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【世界を変えた科学者】チャールズ・ダーウィンの生涯

理解できない。理解する必要はない。理解される必要はない。

更新日: 2018年04月26日

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この記事は私がまとめました

何故、彼らは考えたのか?何故、彼ら以外の人間は考えなかったのか?

ポケナイさん

世界を変えた科学者

物事のありのままの姿を自分の眼で見、その価値を見、他の人々には隠されている人生の矛盾を見、その矛盾が自分達を必ず導いてゆくに相違ない結果をはっきりと予想し、前もって早くその解決を探し求めている

出典『モーパッサン作品集への序文』レフ・トルストイ

GDE(ガリレイ!ダーウィン!アインシュタイン!)

ガリレオ・ガリレイ、チャールズ・ダーウィン、アルベルト・アインシュタイン。
GDEトリオです。
厳密に言えば、世界を変えたではなく、世界の多数の人間の思考を一変させたです。

ここではチャールズ・ダーウィンについて扱います。
ガリレオ・ガリレイとアルベルト・アインシュタインはまた違う場所で。
一番大切なこととして、“何故、彼らは考えたのか?”ではなく、
“何故、彼ら以外の人間は考えなかったのか?”です。

ソクラテス/プラトン 洞窟の比喩
TDN/TNOK 牢獄の比喩
人は理解できないことを嘲笑う
自らの知性の乏しさ
自らの目で見ることができず、自らの心で考えることができない
ことを誤魔化すために
支配されている
常識、教育、宗教、言語、淫夢

好きにするが良い。誰一人信じぬであろう。
そして気づいた時には、既に手遅れだ。
神が創造した唯一の特別な生物であると考え、進歩発展だと言っている方が幸福だと思うが?

ガリレオ・ガリレイ
1564~1642 イタリアの天文学者『星界の報告』『天文対話』

チャールズ・ダーウィン
1809~1882 イギリスの地質学者『種の起源』

アルベルト・アインシュタイン
1879~1955 物理学者 特殊相対性理論 一般相対性理論

チャールズ・ダーウィン

人間は神が創造した唯一の特別な生物である

誰も証明していない。誰一人証明していない。それなのに大多数の人間が当然のことと考えていた。

1809年2月12日、チャールズ・ダーウィンは、父ロバート・ダーウィン、母スザンナ・ウェッジウッドの次男として、イギリスのシュルーズベリーに生まれた。
父ロバート・ダーウィンは、医者でもあり、かつ資産運用を行い財産を大量に所有していた。
ただ医者として反感を受けないように、質素な暮らしをしていた。
父親の祖父エラズマス・ダーウィンは、医者、科学者として有名である。
彼の著作『ズーノミア』に、進化についての記述がある。
母親の祖父ジョサイア・ウェッジウッドⅠ世は、陶磁器のウェッジウッドの創始者である。

一言で言えば、非常に裕福な家庭に生まれました。
そしてこれは、非常に大事なことです。
そのおかげで、ビーグル号に乗船出来たのですから。
教育は平等である、もちろんそんなわけありません。
世の中KKK(金!金!金!)
生徒の素質、そしてそれ以上に、先生の資質が非常に大きいです。

チャールズ・ダーウィンは、子供の頃、学校の授業は怠けていた。
昆虫採取や魚釣りに熱中していた。

1825年、父の医業を手伝う為に、エディンバラ大学に入学し、医学を学ぶ。
だが、麻酔なしの手術を見て怖がり、医学の道を断念する。

父は、仕方なく牧師にしようと、ケンブリッジ大学に入学させる。
彼はここで植物学者のジョン・ヘンズローから教えを受ける。
常に一緒にいたことから、ヘンズローと散歩する男、というあだ名がつけられた。

大学を卒業し、ヘンズロー先生から手紙が舞い込む。
ビーグル号に同行しないか?という内容の手紙であった。
妻の兄に断られ、自ら行こうと考えたが仕事があるため無理で、ダーウィンに手紙を送ったのである。
彼は航海に同行しようとするが、父は反対する。
母の実家のウェッジウッド家に説得され、父は許可を与えた。

1831年12月、ビーグル号の航海に同行する。
フィッツロイ艦長の話し相手という立場であり、民間人として乗船したため、費用は自己負担であった。
ビーグル号は、イギリス政府によって、南米の海岸線の調査、海図を製作する目的があった。
顕微鏡、望遠鏡、磁石、大型拳銃などを持って旅に出た。
また、フンボルト『南米紀行』ライエル『地質学原理』ミルトン『失楽園』、そして聖書を持っていった。

フィッツロイ艦長とは、幾度も意見が対立した。
特に奴隷制度について、全く意見が合わなかった。
フィッツロイ艦長は奴隷制度に賛成であり、ダーウィンは奴隷制度に反対であった。

1836年10月、帰国する。
彼は航海の初めは、地質学者としてやって行ける自信がほとんどなかった。
だが、航海の途中でヘンズローの手紙を受け取り、自信が芽生える。
また旅は彼に自信を与えた。
既に彼の名は、ヘンズローのおかげで、科学界では有名であった。
更に『ビーグル号の航海記』によって、大衆に知られ、人気作家となる。

ビアンカorフローラorデボラ

出典ドラゴンクエストV

ほもorゆりorのんけ

姉のキャロラインが結婚すると、ダーウィンも結婚を意識するようになった。
誰と結婚するかよりも、結婚の損得を考えた。
そしてそれを、わざわざ丁寧に記述していく。
迷ったすえ、結局結婚することにした。

▪️結婚する利点

▪️結婚しない利点

→ビアンカを選ぶ

→フローラを選ぶ
イオナズン
上流階級と血縁関係を結べる
鞭とローソク

ダーウィンには、命懸けの冒険をする理想的な側面もあった。
そして彼は、結婚をするしないを選択するという現実的な側面もあった。

人が知る必要のないことにまで、必要以上に科学的探求を持ち込まないで欲しい

エマ・ウェッジウッドの言葉

1839年、従姉のエマ・ウェッジウッドと結婚する。
宗教に篤い女性であり、ピアノが得意であった。
フレデリック・ショパンから直接教えを受けたこともある。
二人は、6男4女を授かる。

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