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【哲学者】和辻哲郎の生涯、名言

1889~1960 日本の哲学者『古寺巡礼』『風土』

更新日: 2017年05月18日

ポケナイさん

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和辻哲郎の生涯

荒漠たる秋の野に立つ。星は月の御座を囲み、月は清らかに地の花を輝てらす。花は紅と咲き黄と匂い紫と輝いて秋の野を飾る。花の上月の下、潺湲の流れに和して、秋の楽匠が技を尽くし巧みを極めたる神秘の声はひびく。

出典『霊的本能主義』和辻哲郎

人を裁くものは自分も裁かれなければならない

出典『ある思想家の手紙』和辻哲郎

1889年、兵庫県神崎郡砥堀村仁豊野(現在の姫路市仁豊野)に生まれる。
兵庫県の中でも、かなりの田舎である。
父は医者をしており、裕福な家庭であった。
子供の頃、『読者入門』『尋常小学読本』を読む。
村井弦斎の『近江聖人』を幾度も読み返した。
(近江聖人とは、江戸時代の陽明学者、中江藤樹のことである)

1901年、旧制姫路中学校(現姫路西高校)に入学する。
徳富蘆花の『思出の記』を幾度も読んでいた。
1906年、第一高等学校に入学する。
「校友会雑誌」に『霊的本能主義』を発表する。

1909年、東京帝国大学文科大学哲学科に入学する。
当時の哲学科の教師は井上哲次郎であったが、そりが合わなかった。
岡倉天心の講義を聴講し、深い感銘を受ける。
谷崎潤一郎や芦田均らと、第二次「新思潮」に参加する。
「新思潮」第一号に載せたのは、戯曲『常盤』である。
ラファエル・フォン・ケーベルを尊敬し、卒業論文を読んでもらおうと、自らの卒業論文を英語で書く。
卒業論文はアルトゥル・ショーペンハウアーについてであった。

1913年、夏目漱石と親交を持つ。
『倫敦塔』に強い感銘を受けた和辻は、敬慕の情のこもった手紙を綴る。
この年『ニーチェ研究』を出版する。
1915年、『セーレン・キェルケゴール』を出版する。
日本で初めてのキェルケゴール研究書である。

1916年、夏目漱石が死去する。
この頃から、日本文化に深い関心を持ち始める。
1917年、奈良を旅行し古寺を廻る。
この旅行は『古寺巡礼』に詳しく記述される。

現在の社会組織や教育などというものが、知らず知らずの間にどれだけ人と人との間をへだてているかということにも気づきました。心情さえ謙遜になっていれば、形は必ずしも問うに及ばぬと考えていた彼は、ここで形の意味をしみじみと感じました。

出典『土下座』和辻哲郎

これは彼にとって実に思いがけぬことでした。彼はこれらの人々の前に謙遜になろうなどと考えたことはなかったのです。ただ漫然と風習に従って土下座したに過ぎぬのです。しかるに自分の身をこういう形に置いたということで、自分にも思いがけぬような謙遜な気持ちになれたのです。

出典『土下座』和辻哲郎

1920年、『土下座』を出版する。
ある男の土下座の話である。
短いが一度読んだら忘れられない話である。
このある男は・・・
恐らく和辻哲郎、本人であると考えられる。
高齢の祖父が死去し、その葬式においての実体験であろう。

同年、東洋大学講師となる。
以後、各大学で教えながら、自らの研究を続けていく。
1922年、法政大学教授

1925年、京都帝国大学助教授
東京にいた時に、波多野精一、西田幾多郎らに、共に京都で働き、研究しないかと誘われる。
和辻はこれを何度も断っていた。
日本及び東洋の文化の研究をしたい、哲学及び哲学史と別に倫理学及び倫理学史というものを研究してよいのか、自分の自由な研究が妨げられるのではないだろうか、と心配したのである。
だが結局断りきれず、京都に行くことになった。

1927年、ドイツに留学する。
留学中に、ハイデッガーの『存在と時間』を読み大きな影響を受ける。
この体験は、後の『風土』に活かされる。
またイタリア探訪は、後の『イタリア古寺巡礼』に活かされる。

1927年、ドイツに留学し、翌年帰国する。
1929年、龍谷大学講師兼務
1931年、京都帝国大学教授

1960年、心筋梗塞により死去する。
神奈川県鎌倉市の東慶寺にお墓はある。

和辻の全蔵書は、法政大学に寄贈された。

和辻哲郎の名言

彼らが人類の教師であるのは、いついかなる社会の人々であっても、彼らから教えを受けることができるからである。事実上彼らの教えた人々が狭く限局せられているにかかわらず、可能的にはあらゆる人に教え得るというところに、人類の教師としての資格が見いだされる。

人類の教師たり得るような智慧の深さや人格の偉大さは、大衆の眼につきやすいものではないのである。

他から学ぶのみで自ら思索しなければ本当には悟れない。しかし、自ら思索するのみで他から学ぶことをしなければ危険である。

いわゆる格言なるものは、長期にわたって無数の人々によって同様なことがなされた結果できあがったものである。かつて寺田寅彦氏が、一つの国土における家の建て方村落の位置の選び方などには、地震とか暴風とか湿気とかに関する非常に深い智慧がかくされている、それは長期にわたってその国民が種々の経験によりおのずからに得たものであって、個々の学者の理論的意識よりも優っている、という意味のことを言われた。格言というものは人生の事に関する右のごとき智慧なのである。それはこの結論に達した経路を語らない、またその考察の原理をも示さない。しかし智慧たることを失わないのである。

あたり前の現象として人々が不思議がらない事柄のうちに不思議を見出すのが、法則発見の第一歩なのである。

出典寺田寅彦

わかろうとあせったり、意味を考えめぐらしたりなどしても、味は出てくるものではない。だから早く飲み込もうとせずに、ゆっくりと舌の上でころがしていればよいのである。そのうちに、おのずから湧然として味がわかってくる。

出典露伴先生の思い出

人はそれぞれの時代的、風土的な特殊の様式に対して、眼鏡の度を合わせることを学ばねばならない。そうすることによってそれぞれの物が鮮明に見え、その物の持つ意義が読み取られ得るのである。自分にとって鮮明でないからといってその物を無意義とするのは、単なる主観主義に過ぎない。

東洋文化を誇るあまりに、西欧の文化を侮りあるいは斥けるということは我々に解し難い。両者はおのおの尊敬すべき個性をもっているのである。

出典偶像再興

自分はその愚を嗤わらう権利を持たない。自分自身もまたその愚人の一人である。愚を知りつつそれを改め得なかったもの、危険を知りつつそれに備えることをしなかったものの一人なのである。

出典地異印象記

問題にしない時にはわかり切ったことと思われているものが、さて問題にしてみると実にわからなくなる。そういうものが我々の身辺には無数に存している。

出典面とペルソナ

私は近ごろ、「やっとわかった」という心持ちにしばしば襲われる。対象はたいていこれまで知り抜いたつもりでいた古なじみのことに過ぎない。しかしそれが突然新しい姿になって、活き活きと私に迫って来る。私は時にいくらかの誇張をもって、絶望的な眼を過去に投げ、一体これまでに自分は何を知っていたのだとさえ思う。

出典生きること作ること

誰でも自分自身のことは最もよく知っている。そして最も知らないのはやはり自己である。「汝自身を知れ」という古い語も、私には依然として新しい刺激を絶たない。

出典生きること作ること

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