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競馬 ~行方不明になった重賞勝ち馬~  Part2

誰にでも思い出のレースがあるはず。そこでがんばった馬たちが人知れず姿を消しているのをご存知ですか?ここに挙げるのは、姿を消した馬たちのほんの一部でしかありません・・・

更新日: 2017年04月05日

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yotaxさん

カネミノブ

カネミノブ(1974年5月23日 - 不明)は、日本中央競馬会の競走馬・種牡馬。

年末(1978年)の有馬記念はテンメイが出走回避して、押し出されるように同期のプレストウコウに1番人気。前年の秋の天皇賞馬・ホクトボーイが2番人気、半年ぶりのグリーングラスが3番人気、ダービー馬のサクラショウリが4番人気、カネミノブはノーマークに近い9番人気であった。レースはメジロイーグルが小気味の良いラップで逃げ、5番人気のエリモジョージが2番手、カネミノブは好位の内に入って流れに乗った。直線でメジロイーグルが突き放しにかかると、エリモジョージは後退。カネミノブは馬群から抜け出して先頭に立つと、粘り込みを図るメジロイーグルの外から同期のインターグロリアが強襲。それらを退けてカネミノブがレコードタイムで制覇し、この年の優駿賞年度代表馬に選出された。

引退後は種牡馬としてシンジケートが組まれ、キーミノブ(ペガサスステークス・毎日杯)を初めとして3頭の重賞勝ち馬を送り出した。だが、同期のマルゼンスキーに比べ自身の戦績に匹敵する馬に恵まれなかったのが祟り、種付け件数は次第に少なくなり、1991年を最後に採算割れの為にシンジケート解散となった。シンジケート解散後も1993年まで北斗牧場で繋養されていたが、同牧場から離れる前に「功労馬が哀れな姿になるのは忍びないから、なんとかしてくれ」という手紙が届いていたこともあった。しかし北斗牧場を離れた後は行方不明となっている。「屠殺場に送られた」、「当て馬になっている」等の噂が流れていたが、その後の消息は未だに不明である。
なお、母のカネヒムロが繁殖引退後にJRAの施設で余生を送っていた事もあり、「八大競走勝ち馬のこの馬が、なぜ牧場から出されて消息不明になったのか?」と、馬主や牧場のこの馬への扱いに疑問が持たれている。

ヒカリデユール

ヒカリデユール(発音はヒカリデュール)は日本の競走馬、種牡馬。1982年秋に地方競馬から中央競馬に移籍、同年に有馬記念に優勝するなど活躍し、1982年度優駿賞年度代表馬および最優秀5歳以上牡馬に選出された。

年末(1982年)の有馬記念ではアンバーシャダイ、メジロティターンに続く3番人気に支持される。しかしレースではスタート直後に他馬に挟まれる不利があり、後方2番手からの競馬となる。最後の直線に入った時点でもほぼ最後方の位置におり、手綱を取った河内自身も「これは駄目だ」と感じていた。しかしヒカリデュールはそこから一気の追い込みを始め、短い直線で抜け出したアンバーシャダイをゴール直前でアタマ差かわして優勝、八大競走制覇を果たした。さらにこの秋シーズンの活躍が評価され、この年の年度代表馬に選出される。地方出身馬の年度代表馬は オンスロート以来20年振り、サラ系出身馬としては史上初であった。

引退後は、1984年から馬主の橋本善吉が所有するトヨサトスタリオンセンターで種牡馬となり、1987年には35頭と交配したが、サラ系というハンデもあって産駒成績に恵まれず、1992年に廃用。スタリオンの引退後の処遇についての意識が薄く、その後の行方については明らかになっていない。

サルノキング

サルノキングは日本の競走馬、種牡馬である。1982年の東京4歳ステークス、弥生賞優勝馬。サルノキング事件でも知られる。近親にはカブラヤオー、ダイタクヘリオスなどがいる。

デビュー戦こそ単勝2番人気の3着と惜敗するも、その後レコード勝ち1回を含めて4連勝。暮れの目標であった阪神3歳ステークスは直前の体調不良で出走取消となるも、その後も東京4歳ステークス、弥生賞と連勝を重ねる。出走取消はレースをしていないと見なされるのでここまで6連勝を含む7戦6勝という順調な出世ぶりで、とくに弥生賞に関しては主戦騎手の田原成貴が「こんなの攻め馬だよ」とレース後に発言するほどの楽な内容の勝利であった。

スプリングステークスでサルノキングは1番人気に支持された。2番人気は「華麗なる一族」出身で当時史上最高金額で取引された話題馬・ハギノカムイオーである。スタートしてまもなく、ハギノカムイオーはいつものように先頭に立つ。サルノキングは後方2番手の馬からさらに20馬身ほど離れた最後方をたった1頭で進む。サルノキングは東上してから先行するレースを続けていたため、これは大方の予想に反する展開となった。そして、まだ中盤の第2コーナーからサルノキングはロングスパートをかけて上がっていき、一気に先行集団に取り付いたため、場内は騒然となった。しかし最後の直線に入ると失速し、楽なペースで逃げることのできたハギノカムイオーがそのまま逃げ切った。サルノキングは4着を確保したとはいえ、関東でのレースしか知らない者にとっては不可解極まるレース振りでの敗戦と見えた。この騎乗に八百長疑惑がかけられ、サルノキング事件と呼ばれるようになった。

引退後は種牡馬となったものの、札幌日経オープンでホクトベガの2着に食い込んで小波乱を演出したモガミサルノなどを出すに止まった。1993年に用途変更、その後屠殺場に送られたと言われる。

レオダーバン

レオダーバンは日本の競走馬。おもな勝鞍に菊花賞がある。

続く青葉賞では、出遅れのため4コーナーまでほぼ最後方だったが、そこから上がり3ハロン34秒5の末脚で一気に差し切って1着となった。このレース内容から、トウカイテイオーの対抗馬に躍り出る事となった。
そして、東京優駿(日本ダービー)では、重賞初挑戦ながら、トウカイテイオーに次ぐ2番人気に推されたが、トウカイテイオーに3馬身離された2着に終わった。

トライアルの敗戦や気性の激しさといった不安材料から、菊花賞では単勝3番人気にとどまる。レースは2000mの通過が2分10秒2という超スローペースになるが、鞍上の岡部が中団で折り合いを付け、レオダーバンの得意な瞬発力勝負に持ち込んだ。直線に入ると先頭に立ち、外から追い込むイブキマイカグラを1馬身半差振り切って優勝した。

引退後は、CBスタッドで種牡馬入りした。後にトヨサトスタリオンセンターに移動している。マルゼンスキーの後継として期待されたが、産駒はエルムステークス2着のエーピーバーストが目立つ程度で、種牡馬として成功したとは言い難い。
2001年には種牡馬からも引退した。八大競走の優勝馬であるにも関わらず功労馬繋養展示事業の対象となっておらず、トヨサトスタリオンセンター退厩後の消息は不明である。

オースミタイクーン

オースミタイクーンとは日本の元競走馬、種牡馬である。おもな勝ち鞍は1997年マイラーズカップ・セントウルステークス。

半兄に1991年ダービーステークス、アイルランドダービー、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス優勝のジェネラス(父カーリアン)、半妹に2001年アイリッシュ1000ギニー・イギリスオークス優勝のイマジン(父サドラーズウェルズ)がいる。

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