デビューまで

父ラヴィ・シャンカルと母スー・ジョーンズの娘としてニューヨークにて出生。3歳の時に両親は離婚、ニューヨークから2000キロ以上離れた母の故郷テキサス州ダラス近郊グレープヴァインに転居。生活を支えるために母スーは看護師として働き始め、兄弟もいないノーラは家で一人となり、母が持つ膨大な数のLPレコードで寂しさを紛らわせた。彼女は、そこから強い音楽的影響を受け、次第に地元テキサスで愛されたカントリー・ミュージックや当時流行のソウル・ミュージックのお気に入りの曲をピアノで弾き歌うようになった。
5歳のとき教会の聖歌隊合唱団に所属。7歳頃にピアノのレッスンを受け始め中学生頃にはアルト・サックスを吹くこともあった。
「ママが8枚組ビリー・ホリデイのアルバムを持っていて、アルバムの中から、好きで何度もなんども弾いた曲の入ったディスクを取り出したの。『ユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッド』("You go to my head")が大好きだった」
と語った言葉は有名となり、あちこちに引用されている。ビル・エヴァンスからも、この頃に影響を受けている。10代の頃にはモトリー・クルー、ガンズ・アンド・ローゼズ、ウォレント、ポイズン、M.C.ハマー、ニルヴァーナなどを愛聴するようになり、M.C.ハマーのコンサートが初めてのコンサート体験となった。
15歳の頃、郊外のグレープヴァインからダラス中心街に移り住み、ダラスのブッカー・T・ワシントン高校でパフォーミングとヴィジュアル・アートを履修。16歳の誕生日に地元のコーヒーハウスで初のギグを行い、ビリー・ホリデイの持ち歌『アイル・ビー・シーイング・ユー(“I'll be seeing you”)』をエタ・ジェイムズのイメージで歌う。

1996年、高校在学中にダウンビート学生音楽賞(Down Beat Student Music Awards)の「最優秀ジャズヴォーカリスト賞(Best Vocalist)」、「最優秀オリジナル作曲賞(Best Original Composition)」を獲得し、

翌1997年にも同音楽賞で「最優秀ジャズヴォーカリスト賞」を受賞する。
高校卒業後、北テキサス大学でジャズ・ピアノを専攻。また、ラズロ(Laszlo)という名のバンドで、本人いうところの「ダークで、ジャジーなロック("dark, jazzy rock")」の曲を歌っていた。20歳の大学3年の夏、友人に誘われニューヨークのマンハッタンに旅行。
「音楽がわたしを引き留めたの。音楽業界はあまりにも巨大でとても刺激的。特に『ザ・リヴィング・ルーム』(The Living Room)みたいなところで凄いソングライターの曲を聴くのは楽しかったから、あらゆるものが私の能力を広げてくれるように思えて、帰る気にはなれなかったの」
と後に語ったように、1か月の予定で旅行に出たまま、大学へは戻らずウエイトレスの仕事をしながらマンハッタンで出会ったソングライターたちに刺激を受け、自分の曲を作り始める。1999年12月頃より1年ほどはファンク・フュージョンのバンド、ワックス・ポエティック(Wax Poetic)と共演する常連になった。まもなく、ソングライターのジェシー・ハリス(Jesse Harris)、ベースのリー・アレグザンダー(Lee Alexander)、ドラムスのドン・ライザー(Dan Rieser)とバンドを結成、ノーラはヴォーカルとピアノを担当した。

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