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ガンジーの名言!

ガンジーの名言をまとめてみました。心に響く言葉ばかりです。

更新日: 2017年06月26日

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karupinnさん

1869年10月2日、イギリス領インド帝国(現:グジャラート州ポールバンダル)に生まれる。父はポールバンダル藩王国の宰相であった。

小学校時代は素行も悪く、ヒンドゥー教の戒律で禁じられている肉食を繰り返したり、タバコ代を工面するために召し使いの金を盗んだこともあった。

インド幼児婚の慣習により、13歳の若さで結婚。18歳でロンドンに渡り、法廷弁護士となるために勉強する。

24歳でイギリス領南アフリカ連邦にて弁護士として開業。しかし、白人優位の人種差別政策下で、鉄道の一等車への乗車を拒否され放り出されるなどの人種差別を体験したことで、人種差別政策に反対し、インド系移民の法的権利を擁護する活動に従事するようになる。

1914年に第一次世界大戦が起こると、イギリスは将来の自治を約束して、植民地統治下のインド人に協力を求めた。インドに帰国したガンジーはこの約束を信じ、イギリス植民地軍への志願を呼びかける運動を行なった。しかし、戦争がイギリスの勝利に終わっても、自治の拡大は期待したほど進行せず、ガンジーは「イギリスへの協力が独立へとつながらない」という信念を持った。

第一次世界大戦後は、独立運動をするインド国民会議に加わり、「非暴力、不服従」運動で世界的に知られるようになる。

第二次世界大戦後、イギリスは戦勝国となったが、国力は衰退し、独立運動が根強いインドを植民地として支配することは困難であった。1947年8月15日、ジャワハルラール・ネルーがヒンドゥー教徒多数派地域の独立を宣言し、イギリス国王を元首に戴く英連邦王国であるインド連邦が成立した。

ただし、ガンジーの「ヒンドゥーとイスラムが融合したインド」との思い通りにはいかず、最終的にイスラム教国家のパキスタンとの分離独立となった。

1947年8月のインドとパキスタンの分離独立の前後、宗教暴動の嵐が全土に吹き荒れ、1948年1月30日、ガンジーはヒンドゥー原理主義集団民族義勇団によって暗殺される。

3発のピストルの弾丸を胸に撃ち込まれたとき、ガンジーは自らの額に手を当てた。これはイスラム教で「あなたを許す」という意味の動作である。そして、ガンジーは「おお、神よ」とつぶやいてこの世を去った。78歳であった。

ガンジーの名言

何か信じるものがあるのに、それに従って生きない人間は信用できない。

目的を見つけよ。手段は後からついてくる。

速度を上げるばかりが、人生ではない。

明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。

弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ。

人間の英知を信用しすぎるのは賢明ではない。強者も弱くなるかもしれないし、賢者も間違うかもしれないと心に留めておくことは健康的である。

臆病な者は愛を表明することができない。愛を表明するとは勇敢さの現れである。

人間性への信頼を失ってはならない。人間性とは大海のようなものである。ほんの少し汚れても、海全体が汚れることはない。

「目には目を」という考え方では、世界中の目をつぶしてしまうことになる。

率直な意志の相違は、進歩を示す健全な兆候だ。

もし、過ちを犯す自由がないのならば、自由を持つ価値はない。

未来は、「今、我々が何を為すか」にかかっている。

人間はその人の思考の産物にすぎない。 人は思っている通りになる。

あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい。

非暴力は人間に与えられた最大の武器であり、人間が発明した最強の武器よりも強い力を持つ。

幸福とは、考えること、言うこと、することが調和している状態である。

死ぬ覚悟が出来ていれば、人は自由に生きられる。

平和への道はない。平和こそが道なのだ。

罪を憎みなさい、罪人を愛しなさい。

はじめに彼等は無視し、次に笑い、そして挑みかかるだろう。そうして我々は勝つのだ。

強さとは、身体能力ではなく、不屈の精神から生まれるものだ。

良心に関しては、多数決の法則は当てはまらない。

私には人に命を捧げる覚悟がある。しかし、人の命を奪う覚悟をさせる大義はどこにもない。

握り拳と握手はできない。

多くの犠牲と苦労を経験しなければ、成功とは何かを決して知ることはできない。

毎晩眠りにつくたびに、私は死ぬ。そして翌朝目をさますとき、生まれ変わる。

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