1. まとめトップ

心に響くアンネ・フランクの名言!

アンネ・フランクの名言をまとめてみました。

更新日: 2017年06月26日

1 お気に入り 7233 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

karupinnさん

アンネ・フランク(1929年6月12日 - 1945年3月上旬)は、『アンネの日記』の著者として知られるユダヤ系ドイツ人の少女である。

ドイツのフランクフルト・アム・マインに生まれたが、反ユダヤ主義を掲げる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の政権掌握後、迫害から逃れるため、一家で故国ドイツを離れてオランダのアムステルダムへ亡命した。しかし第二次世界大戦中、オランダがドイツ軍に占領されると、オランダでもユダヤ人狩りが行われ、1942年7月6日に一家は、父オットー・フランクの職場があったアムステルダムのプリンセンフラハト通り263番地の隠れ家で潜行生活に入ることを余儀なくされた(フランク一家の他にヘルマン・ファン・ペルス一家やフリッツ・プフェファーもこの隠れ家に入り、計8人のユダヤ人が隠れ家で暮らした)。

ここでの生活は2年間に及び、その間、アンネは隠れ家でのことを日記に書き続けた。1944年8月4日にナチス親衛隊(SS)に隠れ家を発見され、隠れ家住人は全員がナチス強制収容所へと移送された。アンネは姉のマルゴット・フランクとともにベルゲン・ベルゼン強制収容所へ移送された。同収容所の不衛生な環境に耐えぬくことはできず、チフスを罹患して15歳にしてその命を落とした。1945年3月上旬頃のことと見られている。

隠れ家には、アンネがオランダ語で付けていた日記が残されていた。オットーの会社の社員で隠れ家住人の生活を支援していたミープ・ヒースがこれを発見し、戦後まで保存した。8人の隠れ家住人の中でただ一人戦後まで生き延びたオットー・フランクはミープからこの日記を手渡された。オットーは娘アンネの戦争と差別のない世界になってほしいという思いを全世界に伝えるため、日記の出版を決意した。この日記は60以上の言語に翻訳され、2500万部を超える世界的ベストセラーになった。

アンネ・フランクの名言

あなたのまわりにいまだ残されている
すべての美しいもののことを考え、
楽しい気持ちでいましょう。

幸せな人は誰でも、
他の人をも幸せにするでしょう。

薬を10錠飲むよりも、
心から笑った方が
ずっと効果があるはず。

私の想像の翼は、
閉じ込められても
閉じ込められても、
はばたき続けるの。

太陽の光と雲ひとつない青空があって、
それを眺めていられるかぎり、
どうして悲しくなれるというの?

ほんとうに他人の人柄がわかるのは、
その人と大喧嘩したときだということです。
そのときこそ、
そしてそのときはじめて、
その人の真の人柄が判断できるんです。

私達は皆、
幸せになることを目的に生きています。
私たちの人生は
一人ひとり違うけれど、
されど皆同じなのです。

与えることで貧しくなった人は
いまだかつて一人もいません。

怠慢は魅力的に見えるけど、
満足感を与えてくれるのは働くこと。

なんと素晴らしいことでしょう!
世界をよくすることを始めるのに
誰も一瞬ですら
待つ必要なんてないんです。

母親が子供たちに
いっさいを話してやらないかぎり、
子供は少しずつ
いろんな知識を聞きかじり、
そしてそれは
まちがった知識にちがいないのです。

大人の方が今の私たちより
ずっとつらい目に遭っているというのは、
本当ですか。
いや、私はそうは思いません。

親は子供に助言し
導くことはできるけど、
最終的な人格形成は
子ども自身の手に委ねられている。

私が私として生きることを、
許して欲しい。

たった一本のロウソクが
どんなに暗闇を否定し、
その意味を定義することができるのかを
見てください。

希望があるところに人生もある。
希望が新しい勇気をもたらし、
再び強い気持ちにしてくれる。

私は理想を捨てません。
どんなことがあっても、
人は本当にすばらしい心を持っていると
今も信じているからです。

私は、死んだ後でも
生き続けたい。

だれもが心に良い知らせの
かけらをもっています。
それは、自分がどんなに
素晴らしい存在になるのか、
まだ気づいていないということ!
どれほど深く愛せるのか!
何を成し遂げるのか!
自分の可能性とは何かを!

1

関連まとめ