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【物理学者】寺田寅彦 線香の火を消さないように

1878~1935 日本の物理学者

更新日: 2017年04月29日

ポケナイさん

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寺田寅彦の生涯

西洋の学者の掘り散らした跡へ遙々遅ればせに鉱石のかけらを捜しに行くのもいいが、我々の脚元に埋もれている宝を忘れてはならないと思う。

寺田寅彦が和辻哲郎に語った言葉

1878年、東京市麹町区(現在の千代田区)に生まれる。
寅年寅の日であったことから、寅彦と命名される。
1881年、親の故郷である高知に移る。

1893年、高知県尋常中学校(現高知県立高知追手前高等学校)に入学する。

1896年、熊本の第五高等学校に入学する。
寅彦はここで運命の出会いをする。
英語教師である夏目漱石と、物理教師である田丸卓郎である。

1899年、東京帝国大学理科大学に入学する。
田中館愛橘、長岡半太郎の教えを受ける。
また、夏目漱石の紹介で、正岡子規と知り合う。

1903年、東京帝国大理科大学卒業、大学院に進学する。

線香の火を消さないように

寺田寅彦が生徒達によく言った言葉

1909年、東京帝国大理科大学助教授に就任する。
後に親交を持つ和辻哲郎が、東京帝国大学に入学する。

同年ドイツのベルリン大学に留学する。
ヘルマン・フォン・ヘルムホルツの教えを受ける。
マックス・プランク、アドルフ・シュミット、ヴィルヘルム・ビェルクネスの講演を公聴する。

1911年、パリ、イギリス、アメリカを経由して帰国。
帰国後、農商務省から海洋学に関する研究を嘱託される。

1916年、東京帝国大理科大学教授に就任する。

1922年、アインシュタインが来日する。
寺田寅彦は、聴講し歓迎会に出席する。

後に弟子となる中谷宇吉郎が、東京帝国大学に入学する。
中谷宇吉郎によると、寅彦は他人を貶すことはほとんどなく、どの人間にもいくらかの美点を認めることがあった。

1935年、病気により死去する。

寺田寅彦名言

到底分らないような複雑な事は世人に分りやすく、比較的簡単明瞭な事の方が却って分りにくいというおかしな結論になる訳であるが、これは「分る」という言葉の意味の使い分けである事は勿論である。

出典アインシュタイン

あらゆる直接経験から来る常識の幻影に惑わされずに純理の道筋を踏んだのは、数学という器械の御蔭であるとしても、全く抽象的な数学の枠に万象の実世界を寸分の隙間もなく切りはめた鮮やかな手際は、物理学者としてその非凡なえらさによるものと考えなければならない。

出典アインシュタイン

人間を理解し人間を向上させるためには、盲目的に嘆美してはならないし、没分暁に非難してもならないと同様に、一つの学説を理解するためには、その短所を認める事が必要であると同時に、そのためにせっかくの長所を見のがしてはならない。これはあまりに自明的な事であるにかかわらず、最も冷静なるべき科学者自身すら往々にして忘れがちな事である。

出典相対性原理側面観

ナポレオンが運命の夕べに、南大西洋の孤島にさびしく終わってもその偉大さに変わりはなかった。しかしアインシュタインのような仕事にそのような夕べがあろうとは想像されない。科学上の仕事は砂上の家のような征服者の栄華の夢とは比較ができない。

出典相対性原理側面観

私は科学の進歩に究極があり、学説に絶対唯一のものが有限な将来に設定されようとは信じ得ないものの一人である。それで無終無限の道程をたどり行く旅人として見た時に、プトレマイオスもコペルニクスもガリレイもニュートンも今のアインシュタインも、結局はただ同じ旅人の異なる時の姿として目に映る。この果てなく見える旅路が偶然にもわれわれの現代に終結して、これでいよいよ彼岸に到達したのだと信じうるだけの根拠を見いだすのは私には困難である。

出典相対性原理側面観

頭が悪いと同時に頭がよくなくてはならないのである。この事実に対する認識の不足が、科学の正常なる進歩を阻害する場合がしばしばある。これは科学にたずさわるほどの人々の慎重な省察を要することと思われる。

出典科学者とあたま

吾々は学問というものの方法に馴れ過ぎて、あまりに何でも切り離し過ぎるために、あらゆる体験の中に含まれた一番大事なものをいつでも見失っている。肉は肉、骨は骨に切り離されて、骨と肉の間に潜む滋味はもう味わわれなくなる。これはあまりに勿体ない事である。

出典ある日の経験

おそらくどちらも悪いかどちらも悪くないかである。

赤道へ行っても実際は地球儀にかいてあるような線はどこにも存在しない。地図の上ではちがった絵の具でくっきりと塗り分けられた二つの国の国境へ行って見ても、杭が一本立ってるくらいのものである。人間のこしらえた境界線は大概その程度のものである。

出典日本楽器の名称

ある天才生物学者があった。山を歩いていてすべってころんで尻もちをついた拍子に、一握りの草をつかんだと思ったら、その草はいまだかって知られざる新種であった。そういう事がたびたびあったというのである。読書の上手な人にもどうもこれに類した不思議なことがありそうに思われる。のんきに書店の棚を見て歩くうちに時々気まぐれに手を延ばして引っぱりだす書物が、偶然にもその人にとって最も必要な本であるというようなことになるのではないか。

出典読書の今昔

われわれの生活の行路の上にもまたこういう橋の袂がある。そうしてそこで自分の過去の重荷を下ろそうとして躊躇することがしばしばある。同様に国家社会の歴史の進展の途上にも、幾多の橋の袂がある。教育家為政者は行手の橋の袂の所在を、充分に地図の上で研究しておかなければならないと思う。

出典さまよえるユダヤ人の手記より

ブルーノは学問と宗教と生命とを切り離す事ができなかった。デカルトではこれが分化されていたように見える。ガリレイはその二人の途中に立って悩んでいたのであろう。

出典LIBER STUDIORUM

語学が好きで数学の嫌いな学生諸君と、数学が好きで語学が嫌いな学生諸君とに、その好きなものと嫌いなものとに存外共通な要素のある事を思いださせ、その好きなものに対する方法を利用してその嫌いなものを征服する道程を暗示したいと考えたまでであった。

出典数学と語学

これは余談ではあるが、よく考えてみると、いわゆる人生の行路においても存外この電車の問題とよく似た問題が多いように思われて来る。そういう場合に、やはりどうでも最初の満員電車に乗ろうという流儀の人と、少し待っていて次の車を待ち合わせようという人との二通りがあるように見える。

出典電車の混雑について

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ポケナイさん

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