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正岡子規 九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす

1867~1902 日本の俳人『歌よみに与ふる書』

更新日: 2017年08月14日

ポケナイさん

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正岡子規

病牀六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病牀が余には広過ぎるのである。

出典『病牀六尺』正岡子規

35年の短い生涯において、結核を患いながら、日本の俳句、短歌、詩、文学、評論、随筆に大きな影響を与えた。

また野球好きとしても知られる。ポジションは捕手であった。

写生

正岡子規が俳句に取り入れた概念。
当時は、主観、理屈、機知の俳句が流行していた。
正岡子規は、ヨーロッパで流行していた自然主義、絵画の世界に、写生という事物を見たままに写し取る技法があることを知る。
俳句に写生を取り入れ、その結果俳句は変革されることとなる。
そして短歌、詩、文学、評論、随筆などにも、写生の概念を取り入れていく。

正岡子規に師事した高浜虚子はこれを受け継ぎ、「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱した。

正岡子規の俳句

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

法隆寺に立ち寄ったあと、茶店で一服して柿を食べていると、鐘の音が鳴った。
美しい秋空の下に広がる法隆寺と、鮮やかな秋の色をした柿と、荘厳な時の鐘の音を句に含めている。

行く我にとどまる汝に秋二つ

出典寒山落木

上京する正岡子規の、夏目漱石への別れの俳句である。
正岡子規は、故郷の愛媛を離れ東京に行こうとしている。
夏目漱石は、東京を離れ愛媛に行き、ここに残ろうとしている。

鶏頭の十四五本もありぬべし

結核のため寝たきりとなり、外に出ることができなかった。
外を見ることは出来ないが、おそらく鶏頭は一四五本あるのだろう。

いくたびも雪の深さを尋ねけり

結核のため寝たきりとなり、外に出ることが出来なかった。
外はどうなっているのか、家族に幾度も尋ねた。

正岡子規の言葉

九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす

若人のすなる遊びはさはにあれどベースボールに如く者もあらじ

今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸の打ち騒ぐかな

人の希望は初め漠然として大きく、後にようやく小さく確実になるならいなり

出典墨汁一滴

余は昔から学校はそれほどいやでもなかったが、試験という厭な事のあるためついには学校という語が、既に一種の不愉快な感を起こすほどになってしもうた

出典墨汁一滴

多くの人の俳句を見るに自己の頭脳をしぼりてしぼり出したるは誠に少く、新聞雑誌に出たる他人の句を五文字ばかり置きかへて何知らぬ顔にてまた新聞雑誌へ投書するなり

出典墨汁一滴

学校で歴史の試験に年月日を問うような問題が出る。こんな事は必要があればだんだんに覚えて行く。学校時代に無理に覚えさせようとするのは愚な事だ。

出典墨汁一滴

殊に怪しきは我が故郷の昔の庭園を思ひ出だす時、先づ我が眼に浮ぶ者は、爛漫たる桜にもあらず、妖冶やたる芍薬にもあらず、溜壺に近き一うねの豌豆と、蚕豆の花咲く景色なり

出典わが幼児の美観

余は今まで禅宗のいわゆる悟りという事を誤解して居た。悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった。

出典病牀六尺

桜花をのみ無上にありがたがりて、外の花の美を知らぬ人とは、共に美術文学を語りがたし

出典人々に答ふ

人間は皆一度ずつ死ぬるものであるという事は、人間皆知っているわけであるが、それを強く感ずる人とそれほど感じない人があるようだ

備考

平家物語
日本の軍記物語、作者不詳、鎌倉時代に成立したと考えられる

先がけの勲功立てずば生きてあらじと誓へる心生食知るも

正岡子規の『平家物語』を詠んだ歌

松尾芭蕉
1644~1694 日本の俳諧師『おくのほそ道』

与謝蕪村
1716~1784 日本の俳人 画家

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