にピリオドを打って、1969年(昭和44年)に東映と契約した。渡が芸名で活動しているのに対し、本名で活動し始めたのは、高倉健を意識した東映に「大倉純」という芸名を付けられそうになったが気に入らず、それなら本名の方が良いと申し出たことに由来している。

三本目の映画『三匹の牝蜂』で共演した大原麗子と1973年(昭和48年)9月に結婚したが、5年後の1978年(昭和53年)2月13日に離婚した。翌1979年(昭和54年)、一般人女性と再婚。

故郷の兵庫県が阪神・淡路大震災で壊滅的な被害を受けた時に、渡ら石原軍団と共に被災地を訪れ、炊き出しを行った。

1994年(平成6年)に脳梗塞を起こしていたことを、『徹子の部屋』で明らかにした。『徹子の部屋』には2008年(平成20年)にも出演した際、普段は刑事役で知られているものの、実生活では「振り込め詐欺」の被害に遭いそうになったことを告白した(その後、この際の経験は『おみやさん』第6シリーズ最終話での演技に生かされることになる)。

2004年(平成16年)の『十津川警部シリーズ 東北新幹線「はやて」殺人事件』では、最初の妻だった大原と26年ぶりの共演を果たした。

2011年(平成23年)12月23日放送のTBSの年末スペシャルドラマ『帰郷』では、渡と約40年ぶりの共演を果たした。1971年度放送のNHKの連続ドラマ『あまくちからくち』以来のことで、その時と同じく兄弟役で共演した。 2015年(平成27年)の夏から秋にかけ、体調不良による入院で検査の結果胆嚢がんが見つかり、5か月間仕事を入れずに抗がん剤と放射線による治療に専念。渡は、恒彦の死去時に、この時点で「ステージIV、余命1年」を宣告されていたことを明かしている。その後、病状が安定したこともあって、同年12月に『おみやさん スペシャル』の撮影で現場に復帰し、以降も通院治療を継続しながら日常生活を過ごして、2016年(平成28年)には『警視庁捜査一課9係 season11』や『おみやさん スペシャル2』などの作品に出演した。

2017年(平成29年)4月には『警視庁捜査一課9係 season12』への出演を予定し、3月からの撮影に備えていた矢先の2月中旬、息苦しさを感じ、都内の病院に向かったところ、左肺の気胸と診断され、そのまま入院生活を送るも、復帰に向けて撮影の打ち合わせに参加するなど死去前日までは大きな異変はなかった。しかし、同年3月14日、敗血症を併発して容体が急激に悪化し、同日23時18分、多臓器不全により東京都内の病院で死去。72歳没。本人および遺族の意志により、葬儀は親族のみにて執り行われることが発表され、渡はマスコミに公表した直筆のコメントにおいて、言い表せない喪失感を吐露し、長年人生を共に歩んだ実弟の死を悼んだ。

初婚だった大原との間に子はいないが、再婚した妻との間に二児(長男と長女)をもうけている。長男・暁彦はTBS社員で、テレビドラマのディレクターを務めている。

親族にプロテニスプレイヤーの錦織圭がおり、渡・渡瀬兄弟と錦織の母がはとこにあたる。

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