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【NCAA】エリート集団デューク大学ブルーデビルズ@DukeMBB 出身 #NBA 選手まとめ

"コーチK"ことマイク・シャシェフスキーHC率いるエリート集団。数多くのNBA選手を輩出している、デューク大学 ブルーデビルズ!

更新日: 2019年08月15日

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hakatanotoraさん

名門子弟なども集まる私立校として有名。バスケットボールはもともと強く、古豪として知られていたが、いまや世界一のバスケットボールコーチともいえる、コーチKことマイク・シャシェフスキーの就任後は超エリートプログラムに成長した。

同じACCカンファレンスに所属するノースカロライナ大学とは、キャンパスが車で15分ほどしか離れておらず、スポーツにおける、世界一のライバル関係にあるとされている。

デューク大学のバスケットボール部を四半世紀にわたって率い、NCAA男子バスケットボールトーナメントで歴代最多の勝利数と4度の優勝経験を持つ。

以下、有名出身選手…

ディック・グロート(1949–1952、フォートウェイン・ピストンズ)

名  前:ディック・グロート
国  籍:アメリカ
生年月日:1930年11月4日
ポ ジ ション:PG
在学期間:1949–1952
ドラフト:1952年 3位
経  歴:フォートウェイン・ピストンズ

「アメリカ大学野球殿堂入りとアメリカ大学バスケットボール殿堂入りの両方を果たした唯一の選手」

リチャード・モロー・グロート(Richard Morrow "Dick" Groat, 1930年11月4日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ウィルキンスバーグ出身の元プロ野球選手(遊撃手)・元プロバスケットボール選手。右投右打。

MLBとNBAの両方でのプレー経験があり、2013年時点で「アメリカ大学野球殿堂入りとアメリカ大学バスケットボール殿堂入りの両方を果たした唯一の選手」である。

デューク大学時代は野球とバスケットボールの両方でオールアメリカン(全米代表チーム)に選ばれており、両スポーツで優秀な実績を残した。特にバスケでは839ポイントのNCAAシーズン記録も樹立した。

バスケでは839ポイントのNCAAシーズン記録も樹立

デューク大学時代は野球とバスケットボールの両方でオールアメリカン(全米代表チーム)に選ばれており、両スポーツで優秀な実績を残した。特にバスケでは839ポイントのNCAAシーズン記録も樹立した。

アート・ヘイマン(1960–1963、ニューヨーク・ニックス他)

名  前:アーサー・ブルース・ヘイマン
国  籍:アメリカ
生年月日:1941年6月24日
没年月日:2012年8月27日(満71歳没)
ポ ジ ション:SF / SG
在学期間:1960–1963
ドラフト:1963年 1位
経  歴:ニューヨーク・ニックス
     シンシナティ・ロイヤルズ
     フィラデルフィア・76ers
     ウィルミントン・ブルー・ボマーズ
     ハートフォード・キャピトルズ
     ニュージャージー・アメリカンズ
     ミネソタ・ パイパーズ
     マイアミ・フロリディアンズ

ヘイマン氏がもたらした最大の功績は、デューク大のバスケットボールにおける地位を高めたことにある

ヘイマン氏がもたらした最大の功績は、デューク大のバスケットボールにおける地位を高めたことにある。大学時代にはオール・アメリカンに3回選ばれ、デューク大バスケットボール史上初となるファイナルフォーに牽引。1963年のNCAAプレイヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、優勝チームでプレイしなかったにもかかわらず、ファイナルフォーで最も傑出した選手に選ばれた。

「ブルー・デビル(デューク大の愛称)のユニフォームを着た真のエリート選手の1人だった」by コーチ・K

デューク大そしてチームUSAのHC、マイク・シャシェフスキー氏は、「アート・ヘイマン氏は素晴らしい選手であり、1960年代にプレイした我々多くの者にとってアイドルだった。デューク大のバスケットボールに大きな影響を与えたのは明らかで、ブルー・デビル(デューク大の愛称)のユニフォームを着た真のエリート選手の1人だった。幸運にも私がデューク大のHCになった時、尊敬していたアートとの素晴らしい友情が始まり、30年以上も続いた。デューク大のバスケットボール・ファミリー全員が、アートの死を悼んでいる」と、ヘイマン氏のことを懐かしみながら振り返った。

ジェフ・マリンズ(1961–1964、ゴールデンステート・ウォリアーズ他)

名  前:ジェフリー・ヴィンセント・マリンズ Jr.
国  籍:アメリカ
生年月日:1942年3月18日
ポ ジ ション:SG / SF
在学期間:1961–1964
ドラフト:1964年 5位
経  歴:セントルイス・ホークス
     サンフランシスコ・ウォリアーズ
     ゴールデンステート・ウォリアーズ

最終学年の1963-64シーズンにはAP通信選出のオールアメリカ1stチーム、ACC年間最優秀選手に選ばれた

大学はデューク大学に進学し、3シーズンのプレイで平均21.9得点を記録。最終学年の1963-64シーズンにはAP通信選出のオールアメリカ1stチーム、ACC年間最優秀選手に選ばれ、NCAAトーナメントでは同校を初のファイナル4にまで導いた。

ジョニー・ドーキンス(1982–1986、サンアントニオ・スパーズ)

名  前:ジョニー・アール・ドーキンス Jr.
国  籍:アメリカ
生年月日:1963年9月28日
ポ ジ ション:PG
在学期間:1982–1986
ドラフト:1986年 10位
経  歴:サンアントニオ・スパーズ
     フィラデルフィア・76ers
     デトロイト・ピストンズ

4年次の1985-86シーズンに彼は1試合平均20.2得点をあげてネイスミス賞に選ばれた

デューク大学に進学した彼は1984年のロサンゼルスオリンピックアメリカ代表の補欠にもなった。4年次の1985-86シーズンに彼は1試合平均20.2得点をあげてネイスミス賞に選ばれた。チームはこのシーズン、37勝3敗という当時のNCAAシーズン記録の勝利をあげたがNCAAトーナメント決勝でルイビル大学に69-72で敗れた。

2,556得点という大学記録を残して卒業した

2,556得点という大学記録を残して卒業した。この記録は2006年にJ.J.レディックに更新されるまで残った[2]。大学時代の背番号24は後に永久欠番となった。また2002年にはアトランティック・コースト・カンファレンスの偉大な50人のバスケットボール選手に選ばれている。

ダニー・フェリー(1985–1989、クリーブランド・キャバリアーズ他)

名  前:ダニエル・ジョン・ウィラード・
     フェリー
国  籍:アメリカ
生年月日:1966年10月17日
ポ ジ ション:SF
在学期間:1985–1989
ドラフト:1989年 2位
経  歴:パッラカネストロ・ヴィルトゥス・ローマ
     クリーブランド・キャバリアーズ
     サンアントニオ・スパーズ

デューク大学卒業後、1989年のNBAドラフト1巡 2位でロサンゼルス・クリッパーズに指名される

デューク大学卒業後、1989年のNBAドラフト1巡 2位でロサンゼルス・クリッパーズに指名されるが、入団せず1989年イタリアプロリーグのパッラカネストロ・ヴィルトゥス・ローマでプレーした。翌シーズンクリーブランド・キャバリアーズに入団し、NBAプレーヤーとなった。

クリスチャン・レイトナー(1988–1992、ミネソタ・ティンバーウルブズ他)

名  前:クリスチャン・ドナルド・レイトナー
国  籍:アメリカ
生年月日:1969年8月17日
ポ ジ ション:PF / C
在学期間:1988–1992
ドラフト:1992年 3位
経  歴:ミネソタ・ティンバーウルブズ
     アトランタ・ホークス
     デトロイト・ピストンズ
     ダラス・マーベリックス
     ワシントン・ウィザーズ
     マイアミ・ヒート

史上唯一の4年間とも先発出場した選手である

レイトナーは4年連続NCAAトーナメントのファイナル4に進んだことのある4人のうちの1人であり、史上唯一の4年間とも先発出場した選手である。レイトナーはトーナメント記録をいくつも作り、その後当分破られることはないと思われる。

<NCAAトーナメント記録>
最多得点 - 408
最多フリースロー成功 - 142
最多フリースロー試投 - 167
最多試合出場 - 23

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