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【愛知県】知立神社と徳川家康【知立市】

愛知県知立市にある知立神社と徳川家康の側室である於万の方のまとめです。お万の方について一般的には尾張国知立(愛知県知立市)の知立神社の神官で、知立の城主であった永見淡路守中務丞貞英(吉英)の娘であるとされている。築山御前(築山殿・瀬名)の侍女であった。

更新日: 2017年05月02日

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hogehogemanさん

知立神社とは

知立神社(ちりゅうじんじゃ/ちりふじんじゃ)は、愛知県知立市西町にある神社。式内社、三河国二宮で、旧社格は県社。
旧称は「池鯉鮒大明神」。江戸時代には「東海道三社」の1つに数えられた。

景行天皇の頃の創建と伝え、以来千年以上にわたりこの碧海地方はもとより広く篤く崇敬を集めてまいりました。すでに平安時代『延喜式』神名帳にその名が見え、三河国二宮として国司の祭祀を受け、江戸時代には東海道三社の一つに数えられ、東海道を往来する旅人には「まむし除け」のご神徳で知られ各地にご分社ご分霊が勧請されました。近代以降においては皇室の祖神をお祀りするご縁から国家安寧・家内安全の神社として、今なお多くの参拝者をお迎えしております。

徳川家康側室・結城秀康の生母・於万の方とは

お万の方について一般的には尾張国知立(愛知県知立市)の知立神社の神官で、知立の城主であった永見淡路守中務丞貞英(吉英)の娘であるとされている。築山御前(築山殿・瀬名)の侍女であった。

長勝院(ちょうしょういん、天文16年(1547年) - 元和5年12月6日(1620年1月10日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。江戸幕府の初代将軍・徳川家康の側室。おこちゃ、於万の方、小督局とも。結城秀康の生母。

長勝院 = 於万の方 = 小督局

天正元(一五七三)年、家康は築山御前の世話係をしていた於万を側室にしている。これは知立神社永見氏という在地領主を配下に置くということだけでなく、叔母と姪という於大と於万の関係からも、家康に仕えることとなったことが想像される。そして天正二(一五七四)年於万は家康の子をもうけることとなる。

於万の方 = 徳川家康の側室

はじめ徳川家康の正室・築山殿の奥女中で、家康の手付となり、於義伊(のちの結城秀康)を産んだとされるが、家康が永見氏を臣従させたときに万を仕えさせることを約束させ、元亀三年に浜松城に仕え、於義伊を産んだともされる。

結城秀康 = 徳川家康の息子

永見氏とは

永見氏は、古代・中世において知立神社の神官としてだけでなく、武門の家系としても当地域に勢力をもっていた。平安時代末期に神主であった永見貞春は、保元・平治の乱を戦った武士であったと伝えられている。

永見氏の娘 = 於万の方

結城秀康とは

結城秀康とは戦国時代~江戸時代の武将・大名。徳川家康の次男で、後の越前松平家の初代当主。

結城秀康 = 徳川家康の次男

結城 秀康(ゆうき ひでやす)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。越前北ノ庄藩初代藩主。越前松平家宗家初代。

参考:徳川家康の子どもたち

松平信康、亀姫、結城秀康、督姫、徳川秀忠、松平忠吉、振姫、武田信吉、松平忠輝、徳川義直、徳川頼宣、徳川頼房、ほか

参考リンク

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