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ジェシー・ジェイムズ (西部アウトロー列伝 2)

厳しい生存競争と無限のチャンスに溢れた西部開拓時代、そこには戦後の日本同様に多くの荒くれ者が存在しました。ジェシー・ジェイムズは強盗のターゲットを強い者に限定し、西部のロビン・フッドと呼ばれ、犯罪者でありながら義賊として民衆の人気を得た。

更新日: 2018年01月31日

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来栖崇良さん

1847年9月5日、ミズーリ州カーニー生まれ

牧師の子で、4歳年上に兄のフランクがいる。




南北戦争が始まると、兄フランクは悪名高い南軍のクワントリル・ゲリラに参加。


ジェシーも15歳の時(17歳という説もある)、兄と同じクワントリル・ゲリラに身を投じ、殺人や強盗を覚えた。

南北戦争は終わったが、クワントリル・ゲリラに属した者は、無法者として追われた。

そのため、ジェシーは兄フランクや元戦友のコール・ヤンガーとその兄弟たち(ジム、ジョン、ボブ)と共に、「ジェイムズ=ヤンガー・ギャング」を結成。

北部系の銀行や鉄道を次々と襲い、強盗や殺人を繰り返した。

「ジェイムズ=ヤンガー・ギャング」の主な犯罪歴を挙げてみよう。


1866年10月、ミズーリ州レキシントンの銀行を2名で襲撃、2,000ドルを奪う。

1867年5月、リッチモンドの銀行を襲撃、8名を殺害し4,000ドルを奪う。

1868年3月、ケンタッキー州ラッセルヴィルの銀行を6名で襲い、15,000ドルを強奪。

1871年6月、アイオワ州で40,000ドルを奪う。

次第に強奪金額が増えているのがわかる。

当然、「ジェイムズ=ヤンガー・ギャング」の捜索隊が組織されたが、一味はなかなか捕まらなかった。



北部系の銀行を襲ったことで、南部びいきの農民の支持を受けたこと、銀行の金利に苦しむ農民がかくまってくれたことが要因である。




しかし、犯行が北部寄りのミネソタ州に移ってから住民の支持を受けられなくなった。

捜索隊に有名なピンカートン探偵事務所が加わり、追跡は厳しさを増した。

1874年にはジョン・ヤンガーが殺害され、一味は次第に追いつめられていく。

そして、1876年、ミネソタ州ノースフィールドで銀行を襲った時、住民の抵抗に遭ってヤンガー兄弟は捕らわれてしまう。

だが、ジェイムズ兄弟は逃走に成功、ほとぼりが冷めた後、ボブとチャーリーのフォード兄弟を加えて、再び強盗をくりかえした。

1882年、ミズーリ州政府はジェシーの首に10,000ドルの懸賞をかけた。



これに目がくらんだフォード兄弟は、1882年4月3日、ハワードと変名して隠れていたジェシーを背後から射殺する。




享年34歳だった。

〝西部のロビンフッド〟と言われた理由は、ミズーリ州セントルイスで列車を襲った時、乗客の手を調べて、労働者と女性からは金品を奪わなかったことが、新聞に「奪うのはシルクハットの紳士たちから」という記事になって載ったこと。



ある農場で南軍兵士の未亡人から食事をご馳走になった時、1,400ドルの借金のため農場が人手にわたると聞き、お金を恵んだという話が伝えられたこと。



銀行襲撃の時、逃走するギャング団の馬のひずめでけがをした少女に、「治療代を払う」と新聞に投書したという話などによる。

タイロン・パワー主演「地獄への道」
(ヘンリー・キング監督、1939年)



ロバート・デュバル主演「ミネソタ大強盗団」
(フイリップ・カウフマン監督、1972年)



ブラッド・ピット主演「ジェシー・ジェイムズの暗殺」(アンドリュー・ドミニク監督、2007年)


などなど多数。

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