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ぎん猫さん

■10位.推定死者数:300万人

中世に西ヨーロッパのキリスト教、主にカトリック教会の諸国が、聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的に派遣した遠征軍のことである。

実態は必ずしも「キリスト教」の大義名分に当て嵌まるものではなく、中東に既にあった諸教会(正教会・東方諸教会)の教区が否定されてカトリック教会の教区が各十字軍の侵攻後に設置されたほか、第4回十字軍や北方十字軍などでは、正教会も敵として遠征の対象となっている。

また、目的地も必ずしもエルサレム周辺であるとは限らず、第4回以降はイスラム最大勢力であるエジプトを目的とするものが多くなり、最後の十字軍とされることもある第8回の十字軍は北アフリカのチュニスを目的としている。

■9位.推定死者数:350万人

古代ローマにおいて見世物として闘技会で戦った剣士。名前の由来は、剣闘士の一部がローマ軍団の主要な武器でもあったグラディウスと呼ばれる剣を使用していたことから来ている。

剣闘士となる者の大半は戦争捕虜や奴隷市場で買い集められた者たちで、反抗的なために主人に売り飛ばされた奴隷が多かった。何らかの理由により自由民が志願するケースもあり、研究者の試算によると剣闘士10人中2人が自由民であった。また、犯罪者も剣闘士として闘技場に送られた。

剣闘士は勝ち続ければ富と名声を得ることもできたが、一方でローマ人たちからは「堕落した者」「野蛮人」「恥ずべき者」(インファーミス)と見なされており、その社会的地位は低く売春婦と同類と見なされ、奴隷の中でも最下等の者たちとされ蔑まれた。

剣闘士は競技場で観衆の喝采を浴びる対象ではあり、多額の報酬を受けたが、解放されても他の解放奴隷とは異なりローマ市民やラテン人にはなれず、自由民の中でも最低の「降伏外人類」身分しか与えられなかった。

■8位.推定死者数:400万~1650万人

1932年から1933年にかけてウクライナ人が住んでいた各地域でおきた人工的な大飢饉である。

この飢餓の主たる原因は、広範な凶作が生じていたにもかかわらず、ソ連政府が工業化の推進に必要な外貨を獲得するために、国内の農産物を飢餓輸出したことにあった。その意味で大飢饉が人為的に引き起こされたものであることは否定できない。ウクライナのユシチェンコ政権は、これをもってウクライナ人に対する大量虐殺であったと主張し、国際的な同調を募った。

一方、現代ロシアの歴史家を中心に、大規模で悲惨な飢饉があったという事実認識には同調するが、飢饉の被害はウクライナ人のみならずロシア人やカザフ人にも広く及んだと指摘して、これがウクライナ人に対する民族的なジェノサイドであることを否定する議論もあり、見解の相違は埋まっていない。

■7位.推定死者数:510万~650万人

第二次世界大戦中のナチス党率いるナチス・ドイツがユダヤ人などに対して組織的に行った大量虐殺を指す。

ユダヤ人の扱いは戦時捕虜であったロシア人の扱いよりもさらに苛酷なものであり、日常的な殴打や殺害が横行した。フロッセンビュルク強制収容所では、日曜日の朝の食事がラード20グラムであったという。各収容所では飢餓・虐待・病による数万人単位の犠牲者をそれぞれ出している。

当局の統計によると、マイダネク強制収容所の囚人50万人の内、20万人が死亡したが、死因の六割は飢餓・病気・衰弱・拷問であり、後の4割がガス殺や銃殺であるとしている。

■6位.推定死者数:800万人

伝染病が壊滅的な打撃を与えた。さらに、ヨーロッパから到来した他の病気の波により更に人口は減少した。。1546年(推定)のチフス、1558年のインフルエンザと天然痘、1589年の天然痘再流行、1614年のジフテリア、1618年の麻疹、こうしてインカ文化の残滓は破壊された。

スペイン人たちは人民を死に至るまで酷使するためにインカのミタ制(労役)を利用した。各家族から1人が徴用され、ポトシの巨大な銀山に代表される金銀山で働かされた。

■5位.推定死者数:900万~1100万人

大航海時代に、15世紀から19世紀の前半まで、とりわけ16世紀から18世紀の時期に、主にヨーロッパとアフリカとアメリカ大陸を結んで、その後約3世紀にわたってアフリカ原住民を対象として展開され、西インドのプランテーション経営に必要な労働力となった(三角貿易)。

約3世紀に及ぶ奴隷貿易で大西洋をわたったアフリカ原住民は1,500万人以上と一般にはいわれているが、学界では900万人-1100万人という、1969年のフィリップ・カーティンの説を基にした数字が有力である。

多数の奴隷船の一次記録の調査で、輸送中の死亡率がそれまで考えられていたほど高くなかった(平均13%、なお奴隷船は船員にとっても過酷な職場であり、船員の死亡率は20-25%に達している)、輸出先での人口増加率が意外に高いと推定される、というのが説の根拠である。

■3位.推定死者数:1千万人

中華人民共和国で1966年から1976年まで続き、1977年に終結宣言がなされた社会的騒乱である。全称はプロレタリア文化大革命、略称は文革(ぶんかく)。

文化大革命中、各地で大量の殺戮や内乱が行われ、その犠牲者の合計数は数百万人から1000万人以上ともいわれている。

またマルクス主義に基づいて宗教が徹底的に否定され、教会や寺院・宗教的な文化財が破壊された。特にチベットではその影響が大きく、仏像が溶かされたり僧侶が投獄・殺害されたりした。

■3位.推定死者数:1千万人

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