1. まとめトップ

一度は行ってみたい!「冨岡製糸場と絹産業遺産群」のすべて【世界遺産】

富岡製糸場は、群馬県富岡に設立された日本初の本格的な器械製糸の工場である。1872年(明治5年)の開業当時の繰糸所、繭倉庫などが現存している。「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として、2014年6月21日の第38回世界遺産委員会(ドーハ)で正式登録された。

更新日: 2017年05月16日

masaru.ozekiさん

  • このまとめをはてなブックマークに追加
1 お気に入り 617 view
お気に入り追加

■概要

この世界遺産は2003年以降、推薦の動きが本格化した。もとは富岡製糸場を世界遺産に推す動きから始まったが、群馬県内の様々な養蚕業・製糸業の関連遺産、さらにそれらの流通を支えた鉄道などからも推薦候補が選定された。当初は4市3町1村の10件の文化財群で構成されていたが、世界遺産としての価値の証明の観点などから絞込みが行なわれ、最終的に、官営模範工場として開業し、日本の製糸業の発展に大きな影響を及ぼした富岡製糸場(富岡市)、「清涼育」と呼ばれる養蚕技術を確立し、養蚕農家の様式にも影響を与えた人物の住宅であった田島弥平旧宅(伊勢崎市)、「清温育」と呼ばれる養蚕技術を確立し、蚕業学校によって知識や技術の普及を図った組織のありようを伝える高山社跡(藤岡市)、冷涼な環境での蚕種貯蔵によって、春だけでなく夏から秋にかけての養蚕を可能にし、ひいては生糸生産量の増大にも貢献した荒船風穴(下仁田町)という4件の構成資産が選定された。

既存の世界遺産には産業遺産も多く含まれるが、絹産業を価値の中心にすえた物件は存在せず、上記4物件が絹産業の技術交流や技術革新になした貢献は、世界遺産としての顕著な普遍的価値を備えているという判断からの推薦であり、2013年1月に世界遺産センターに正式な推薦書が受理された。

これに対し、世界遺産委員会の諮問機関である国際記念物遺跡会議 (ICOMOS) は現地調査などを行った上で、2014年4月に「登録」を勧告した。この勧告に基づいて同年6月の第38回世界遺産委員会で審議され、正式登録された。

富岡製糸場

富岡製糸場(とみおかせいしじょう、Tomioka Silk Mill)は、群馬県富岡に設立された日本初の本格的な器械製糸の工場である。1872年(明治5年)の開業当時の繰糸所、繭倉庫などが現存している。日本の近代化だけでなく、絹産業の技術革新・交流などにも大きく貢献した工場であり、敷地を含む全体が国の史跡に、初期の建造物群が国宝および重要文化財に指定されている。また、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として、2014年6月21日の第38回世界遺産委員会(ドーハ)で正式登録された。

田島弥平旧宅

田島弥平旧宅(たじまやへいきゅうたく)は、群馬県伊勢崎市境島村にある歴史的建造物。明治初期に大きな影響力を持った養蚕業者田島弥平が自身の養蚕理論に基づいて改築した民家である。「近代養蚕農家の原型」とも言われるその旧宅は、2012年に国の史跡に指定され、2013年に「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として世界遺産リストに登録された。

高山社跡

高山社(たかやましゃ)あるいは養蚕改良高山社(ようさんかいりょうたかやましゃ)は、高山村(現群馬県藤岡市高山)の養蚕業者高山長五郎が1884年(明治17年)に設立した養蚕業の研究・教育機関である。高山長五郎は長年にわたり養蚕技術の研究を重ねており、前身となる高山組の発足は1873年(明治6年)のことであった。高山社は巡回教師の派遣と蚕業学校の展開によって、長五郎が確立した養蚕技法「清温育」(せいおんいく)の普及に大きく貢献し、その養蚕技法が明治中期以降の標準的な育て方になった。

高山社は1887年(明治20年)に本部を当時の藤岡町に移転したが、それまで本部となっていたのが長五郎の住宅であり、そこが養蚕技術の研究や伝習の場にもなっていた。その旧宅は高山社跡(たかやましゃあと)として国の史跡に指定されており、世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産となっている。

荒船風穴

荒船風穴は、群馬県下仁田町の中心部から西に約16km、標高840m前後の地点に残る史跡である。この蚕種貯蔵施設は庭屋静太郎(にわや せいたろう)・千壽(せんじゅ)の親子によって作られた

庭屋静太郎は村長や県会議員を務めたこともある人物で、1893年(明治26年)に地元の組合製糸業者が甘楽社から独立して下仁田社を結成した際には、その取締役に就任していた。その息子である千壽は高山社蚕業学校の卒業生であり、在学中に長野の風穴などについての知見を得ていた。千壽は自宅周辺を調査して回り、自宅から7kmの位置にある風穴に着目し、蚕種貯蔵に使えるかどうか検討した。こうして形成されたのが荒船風穴である。

「富岡製糸場と絹産業遺産群」の顕著な普遍的価値

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、長い間生産量が限られていた生糸の大量生産を実現した「技術革新」と、世界と日本との間の「技術交流」を主題とした近代の絹産業に関する遺産です。日本が開発した生糸の大量生産技術は、かつて一部の特権階級のものであった絹を世界中の人々に広め、その生活や文化をさらに豊かなものに変えました。

■登録基準

(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。

この基準の適用理由について世界遺産委員会は、「富岡製糸場は、産業としての養蚕技術をフランスから日本に、早い時期に、完全に移転することに成功したことを示している。地元での長年の養蚕の伝統を背景として行われたこの技術移転は、養蚕の伝統自体を抜本的に刷新した。この結果富岡は、技術改良の拠点となり、20 世紀初頭の世界の生糸市場における日本の役割を証するモデルとなった。このことは、世界的に共有される養蚕法が、早い時期に現れたことの証拠となった」(文化庁訳)とした。

(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

こちらの基準の適用理由については、「富岡製糸場と絹産業遺産群は、生糸の大量生産のための一貫した集合体の優れた見本である。設計段階から工場を大規模なものにしたことと、西洋の再良の技術を計画的に採用したことは、日本と極東に産業の方法論が伝播する決定的な時期だったことを示している。19 世紀後半の大きな建築物群は、和洋折衷という日本特有の産業建築洋式の出現を示す卓越した事例である」(文化庁訳)と説明された。

■富岡製糸場が該当したクライテリア

・明治政府による高品質生糸の大量生産のための近代西欧技術導入。
・日本国内での養蚕・製糸技術改良の促進。
・日本の高度な養蚕・製糸技術の海外移転による世界の絹産業の発展

・器械製糸から自動繰糸機での製糸技術の発達を伝える富岡製糸場。
・革新的な養蚕技術の開発とその普及を伝える建築物・工作物の代表例。

1





masaru.ozekiさん

皆様のお役に立てるような興味ある「まとめ」を作成していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。