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ビリー・ザ・キッド (西部アウトロー列伝 1)

厳しい生存競争と無限のチャンスに溢れた西部開拓時代、そこには戦後の日本同様に多くの荒くれ者が存在しました。ビリー・ザ・キッドは西部史上、最も凶悪なアウトローと呼ばれ、犯罪者でありながらその写真に6億円の値がついたこともある歴史的な人物である。

更新日: 2018年01月15日

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来栖崇良さん

本名は、ウイリアム・H・ボニイ


1859年11月23日、ニューヨーク生まれ



家族は、母のキャサリーンと兄のジョゼフ


父親については諸説あって不明

身持ちのよくない母親と西部へ流れて行き、ニューメキシコで育った。
14歳の時、母親を侮辱した男を殺して家を飛び出す。

以来、生涯に21人を殺害したという。


家出してからは、アリゾナ、テキサス、メキシコ国境で牛泥棒や強盗、殺人を重ね、いつしかビリー・ザ・キッドと異名をとるアウトローになっていた。

18歳の時、イギリスから移住しニューメキシコ準州リンカーン郡で牧場を始めたジョン・H・タンストールという牧場主に拾われ、その人格に敬服して、その下でカウボーイとして働くようになった。

しかし、タンストールが牧場と同時に商店経営も手がけ、それが大成功を収めたため、既得権益を守ろうとする地元の商店経営者ローレンス・マーフィーやジェームス・ドランらに妬まれるようになる。

ローレンス・マーフィーやジェームス・ドランらは乱暴者を集めタンストールの商売を妨害した。


対抗上、タンストールもカウボーイの数を増やした。

緊迫した状況下、タンストールがジェームス・ドランの派遣した保安官によって殺されてしまう。

ローレンス・マーフィーやジェームス・ドランたちは、保安官や政治家と結託して、強力な犯罪組織を形成していたのだ。


タンストールを殺されたビリーたちは、ドラン派のシェリフなどを片っ端から殺し、派手な戦闘を繰り広げた。

これがリンカーン郡戦争と呼ばれる事件で、結果はビリー側が敗れたが、その後もビリーは一人で殺人、強盗を重ねた。

アリゾナ州知事ルー・ウォーレス将軍(小説「ベン・ハー」の作者)は、ビリーの旧友パット・ギャレットを保安官に起用して追跡させた。




1880年12月のクリスマスの日、さすがのビリーもついにパット・ギャレットに追いつめられ、逮捕された。



しかし、その23日後、ビリーは看守を射殺して脱獄してしまった。


パット・ギャレットは再びビリーを追った。

1881年7月14日、ニューメキシコのフォート・サムナーに潜伏していたビリーは、パット・ギャレットに発見されて射殺された。

享年21歳だった。



ビリー・ザ・キッドは左利きだった、という説がある。これは残された写真が左右逆に焼かれていたためらしい。

ただ、写真からは160センチぐらいの身長だったことが推定されている。

小柄で口が達者、誰に対しても愛想のよい態度を示した。

肝心なビリーの拳銃の腕前だが、ある時、サムナー砦で暴れ者のカウボーイ、ジョー・グランドに出会った。


ビリーは拳銃を見せてくれとねだり、隙を見て一発目の弾丸を抜いておいた。

後で口論になり、後ろからグラントが拳銃の引き金を引いた。

もちろん不発、その瞬間、ビリーは振り向きざまに3発の弾丸をグラントに浴びせた。


死体を改めると、3発とも同じ所に命中していたという。

ジャック・ビューテル主演「ならず者」
(ハワード・ヒューズ監督、1943年)


ポール・ニューマン主演「左ききの拳銃」
(アーサー・ペン監督、1958年)


クリス・クリストファースン主演「ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯」
(サム・ペキンパー監督、1973年)

など

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