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江本孟紀「ベンチがアホやから」と発言し球界引退 #しくじり先生

南海と阪神で活躍した江本先生はプロ野球界の超問題児。34歳の時に「ベンチがアホやから野球ができへん!」と上層部に暴言を吐いた。番組では「嫌いな上司と10倍楽しく付き合う方法」を伝授!

更新日: 2017年04月30日

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wappameshiさん

江本孟紀のプロフィール

本名   江本孟紀(えもとたけのり)
生年月日 1947年7月22日
出身地  高知県香美郡土佐山田町(現:香美市)

江本孟紀元投手は東映(現日本ハム)、南海(現ソフトバンク)、阪神の投手として、プロ11年間で通算113勝を挙げながら、阪神時代の1981年のシーズン途中、球史に残る『ベンチがアホやから事件』で電撃的に現役を引退した。

現役引退後は野球解説者、野球評論家、政治家、タレント、俳優、実業家として活動している。
元民主党高知県連顧問、元スポーツ平和党副代表、元参議院議員(2期)(スポーツ平和党→自由の会→フロムファイブ→民政党→民主党)。

暴言を吐いてシーズン途中で引退

かつて南海と阪神で活躍した江本先生はプロ野球界の超問題児。34歳の時に「ベンチがアホやから野球ができへん!」と上層部に暴言を吐き、その結果、シーズン途中で引退に追い込まれてしまいました。

大学野球時代から暴言を吐いていた!監督はワンマン上司

ファーwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww #しくじり先生 pic.twitter.com/pXoU4P6yIr

「陰口は必ずバレる」 #しくじり先生 pic.twitter.com/9UyM8YE5hn

監督に使ってもらえず、プロ野球のスカウトから声がかからなかった。(ドラフトから指名されなかった)
江本さんは社会人野球に進みます。

今日のしくじり先生はなかなかタメになる pic.twitter.com/n7xSeDlLJv

口答えを許さないワンマンタイプの上司には感情的に意見しない!

南海ホークス時代は理論派上司の野村監督

野村さんは結構いい上司だった。監督とはプライベートでも仲が良かった。
江本投手は年間16勝した。

こいついつも暴言吐いてんなぁ…… #しくじり先生 pic.twitter.com/XcAKlZWott

監督と仲が良すぎて、監督のプライベートのことまで口を出してしまったこともあった。

問題の上司(中西太)は優柔不断タイプだった!

嫌ったら、嫌われる。
嫌われたら、嫌いになる。
中西監督との関係からこの名言が生まれた!

「ベンチがアホやから野球がでけへん」で引退の真相

1981年8月26日の阪神対ヤクルト戦。先発投手は江本孟紀。7回まで4対1と阪神がリードしていた。
ところが、8回に1点を返され4対2なった。なお二死二・三塁で打席に8番バッターの水谷新太郎を迎えた。次打者は投手。勝負か、敬遠か、交代か?

私はどう切り抜けるべきか作戦を確認しようと、ベンチを見た。するとベンチにいた中西監督が、コソコソとダッグアウトの奥に入っていく姿が見えた。

江本孟紀が当時を振り返った。

中西さんは“肝心な時に逃げる”というので有名だったが、まさかこの場面でいなくなるとは思わなかった(苦笑)。セオリーなら一塁が空いているから敬遠。仕方ないので、様子を見るために投げたボール球に、打者が飛びついてきた。

仕方がないから、捕手・笠間雄二に「中腰に構えろ」と指示。1球、高めに外して様子をみることにした。中途半端な高さの球を中前へ運ばれ、同点にされた。

江本は降板を言い渡されて激昂。ロッカーへ下がる際に「何を考えとるんや、アホか」と独り言をいったのを記者に聞かれ、それが翌日の新聞の見出しに躍った。

翌日、大阪市内の球団事務所で、岡崎義人球団代表に事情を説明した。処分は「謹慎10日間」。

10日休むと、元の状態へ戻すのに3倍の日数がかかるそうです。
となると、そのシーズンはもう投げられない。

「処分を出すのも気分が悪いでしょう。球団にも迷惑をかけたし、責任を取ってやめます」その場で、20センチ四方のガリ版刷りの任意引退届に署名して捺印。

江本孟紀「中西さんとは因縁があったんです」

中西太(なかにしふとし)は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(西鉄ライオンズ)。

1952年に西鉄へ正式入団すると、1年目に新人王を獲得。2年目の1953年にはトリプルスリー(打率.314、36本塁打、36盗塁)を史上最年少で達成。これは2015年現在でも破られていない。1953年から1956年にかけては4年連続で本塁打王を獲得している。

1969年に現役を引退。引退後はヘッドコーチ(ヤクルトアトムズ)、 日本ハムファイターズの初代監督を務めた。
1979年から阪神タイガース一軍打撃コーチに就任する。ここで江本との確執が生まれる。

中西さんがバッティングコーチだった'79年。キャンプでの練習中、突然中西さんが狭いスペースで打撃練習を始めさせ、打球が別の練習をしている選手に当たるという事件があった。

江本さんは選手会長だったから、中西さんに文句を言った。
煮え切らない態度の中西さんに腹が立ち、熱くなってタバコまで投げつけてしまった!
以来、犬猿の仲だった。

1979年から阪神タイガース一軍打撃コーチに就任、1980年途中監督のドン・ブレイザー辞任に伴い監督へ昇格した。

信頼されていたブレイザー監督は解雇され、広島遠征中に中西コーチがバスの中で「俺が監督になる」と発言した。
翌年も監督を続投し、このシーズンに「ベンチがアホやから」事件が起きた。

「嫌いな上司と10倍楽しく付き合う方法」

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